ほぼ日刊イトイ新聞が、
創刊25周年を記念して選んだ
25の「お宝ことば」の一覧ページです。
ことばが生まれた経緯や、
どんなときに使うことばなのかなど、
ひとつひとつに解説をつけました。
上から順に読むだけでも、
けっこうおもしろいと思いますよ。
あなたのお気に入りはどれですか?

  • ほぼ日という会社の行動指針を表すことばです。
    「やさしく、つよく、おもしろく。」という
    それぞれのことばの順番も大切にしています。
    まず、「やさしく」。「やさしく」は前提です。
    そして、「やさしく」あるために、「つよく」。
    さまざまなことを実現できるように「つよく」。
    そのうえで、「おもしろく」という価値を生み出そう。
    「おもしろく」こそが自分たちを食べさせていく。
    ほぼ日が上場の準備をしていた2015年ごろ、
    糸井重里が言語化したこの行動指針は、
    いまも私たちの現実的なガイドになっています。

    もともとは、あるイベントのとき、
    車で出かけていく乗組員に向かって、
    糸井重里が真面目に発したフレーズでした。
    「安全第一、おもしろ第二」。
    おもしろいことを追いかけたい気持ちはわかるが、
    事故なく安全に終えられることが
    なにより一番大事なことなんだぞ、と。
    乗組員を気遣ったことばともいえますが、
    「おもしろ第二」がぴたっとうしろに来ているのも、
    リーダーのすごみを感じさせます。
    安全であるのなら、おもしろを忘れるなよ、と。
    いまでは乗組員どうしが折に触れて口々に言い合う
    とても身近なことばになりました。
    「健康第一、おもしろ第二」などもときに派生。

    ほぼ日には、クライアントがいません。
    じぶんたちが、じぶんたちのクライアントです。
    主役は、じぶんたちがやりたいこと。
    つくりたいこと。おもしろいと思うこと。
    じぶんたちのクリエイティブを実現するために
    その他のさまざまなことを整えていく。
    利益や生産性から逆算したものづくりではなく、
    クリエイティブがすべてを引っ張っていく。
    そういった姿勢を示した、
    ほぼ日の存在意義とも呼べることばで、
    ほぼ日刊イトイ新聞の黎明期のころから
    合言葉のようにくり返されてきました。

    それがいいのかどうか、おもしろいのかどうか、
    つくっているとわからなくなりますよね?
    そういう状況で、糸井重里はしばしばこう言います。
    「それ、室町時代の人でもいいと思うか?」
    なんの知識も前提もなく、人がいいと思うかどうか。
    それは根源的に「人間がうれしいと思うこと」なのか?
    そう問いかけると判断がわかりやすくなります。
    ちなみに「室町時代」はただの例で、
    言うときによって平安時代になったり、
    江戸時代になったり、縄文時代になったりします。

    糸井が「ほぼ日の母」と呼ぶ本、
    『信頼の構造』の著者、山岸俊男先生の言葉です。
    (ちなみに「ほぼ日の父」の本は
    梅棹忠夫さんの『情報の文明学』)
    「いちばん正直な人が、いちばん生き残る」
    という山岸先生の実験結果は、
    情緒や気持ちの問題ではなく、
    科学的なアプローチから導かれた事実であることから、
    ほぼ日が他の組織や人と関わる上での
    重要な指針となっています。

    ほぼ日が他の会社やメディアや個人から、
    なにかを依頼されたとき、頼まれたとき。
    「すごくうれしい! やりたい!」という場合や、
    「これはまったく無理だ」というときは、
    判断に迷うことがありません。
    しかし、どちらともいえない、やろうと思えばできる、
    断るのもなんだかしのびない、
    せっかく頼んでくださったのだから‥‥
    みたいなとき、ありますよね。
    そういうときのほぼ日の判断基準がこれです。
    「それを頼まれなかったとしても、
    こちらから『ぜひやりたい』と頼めることかどうか」。
    そうじゃないならきちんとお断りしましょう、
    という、優柔不断な自分たちへの
    ゆるやかな戒めのことばでもあります。
    そしてこのことばの発展型として、
    「こちらからやりたい形にして提案し直す」
    ということもしばしばあります。

    「わたし」という個人が仕事に活きる。
    「わたし」が豊かにならないと、
    仕事も会社もおもしろくならない。
    「わたし」が好きなもの、
    「わたし」が着たい服、「わたし」が行った場所、
    「わたし」がおいしかったものが、
    つぎに取り組むなにかの具体的なヒントになる。
    だから、ほぼ日は「公私混同」を積極的に肯定しています。
    もちろん、個人の時間を犠牲にしろということではなくて、
    展示会に行くのも映画を観るのも本を読むのも
    仕事に役立つなら仕事に含まれるんじゃないかな、
    というようなことです。

