若くして老舗の文芸誌『新潮』の編集長に
抜擢された矢野優さんは、
東浩紀さんの『存在論的、郵便的』をはじめ、
阿部和重さんの
『インディヴィジュアル・プロジェクション』、
平野啓一郎さんの『日蝕』など、
いくつもの、個人的に思い入れの深い作品の
担当編集者でもありました。
矢野さんのようなすぐれた編集者は、
輝く才能を、どうやって見極めているのか?
矢野さんにとって「物語」とは?
編集とは「選んで、綴じる」ことであり、
それは脳と肉体が一体化したな営みだ‥‥等々。
とにかく、刺激に満ちた2時間でした。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>矢野優さんのプロフィール

矢野優(やの・ゆたか)

1965年生まれ。1989年、新潮社に入社。「ゼロサン」編集部、出版部(書籍編集)を経て、2003年より「新潮」編集長をつとめる。担当書籍に阿部和重「インディヴィジュアル・プロジェクション」、東浩紀「存在論的、郵便的」、平野啓一郎「日蝕」など。「新潮」では、大江健三郎「美しいアナベル・リイ」、柄谷行人「哲学の起源」、筒井康隆「モナドの領域」などを担当。

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第5回 すべての場面に関われる人。

──
今回、取材させていただいた
編集者のみなさんの話のはしばしから、
「物語」というものが、
人に及ぼす影響の大きさを感じていて。
矢野さんは、文芸誌編集長として、
物語のちからというものにたいしては、
どういったお考えをお持ちですか。
矢野
あまりに小説の世界と接しすぎていて、
物語が人の心を動かす‥‥ことを、
当たり前に
思いすぎているかもしれないんですが。
──
ええ。
矢野
物語の持つちからをつよく感じたのは、
最近では、ノンフィクション作家の
奥野修司さんの
『新潮』での連載を元にした
被災地の霊体験をまとめた書籍ですね。
──
おお、小説じゃなくノンフィクション。
奥野さんというと、
『心にナイフをしのばせて』の印象が
強いんですけれど、
その作品は‥‥すみません、未読です。
矢野
奥野さんとは、沖縄で起こった
赤ちゃん取り違え事件についての本で、
いちどだけ、お付き合いがあって。
でも、震災から何年かが経ったときに、
奥野さんが、
被災地の霊体験を取材していることを
ネットのニュースで知ったんです。
すぐに連絡して、
うちで連載してくださいとお願いして。
──
なるほど。
矢野
奥野さんって、基本は科学的だし、
不思議な霊体験だと幽霊だとか、
そういうことを書きたいわけじゃない。
そうじゃなくて、
大切な人が突然いなくなってしまって、
魂のちぎられるような痛みを
感じている人たちが、
心を壊さないために、
死者が帰って来たという「物語」を、
心の底から求めるんです。
そういうノンフィクション、なんです。
──
なるほど‥‥。
ある種の心理的な防衛機制のような。
矢野
そうやって被災者が抱く「物語」こそ、
「小説の根源」だと思いました。
ふだんから思っていることなんですが、
小説という営みでは、
「死んだ人を思い出す」ということが
きわめて重要なんですね。
追悼するでも、
パッと思い出すだけでもいいんですよ。
死者のことを書く、
死者について話す、
死者にたいして、思いを馳せる‥‥。
それこそが、
物語の起源じゃないかなと思っていて。
──
こんな人がいたんだ‥‥ということを。
矢野
そう‥‥死者を思い出して書く、話す。
「物語」って、そういうことで、
原始時代から続く人間の営みなんです。
で、奥野さんの原稿にも、
その光景がありありと見えたんですね。
──
なるほど。
矢野
人間というものは、心が壊れるか、
壊れないかの瀬戸際に立たされるほど、
物語を必要とするんだな‥‥って。
言葉にできない圧倒的な悲劇ですけど、
物語というものが、
人の魂を救っている‥‥ということを、
たしかに、知ることができたんです。
──
ああ‥‥。
矢野
それは、編集者としての自分にとって、
とてつもなく大きな経験になりました。
──
なるほど。
矢野さんの前で、こんなこと言うのも
何なんですが、自分は
あまり小説を読むほうじゃないんです。
矢野
ええ。
──
事実を扱うノンフィクションのほうが
好きなんですけど、
でも、ときどき小説を読むと、
その圧倒的な自由さに、
自分にも羽根が生えた気分になります。
矢野
ああ、そうですか。
──
脳みそのヒダヒダの隙間を、
文字がぴゅーっと流れてくかのような、
気持ちよさを感じるんです。
小説って何て自由なんだろうと憧れる。
小学生みたいな感想ですが‥‥。
矢野
いやあ、ぼくもまったく同じですよ。
だってミーハーですもん。
もう、小説があって
本当によかったなあって思ってるし。

