ITOI
ダーリンコラム

<Only is not Lonelyについて>

今回は、また、長いです。
全部で240行あります。

「ほぼ日」のサイトにはじめてきた人に、
なにか、言葉を目に入れてみたかった。

しばらくの間は、
「It's getting better all the time」と書いてあった。
それを憶えている人は、相当な「ほぼ日」ファンだね。
ぼく自身でも忘れかけていたくらいだもの。
その時は、
「ま、いまはこんなものですけれど、
だんだんよくなるはずですからお楽しみにね」くらいの、
言い訳も兼ねたご挨拶として掲示したのでしたが。

そのうち、いつまでも「だんだんよくなる」と
言い続けるのって芸もないし、
なんとなくだらしない感じもするよなぁ、と思ってね。
それに、このフレーズって、
ビートルズの曲名のそのまんまパクリだしね。
借り着みたいで落ちつかなかったんだよな。

で、考えてみたら、ぼくはコピーライターだったよ、と。
よその会社のスローガンとか、キャッチフレーズとかを
考えてはギャランティをもらっているわけだから、
自分のサイトにだって、それくらいのことを
したっていいだろうが、と、
自分に説教しましたよ。
本好きの人なら知っているかもしれないけど、
新潮文庫の『想像力と数百円』なんて、
かなり昔の仕事だったけど、いまでも大丈夫な言葉でしょ。
そのくらい、あるいはそれ以上のフレーズを、
「ほぼ日」につくりたかったんだ。

目次ページの題字下にある
「インターネット、飽きてる人から初心者まで」ってのは、
いわば宣伝文句だけど、これは本職として、
「持ちがよくて、簡単なことを言う」ってことで、
わりにすぐに思いついたんだよな。

だけど、もっと、「スピリット」の部分を言いたい。
「ほぼ日」のこころは、これじゃ!
というような、不滅の言葉がほしい。
そんな不遜な注文を、コピーライターのイトイに対して、
「ほぼ日」主宰者のdarlingがつけたわけですよ。

考えましたね。うんうん。
で、思ったのは「孤独」ってことだった。
「孤独」ほど怖いものはない。
「孤独」を知らない人間ってのは、魅力がない。

ぼくは前々から、
「一人でいる時の顔が想像できない人とは
つきあいたくない」と、発言しておりました。
どんなに普段がご陽気はダンナでも、
「この人は、夜中にひとりでいる時は、
こんな顔を見せるんだろうなぁ」と、思える人がいる。
逆に、いつも集団や組織とセットでの顔しか
なさそうな人もいたりする。
もしかしたら、俺は世界の誰からも何からも
見放された「たったひとり」なのではあるまいか、
という不安を、いちども持てなかったという人は、
不幸なことかもしれない。
しかし、自殺する人間や、
やってはいけないような犯罪に走る人間は、
その寸前に「孤独」の時間を抱えているらしい。
その時、孤独でなかったら、そうはならなかった、
ということがいくらでもあるのだと思う。

さあて、インターネットのディスプレイ画面を
見つめている人は、根本的なところで孤独である。
乱暴な言い方だということは承知しているが、
こんな姿が孤独でないわけはない。
「もしかしたら、誰でもないのではないか」という自分が、
遠いところの人間の影を探して、
ブラウザ画面という穴から、世界をのぞき見している。

しかし、のぞき見ている世界が、
必ずしも、その孤独なひとりひとりに対して
冷たいものだとは限らないではないか。
画面の向こう側に、孤独な自分と同じ目をして
こっちを見ている人間の気配を感じた時には、
「孤独」と「孤独」の間につながりができて、
「孤独」であることが、終わってしまうのだ。

向こう側に発見した孤独が、
けなげに作り笑いをしていたとしたら、
あなたという孤独は、つられて笑顔を返すかもしれない。
あなたのその笑顔を見つけた向こう側の孤独は、
あなたの笑顔をみて、ほっとして、
作り笑いをほんとうの笑顔に変えてしまうかもしれない。

こうやって孤独を消し去ったとしても、
それは幻のつながりだと思う人がいるかもしれない。
そういう関係を偽善だと感じる人もいるだろう。
「手をつなごう。ぼくらは兄弟だ」というような、
昔からあったメッセージとどこがちがうのだ、と
眉をしかめる人もいるかもしれない。

だけど、ぼくは、思った。
「孤独」は、前提なのだ。
「ひとりぼっち」は、当たり前の人間の姿である。
赤ん坊じゃないんだから、誰もあんたのために生きてない。
それでも、「ひとりぼっち」と「ひとりぼっち」が、
リンクすることはできるし、
時には共振し、時には矛盾し、時には協力しあうことは
これもまた当たり前のことのようにできる。

つながりすぎないで、つながれることを知る。
こういう関係が、インターネットの上では、
リアルに感じられるかもしれない。
「ひとりぼっち」なんだけれど、
それは否定的な「ひとりぼっち」じゃない。
孤独なんだけれど、孤独じゃない。

そういう感じのホームページにしたいと思って、
ぼくらは「ほぼ日」をつくっているように思った。
孤独、という単語を辞書で引いてみる気もなかったが、
「lonely」と「only」ということばが、
なんとなく思い浮かんだ。
「オンリーワン」っていうのは、とてもいい響きだ。
個性というのは、たったひとつってことだ。
他に群れるべき仲間がいないということも考えられる。
そういうものに、みんながなって、
そのみんなが、くっつきあったり離れたりしているという
イメージが、かっこいいなぁと思った。
でも、オンリーワンである状態というのは、
頼るもののないつらいものであることも確かだ。
かなり、それはロンリーを感じるだろうなぁ。
たしかにロンリーだよなぁ。
だけど、みんながそういうことを理解していて、
みんながオンリーワンだったら、
誰でもロンリーなんだから、それはロンリーであって
ロンリーじゃない。
そういうふうには言えないだろうか。

Onlyone is not lonelyone.