    いざ、なにかに取り組むとき。
    いよいよここからが本番だぞ、というようなとき。
    ほぼ日が大切にしている4文字がふたつあります。
    ひとつが、「おちつけ」。なにかと、「おちつけ」。
    焦って失敗したことは数あれど、
    「おちつけ」で失敗したことなんてないじゃないか。
    だから「おちつけ」。きみよ、わたしよ、「おちつけ」。
    これ、もともとは明石家さんまさんがホストをつとめる
    「さんまのまんま」という番組のセットの
    掛け軸に書いてあったことばなんだそうです。
    そして、もうひとつ、大切にしている
    4文字のことばが「たのしめ」。
    こちらは、矢沢永吉さんがコンサートに臨む直前など、
    逃げ出したいくらいのプレッシャーがあるとき、
    自分に言い聞かせることばだそうです。
    明石家さんまさんの「おちつけ」と、
    矢沢永吉さんの「たのしめ」。
    ほぼ日乗組員が大切な場面で思い起こすことばです。

    「いいことをしているぞ」と思っているときほど、危うい。
    正義を振りかざし、視野がせまくなっている可能性がある。
    だから、自分たちが「いいことをしているとき」は気をつけよう。
    むしろ、「いいことをしているとき」は、
    「悪いことをしている」と思うくらいでちょうどいいかもよ?
    このことばは、糸井重里が尊敬する思想家、
    吉本隆明さんがたびたびおっしゃっていたのですが、
    親鸞の善悪についての思想を消化したうえで
    生まれたことばなのではないかと糸井は語ります。
    つまり、このことばは、
    親鸞から吉本隆明さん、吉本さんから糸井重里、
    そして糸井から私たちへ伝わってきたといえます。
    たとえば東日本大震災の直後など、
    自分たちがどう振る舞えばいいかを迷ったとき、
    私たちにとってはっきりと行動の指針となったことばです。

    読みものや商品、イベントといった
    ほぼ日のコンテンツが生まれるときの
    大きな流れを説明するときのことばです。
    動機・実行・集合。この3つが
    ひとつの輪のなかの要素としてつながり、循環していく。
    その連なり全体をほぼ日は
    「クリエイティビティの3つの輪」と呼んでいます。
    「動機」の部分では、自分を起点にして、
    人はなにがうれしいかということを掘り下げます。
    「実行」の部分では、技術やチーム力を発揮して
    具体的な形をつくります。外部との連携なども含まれます。
    「集合」の部分では、できあがったコンテンツを、
    読んでくださった人たち、買ってくださった人たち、
    足を運んでくださった人たちといっしょにたのしみます。
    これらが互いにつながり、スムーズに行き来し合い、
    それぞれが社会に向かって開いている状態であることが、
    ほぼ日が「よろこんでもらえるコンテンツ」を
    実現する上で欠かせない環境です。

    糸井重里が高校生のころ、
    現代国語を担当していた亀島貞夫先生から聞いたことば。
    忙しさを理由に、本当に大切にすべきことと
    向き合う努力を怠っていないか、
    自分を振り返らせてくれる一言です。
    「それどころじゃない」とか、
    「そんなこと言ってられない」という理由で、
    すぐには役立たないけれど大事なことを
    ほったらかしにしないように。
    忙しいときほど、このことばが私たちの頭をよぎります。
    その多忙、隠れみのにしていませんか?

    読みもの、商品、イベントなど、
    ほぼ日がつくるコンテンツはさまざまですが、
    共通しているのは、それに接しているときに
    「いい時間」を過ごしてほしいということ。
    たとえば、おいしいお店を予約したら、
    食べるときだけじゃなく予約した瞬間から
    「いい時間」がはじまる。
    どんなにおもしろい遊びも、
    遊ぶことが義務だったら「いい時間」にならない。
    ほぼ日がつくるあらゆるものは、
    「いい時間」を生み出すものにしたい。
    そんなふうにいつも考えています。

    インターネットの海に漕ぎ出したほぼ日が、
    少しずつ読者の数を増やし、読みものだけでなく、
    商品のラインナップも増えはじめた2006年ごろ、
    お客さんとのやり取りを積み重ねながら、
    かたちにしていったことばで、
    「ほぼ日の約束三原則」という題名がついています。
    大きなことはできない自分たちだけど、
    無難に小さくまとまるのではなく
    精一杯、チャレンジして、結果を出そう。
    できなかったらきちんと謝ろう。
    ふつう、こういった三原則的なものは
    三つ目が肝になっていることが多いですが、
    「ほぼ日の約束三原則」は
    ひとつめの「できるだけ約束をする」というのが
    とても大切な気がしています。