──
さっきの奥野さんの被災地のお仕事も
ありますけれど、
けっこう
ノンフィクションも読まれるんですか。
矢野
読みます。最近いちばん興奮したのは
『音楽が未来を連れてくる』
という榎本幹朗さんという人の本です。
広い意味での「ノンフィクション」で、
音楽テクノロジーとビジネスの
100年の歴史を、
大河小説のように描いているんですよ。
──
へええ、おもしろそう。興味あります。
矢野
エジソンが、
蓄音機に、音を「封じ込める」ことに
成功したところから、
スティーブ・ジョブズが
デジタル音楽を「外」に持ち出して、
いまや世界は、
ポストSpotifyでしのぎを削っている。
660ページもの大部なんですけれど、
3000カ所ぐらいに
ブックマークをつけてしまったほど。
──
そんなに! ひゃーっ。
矢野
個人的にも、編集者としても、
テクノロジーの話が好きなんですよね。
それに配信ビジネスの未来ってことは、
出版ともつながってる話だし。
──
ああ、そうですよね。
矢野
あまりに感銘を受けたので、
さっそく連絡をとって、
昨日はじめてお目にかかったところで。
──
編集者のフットワークの軽さ、ですね。
矢野
はじめての著書だったらしいんですが、
一級のストーリーテラー。
もう、ばつぐんに文章がうまいんです。
だいたい、文章のうまさっていうのは、
版面(はんづら)を見れば‥‥。
──
わかる? 
矢野
わかりますよね。
──
歴史上、テクノロジーが
クリエイションを後押しすることって、
あるじゃないですか。
ピアノが発明されたときに
楽曲の数が一気に増えた‥‥みたいな。
矢野
ええ。
──
音楽も出版もですけど、
いまのテクノロジーの大転換を受けて、
うまれる創造物も、あるんでしょうね。
矢野
そうですね。
ただ、何か新しいものが生まれるときは、
いわゆるカギカッコつきの
「クリエイション」と呼ばれるものと、
流通と消費の場と‥‥みたいな、
何かを単体では切り出せない気がします。
──
なるほど。
矢野
エコシステムなんですよね。つまりは。
小説だって、出版と取次、書店、出版社、
編集者、そして書き手が、
ひとつのシステムをつくっているんです。
──
そこへ、「テクノロジー」という変数が
かけ合わせられる‥‥と、どうなるか。
せっかく新しい装置なんだから、
新しい何かがうまれてほしいと思います。
矢野
小説や音楽などのアーティストが、
どうやって報酬的に報われるのか‥‥も、
新しい時代に入っていますよね。
読者やリスナーが作品にどのように接し、
どう楽しんで、どうお金を払うのか。
たとえば、ノンフィクション作家の人が
クラウドファンディングで
取材資金を集める‥‥
みたいなことも、すでに起きていますし。
──
ああ、そのプロセスは、
書かれるものじたいに影響を及ぼしそう。
いろんなことが爆発的に多極化していて、
何だかもう、起こっていることを
把握しきるのは無理って感じもしますが。
矢野
たしかに、そうですね。
ただ、そういう新しい動きなどに対して、
編集者って、どうにかこうにか、
いっちょ噛みし続けていく人種だと思う。
──
なるほど。たしかに。
矢野
以前に、ピーター・ガブリエルっていう
ミュージシャンがいたんですが‥‥。
──
はい、ジェネシスの。
矢野
彼が、世界初のエンターテインメントの
CDーROMをつくったんです。
つまり、ピーター・ガブリエルの音楽を
ユーザーがミックスしたり、
映像化したりすることのできる、
インタラクティブなマルチメディア作品。
それも、インターネットが、
いまほど、当たり前じゃなかった時期に。
──
へええ‥‥。
矢野
音楽に関わる人、映像に関わる人、
プログラムを書く人、
当然、ピーター・ガブリエル本人もいる。
で、それらをまとめる人もいて、
それって「編集者」だなと思ったんです。
──
ああ、なるほど。まとめる人。
矢野
どう呼ぶかは別として編集者だよなあと。
編集者ってのは、どこにもいるんだなと。
表舞台には立たないんだけど、
黒子としてその場を成立させる人として。