無理やりにでも、そう言い切ってしまおう。
そして、パッと目で見た瞬間に、
Onlyとlonelyの並びがわかりにくくなるという理由で、
それぞれのoneという3文字を削除した。

英語として正しくなさそうだと思ったので、
チェックを入れてもらったら、残念ながら、
やっぱり間違っていた。
でも、いいや、これで行こう。
そうして、「ほぼ日」のスタートページに記す、
あのことばが、世に出たのでありました。

でも、これは、ぼくの貧しい楽屋裏の雑談なのであって、
みんながそれぞれの気持で、勝手に、自由に感じている
「Only is not Lonely」とは、ちがっているかもしれない。
だとしたら、そういう場合は、
あなたの考えていることのほうが、正しいのです。

じゃ、最後に、おまけとして、
読者の松本肇さんからいただいた、
英語としては、どう正しくないか、の見解を、
ここに転載させていただきます。
まことになるほどなぁ、です。
これを知っていて、あえて間違っているほうが、
ぼくも気持がすっきりするので、
みなさんにもシェアします。
松本さん、ありがとうございました。
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ほぼ日のスローガンは欧米人に伝わる?!(微考図1)



結論からいいますと、
欧米人には100%理解されない
ジャパングリッシュでしょう。

理由は2つ。
動詞や名詞のない形容詞だけの
コミュニケーションは英語圏の発想にはなく、
きわめて日本語的であること。
もう一つは、
「唯一無二であることは
 必ずしも孤独であることを意味しない」
という表現の主体がこの表現に対して
「私は確信している」のか「私はそう思う」なのか
「私はこう推測する」なのか「私は仮定する」なのかを
明示するのが英語圏の基本的マナーというか
常識というかただ単に意識さえしていない
フツー感覚だからです。
つまり、そういう言語体系の中で育ってきたということ。

存在(is)と非存在の間に
たゆたう繊細な感情の揺らめき(形容詞)といった
詩情が言語体系に染み渡っている
日本語体系の中で育ってきた私たちには
すんなりと理解できるのですが。
敢えて英語に翻訳すると・・・
「I don´t think only one means lonely one」とか
「I´m sure that only one means never be the
same as loneliness」とでもなるでしょう。
動詞や名詞の省略化は単一民族国家でのみ
進化する特有な現象なのかも。

似たような例に
「Love means never having to say you are sorry
(意訳すると、『君がかわいそうでならない』
 そんな言葉を口に出しては絶対ダメよ、オリバー。
 愛とはそういうもの。)
という誰もが知っている有名なセリフがあります。
これがあの「愛とは決して後悔しないこと。」
だと知っている人は多くはないでしょうが、
大事なポイントは、この表現がきわめてフツーに
会話に登場する可能性のあるとても
英語らしい英語だという点です。
文学的な表現だと勘違いしてる人が多いのでは。
こういう日本人から見ると「理屈っぽいな」と
感じる論理性の高い表現を無意識に
アタリマエに使用してコミュニケーションしてる
ワケですから、
「欧米人はみんな弁護士だと思え」が
欧米人と接する上での基本的スタンスなのだと思います。
逆にいうと、欧米人が日本人と接する基本的エチケットは
「日本人はみんな詩人だと思え」でしょう。

形容詞だけでコミュニケーションができる
日本語圏の私たちはオンリーカントリーかもしれませんが、
だからといって決して
ロンリーカントリーだとはいえません。

アメリカンポップスでいうと、
オンリーラブやクレイジーラブは日本語圏的で、
アンコンディショナルラブ=unconditional love
(無条件の愛)は弁護士的なので英語圏的だといえます。
さらにいうと、レット・イット・ビーや
10ccのアイム・ノット・イン・ラブや
ビリージョエルのjust the way you are
(素顔のままで)は存在を示すbeを核にした
日本語圏的な英語であり、
Love will survive(愛は絶滅しない)や
Smoke gets in your eyes(煙が目に染みる)や
スティービーワンダーの
I just called to say I love youなんかは
英語圏的だと思います。
しかし、厳密に言うと「日本語圏の本質は動詞であり、
英語圏は名詞である」という人もいて、
たしかに日本人は豊かな動詞で
コミュニケーションをしていますし、
動詞という観点から言えば
世界共通の理解が得られると私も考えています。
そうでなければ
「結局のところ、言語が違えば会話は
 永遠に平行線のままで100%の理解はありえない」
という悲観主義に陥ってしまいます。
それにしても妙にカタイ文章展開になってしまいました。
英語について考えると弁護士っぽくなるのか?
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おもしろかったでしょう?
これはこれで、知っておいて、
思いっきり【Only is not Lonely】を、使いましょう。

ところで、ぼくはスティービーワンダーの
「I just called to say I love you」っていう歌が
とても好きなんですよー。
英語圏的なことばの使い方も、いいもんだなぁと、
しみじみ思う歌詞ですねぇ。

じゃ、長くなっちゃったけど、
また来週ね!

2000-11-06-MON

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