    ほぼ日という会社と、
    ほぼ日に勤める乗組員の関係について、
    内部的に突き詰めていたときに生まれたことばです。
    もっと具体的にいうと、仕事の評価をするときに、
    なにを基準にすればいいのか。
    ものをつくる人もいれば、売るのが専門の人もいるし、
    管理する人も必要だし、先月入ったばかりの人もいる。
    さまざまな職種と社歴の人が働くなかで、
    等しく大切にしなければいけないものはなんだろう。
    それは、「誠実」であろうとする姿勢と、
    どんなかたちでも「貢献」しようとすること。
    「誠実」は誰にでもできる基本的な姿勢であり、
    「貢献」はじぶんや仲間をよろこばせること。
    全員がホームランを打たなくても、
    そのひとなりの「誠実と貢献」があればいい。
    いまも乗組員とほぼ日の柱になっていることばです。

    糸井重里は広告をつくっていた人ですが、
    ほぼ日の商品をお知らせするとき、
    細かく広告的なディレクションをしません。
    乗組員に広告について教えることもありません。
    それは、多くの広告をつくってきた糸井が、
    「広告は商品に練り込まれている」という状態が
    もっとも理想的だと考えているからです。
    その商品のよいところを
    無理に探してアピールするのではなく、
    ありのままを書くだけで広告になる商品をつくればいい。
    もちろん、簡単なことではないけれど。

    糸井重里は「ことばの人」だとよく言われますが、
    ことばで言いくるめるようなことを嫌います。
    それよりも、ことばにならない、
    もやもやとした気持ちのほうを大事にしたい。
    「断る理由をうまく言えなくても断っていい」。
    このことばは糸井がモノポリーを
    していたときに発見した考え方を、
    「断りきれずに安請け合いしないように」という
    仕事上の方針として書いたものですが、
    それは次のように続きます。
    「そうでなかったら、うまく言えない気持ちは、
    なかったことにされちゃうのです。
    『肉体的な力ずく』ばかりでなく、
    『言論的な力ずく』に、負けちゃうでしょう。」
    また、このことばは断るときだけではなく、
    私たちが断られたときに役立っています。
    つまり、何かをお願いして断られたとき、
    それがどんなに気持ちのこもったお願いでも、
    「どうしてですか?」と食い下がってはいけない。

    行く手に問題はたくさんある。
    マイナス点をいくつでも挙げられる。
    けれども、暗いところばかりを見つめて
    ため息をついていてもしょうがない。
    自分がこうなりたいという方向へ顔を向けよう。
    ほぼ日の創刊当初から、「向日性」、
    「明るいってだけで基礎点40点」といった
    コンセプトを掲げていた糸井重里は、
    2011年3月11日に起こった東日本大震災のとき、
    この考えをまたくり返し表現することになりました。
    未曾有の震災に襲われ、
    被災地に、社会に、問題点は山積みでした。
    さまざまな人がさまざまなことを言い合っていました。
    けれども、と糸井は絞り出すように書きました。
    光の射す方向を見よう。たとえかすかな光でも。
    それは私たちの日々の活動の道標になりました。

    2011年4月25日、東日本大震災のあと、
    毎日たくさんの意見が行き交う混乱のなかで、
    糸井重里がじぶんの指針としてツイートしたことば。
    全文は以下のとおり。

    ぼくは、自分が参考にする意見としては
    「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。
    「より脅かしてないほう」を選びます。
    「より正義を語らないほう」を選びます。
    「より失礼でないほう」を選びます。
    そして「よりユーモアのあるほう」を選びます。

    世の中に不安や混乱や嘘があるときほど、
    落ち着いて、自分の頭で考え、
    一時的な情報に流されないようにしよう。
    じぶんたちの表現や振る舞い方も、
    このことばから導き出すことができます。

    2019年末から新型コロナウイルスが世界中に拡大しました。
    ほぼ日でもたくさんのイベントが中止となり、
    乗組員の出社も制限され、私たちの日常は様変わりしました。
    未知のウィルスが引き起こす前代未聞の感染症に対して、
    科学的にも、社会的にも、なにが正しいのか明示されず、
    もどかしく、落ち着かない毎日が続きました。
    そんななか、じぶんたちの取るべき態度を、
    糸井は「善き風見鶏になろう」と表現しました。
    あるとき正しいと思われたものが、
    新しい情報や発見によってくるくる変化する。
    だとしたら、ひとつの正しさに固定されるのではなく、
    そのときどきで情報をきちんとアップデートし、
    「いま、こっちだと思う方向」を見よう。
    屋根の上でつねにいまの風上を指し示す風見鶏のように。
    それは、コロナ禍におけるほぼ日の方針になりました。

    25年前の創刊以来、ほぼ日刊イトイ新聞は
    一日も休まず更新されています。
    それは「日曜日も開いてる店ってうれしいじゃない?」という、
    特別なちからがないからこその皆勤賞狙い、
    といった意味合いもあるのですが、
    吉本隆明さんが何度も語った
    「どんな仕事でも、10年間、毎日休まずに続けたら、
    必ずいっちょまえになれる」という
    ことばの影響も大きいと思います。
    「一人前になる」とは、毎日続けてきた仕事が、
    毎日続けることで、その人の心と体を変えてしまうこと。
    「変形」するまでその仕事を続けること。
    そのほぼ日を、私たちは25年休まず続けてきました。
    「一人前に」なったかどうかはわからないのですが、
    そろそろ、そういう形に変わっているかな?