──
原始時代にもいたし。
矢野さんの「葉っぱを綴じた本」の場合も、
主役は名もなき葉っぱたちだけど、
その舞台を設定する人として編集者がいる。
矢野
大竹伸朗さんと居酒屋で飲んでいたとき、
大竹さんが「醤油と割り箸があったら
いまここで、絵を描けるんだよな」って。
──
涙でネズミを描いた雪舟のように。
矢野
だったら編集者も、
葉っぱとクリップがあれば本をつくれる。
──
本当ですね!
矢野
で、そうやって
言葉じゃないもので本を構成することも、
やっぱり、おもしろいなと思います。
──
森山大道さんの本も担当されていますね。
矢野さん、そういえば。
矢野
だから、写真集も好きなんです。
言葉じゃないもの‥‥でできているから。
とくに銀塩写真にはマジックを感じるし。
──
石内都さんの展覧会の会場で流れていた
動画を見ていたら、
大きなプリントを洗っている途中、
端っこをちぎって、舐めていたんですね。
後日ご本人にうかがったら、
「薬品が抜けたかどうか確認してた」と。
矢野
なるほど。
──
その説明を聞いて、フィルムの写真とは
肉体的感覚で確認するものなのかと。
やっぱり、デジタルとはまったく別物の、
いわば「立体作品」なんだと感じました。
矢野
うん、うん。
──
で、それらを、選んで、綴じて、
本にしようと思ったときに
編集者の出番がくる。
選んで、綴じる‥‥が編集だという考えは、
とにかく、おもしろいです。
矢野
綴じる前は、無限の可能性があるんです。
で、その無限の可能性、選択肢の中から、
編集者の感覚と判断と責任で選び、
クリップで留めたとき、何かが確定する。
──
不可逆的に。
矢野
そうです。これより前にはもう戻れない。
ある物語や情報、概念の体系というかな、
そういうようなものが、
その時点でうまれてしまったっていうか。
──
エントロピーをつなぎとめる、みたいな。
ほうっておいたらバラバラになっちゃう
物語や情報や概念を、
本というかたちで、
一時的に、あるいは永遠に、
つなぎとめる人が、編集者である‥‥と。
矢野
とにかく「選んで束ねる」という作業が、
極めて重大なんだと思うんです。
で、それを人に「伝える」ところまでが
編集の仕事です。
以前に、村上龍さんとキューバに行って、
キューバ音楽の本をつくったんですね。
──
ええ。
矢野
本ができてから、
書影を拡大した巨大なボードを、
体の前と後に首から下げて、
各地のキューバ音楽のコンサート会場で、
こういう本がありますと叫んだんです。
──
あ、売ってますよ‥‥って?
矢野
そう。その経験が、ものすごく、
腑に落ちること‥‥だったんですよ。
これは、編集者として
きわめて重要な行為なんだと思えた。
選んで、束ねて、綴じて、印刷して、
読者が
お金と交換する場所への筋道をつける。
──
はい。
矢野
編集者って、おもしろいですよ。
そのすべての場面に関われるんだから。
──
自らサンドイッチマンとなって、
本を片手に叫んで売るところ‥‥まで。
矢野
そうです。本当に。そこまで関われる。
キューバ音楽のコンサート会場なんて、
その本にとって
これ以上、幸せな場所はないですから。

(終わります)

2021-10-15-FRI

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  • 応募総数2396篇!
    最新の『新潮』は新人賞発表

    矢野優さんが編集長をつとめる
    文芸誌『新潮』の最新号は、
    第53回を数える新潮新人賞発表号です。
    「小説の未来のために
    編集部の総力をあげて取り組んでおり、
    2396篇の応募作すべてを
    検討する作業は
    『業務』『損得』というよ
    『文学の営み』という感じです」
    (矢野さん)
    2396篇!
    物語が、全国から、そんなにも!
    いつもながら、表紙もかっこいいです。
    誌名を手がけたのは大竹伸朗さんです。
    Amazonでのおもとめは、こちら