    糸井重里はなにかを口うるさく言う人ではありませんが、
    言葉を変え、表現を変え、私たち乗組員に
    いつも伝えようとしていることがあります。
    それは、「考えろ」ということ。
    その代表例ともいえるのが、ほぼ日の初期に書いた
    「何かを考えるための10ヵ条」です。
    以下に全文を書いておきます。

    1.そのことの隣に何があるか?
    2.そのことの後ろ(過去)に何があったか?
    3.そのことの逆に何があるか?
    4.そのことの向かい側に何があるか?
    5.そのことの周囲に何があるか?
    6.そのことの裏に何があるか?
    7.それを発表したら、どういう声が聞こえてくるか?
    8.そのことで何か冗談は言えるか?
    9.その敵は何か?
    10.要するに、それは何か?

    考えること。クリエイティブであること。
    その本質を糸井重里はこのことばに象徴させます。
    「いいこと、考えたっ!」
    枠組みを埋めるような発想ではなく、
    データから結果を導くようなことではなく、
    前例の踏襲でもマニュアルの遂行でもなく、
    思いついた瞬間にわくわくするようなこと。
    思わず周囲に伝えたくなるようなこと。
    「いいこと、考えたっ!」
    それこそが、アイディアであり、
    自分たちやまわりの人たちをよろこばせ、
    つくるほうにも生み出すほうにも
    「いい時間」をつくっていく。

    ほぼ日は「どういうことをしていく会社なのか」?
    それを糸井重里がことばにしたもの。
    「やさしく、つよく、おもしろく。」とならんで、
    自分たちがどうあるべきかを表した大切なことばです。
    こうなったらいいなという「夢」を
    「夢」で終わらせるのではなく、
    具体的にどうしたらいいかを考えよう。
    ちいさなことでも具体的に実行していこう。
    そうすれば、「夢」は夢ではなくなる。

    関連する読みもの
    夢に手足を。

    ほぼ日では、社員のことを「乗組員」と呼びます。
    そして会社はしばしば「船」にたとえられる。
    この比喩はさまざまな場面で
    自分たちの有り様をわかりやすくします。
    たとえば、床板一枚を隔ててすぐ下は海であり、
    なにかあれば簡単に全員が沈んでしまう。
    たとえば、船長だけでなく、見張り役にも、
    船医にも、料理当番にも役割があり、
    どれひとつ欠かしても航海はままならない。
    たとえば、縁あって乗り込んだなら同じ方向を目指し、
    行き先が違うと感じたら降りればいい。
    乗組員は、責任感と、危機感と、敬意をもって、
    ほぼ日という船を進めていきます。

    ほぼ日がはじまったころから、
    とても大切にしている考え方です。
    糸井重里は創刊以来今日に至るまで
    何度もこのことばについて書いていますが、
    ある日の原稿に書いたものを掲載しておきます。

    ひとりでいるときの顔が想像できる人と、
    ひとりでいるときの顔が想像できない人とがいる。
    ひとりでいるときの顔が、想像できない人とは、
    どうにも仲よくなれそうもない。
    個であること、孤であることから
    逃げないで生きる人の姿というものには、
    厳しい美しさがある。
    そして、そのうえで、だ。
    そしてそのうえで、ひとりを怖れない人が、
    人々の情けを感じるということがすばらしい。
    ひとりを怖れない人が、
    他のひとりの役に立とうと、走る姿は美しい。
    Only is not Lonely.
    ひとりであるということは、孤独を意味しない。
    ひとりを怖れない者どうしが、
    助けたり助けられたりしながら、
    生き生きとした日々が送れるなら、
    それがいちばんいいと思う。
    ちなみにこの
    「オンリー・イズ・ノット・ロンリー」ということばは
    英語の文法的には正しくありません。
    調べて、それを知った糸井重里はこう言いました。
    「でも、いいや、これで行こう。」

     

    ※この「お宝ことばステッカー」は、ほぼ日刊イトイ新聞の
    創刊25周年記念企画で制作されたものです。
    ステッカーのデザインを担当したのは、
    アートディレクターの秋山具義さんです。
    くわしくはこちらのページをご覧ください。