若くして老舗の文芸誌『新潮』の編集長に
抜擢された矢野優さんは、
東浩紀さんの『存在論的、郵便的』をはじめ、
阿部和重さんの
『インディヴィジュアル・プロジェクション』、
平野啓一郎さんの『日蝕』など、
いくつもの、個人的に思い入れの深い作品の
担当編集者でもありました。
矢野さんのようなすぐれた編集者は、
輝く才能を、どうやって見極めているのか?
矢野さんにとって「物語」とは?
編集とは「選んで、綴じる」ことであり、
それは脳と肉体が一体化したな営みだ‥‥等々。
とにかく、刺激に満ちた2時間でした。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>矢野優さんのプロフィール

矢野優(やの・ゆたか)

1965年生まれ。1989年、新潮社に入社。「ゼロサン」編集部、出版部(書籍編集)を経て、2003年より「新潮」編集長をつとめる。担当書籍に阿部和重「インディヴィジュアル・プロジェクション」、東浩紀「存在論的、郵便的」、平野啓一郎「日蝕」など。「新潮」では、大江健三郎「美しいアナベル・リイ」、柄谷行人「哲学の起源」、筒井康隆「モナドの領域」などを担当。

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第4回 2020年の日記特集。

──
雑誌から書籍の編集部に異動して、
そのあと
現在の文芸誌『新潮』の編集長に。
矢野
自分としては、単行本の編集は
一生できる仕事だと思っていました。
ただ、説明が難しかったので、
会社には、
「占いの人に天職だと言われた」と、
そういう意思表示をしてたんですが。
──
占い!(笑)
矢野さんが編集長に抜擢されたのは、
そうとう若い時期ですよね。
たしか、まだ、30代とか。
矢野
そうですね。
──
矢野編集長を評して、
オーソドックスな文芸編集者として
文学界を牽引しながら、
革新的な挑戦も辞さない人でもあり、
つねに新しい価値観を提供してきた
名編集長なのである‥‥と、
元『考える人』編集長の
河野通和さんがおっしゃってました。
以後20年近く務めておられますが、
話があったときはどう感じましたか。
矢野
自分に務まるとは思えませんでした。
どう考えても。
つまり大きなハードルが2つあって、
ひとつは、
一度も文芸誌を経験してないこと、
もうひとつは、
「長」のつく役職がはじめてだったこと。
──
なるほど。
矢野
なので、異動はわかりましたが、
いち編集者として行かせてほしいと、
会社に伝えたのですが、ダメで。
せめて副編集長ならって言ったけど、
それもダメでした。
──
あくまで「長で」‥‥と。
そうやって文芸誌の編集長に就かれて、
誌面をつくっていく方針とか、
どんなふうに発想していったんですか。
矢野
揺るぎないフォーマットというものが
あるんですね、文芸誌には。
文学の歴史に名だたる作家陣もいれば
多くの優れた寄稿者もいる。
そうやって長年、築き上げられてきた
『新潮』のイメージを、
いきなり塗り替えるのは困難ですから、
まずは、
ビジュアルイメージから変えたんです。
──
いや、大事ですよね、イメージ。
最近でも、講談社の文芸誌『群像』や
河出書房新社の『文藝』が、
リニューアルで話題になってましたし。
矢野
ぼくのときは、当時、好きだった
英国のファッションフォトグラファーの
ニック・ナイトさんが、
イギリスの植物園にあった
絶滅寸前の植物の写真を撮ってたんです。
その絶滅植物がカッコよかったので、
表紙に使わせていただきました。
少し、シニカルな意味もありますね。
──
編集長の交代には、
さまざまな理由があると思いますが、
矢野さんのときは、
何か、説明とかってあったんですか。
矢野
若い血を入れたいということですね。
役員に呼ばれ、
「好きにしていい」と言われました。
「判型を変えてもいい」
「月刊を季刊にしてもいい」
「誌名を変えてもいい」‥‥。
──
えええ。
そんなにいろいろやっちゃっていい。
矢野
「出すのをやめてもいい」とも(笑)。
──
何と、そこまで‥‥!
逆に「こうしてくれ」という要望って、
なかったんですか?
矢野
きみに任せる、というだけでした。
──
ひゃー‥‥その役員の方もすごいです。
『新潮』と言ったら
日本初の本格的な文芸誌なわけですが、
それを「出すのをやめてもいい」って。
矢野
まったくの実話で一切盛っていません。
正直、ビックリしました。
──
やめはしなかった‥‥けれども。
矢野
やめませんでした(笑)。
──
やめられませんよね(笑)。
最近の『新潮』では、
2021年3月号の「日記」の企画が
すごみがありました。
蓮實重彦さん、柄谷行人さん、
筒井康隆さんなどの大御所の方々から、
ブレイディみかこさんや、
滝口悠生さんなど話題の作家さんまで、
52人もの作家・著名人が、
2020年の1年間、
おひとり1週間ずつ「日記」を書いて、
それを一挙掲載する‥‥という。
矢野
ええ。

──
まずは、発想がとんでもないですよね。
先ほどブレーキをかけてるのかもって
おっしゃってましたが、
まったくノーブレーキのフルスイング、
みたいな企画ですよね。
矢野
そう言ってもらえると、うれしいです。
──
新型コロナで外出自粛していた時期に
「何をしていましたか?」
みたいな本って何冊か出ましたけど、
52人もの作家が、
2020年というとんでもない年の
365日の記録を手分けして残す‥‥
というのは、
ちょっと意味あいがちがってますよね。
矢野
あれ、2020年1年間の日記だから、
企画が動き出したのは
「2019年の年末」だったんです。
──
あ、つまり「コロナきっかけ」じゃ‥‥。
矢野
ないんです。
新型コロナが来るって知らないんです。
ただ、オリンピックの年だってことは
わかっていた。
結果的に延期されちゃいましたが、
とにかく、
世の中がワサワサしそうな年になるし、
日記特集をやろうか‥‥って。
──
つまり、2020年が、
パンデミックの1年になると見越して、
企画したわけじゃない。
しかも、増刊でもなくて、
文芸誌『新潮』の通常号なんですよね。
矢野
そうですね。
ぼくは、あれも文芸だと思っています。
文芸とは何か‥‥って、
わかりやすいところでは「小説だ」と
言われるわけですけれど。
──
ええ。
矢野
言葉を使って表現しているものすべてが、
ぼくには「文芸」だと思えます。
だから、おもしろい人が言葉を使って、
おもしろい日記を書いてくれたら、
それしか載っていなくても、
「文芸誌」と呼んで一向にかまわない。
──
なるほど。
矢野
とにかく、言葉を使った表現をするとき、
「文芸」という言い方が、
いちばん包括的な概念だと思っています。
だから日記も、もちろん、文芸なんです。
──
この企画、準備がえらい大変ですよね。
1年って52週あるから、
まずは52人の文芸的表現者を選んで、
ひとりひとりに、
何月何日から何日までお願いしますと。
矢野
もちろんチームで当たりますが、はい。
──
さらに「日記」だから、
原稿をまとめて書いてもらうってことも、
できないわけですし。
矢野
何月何日からの筆者をぼくが決め忘れて、
その日が過ぎてしまってから、
あとから、
遡って日記を書いてくれませんか‥‥と
お願いしたり‥‥もありました。
原稿用紙5枚でお願いしているんですが、
詩人の吉増剛造さんからは
B4の原稿用紙1枚しか送られてこなくて、
戸惑いながらパソコンで打ち直したら、
原稿用紙20枚分のテキストだった、とか。
ようするに1文字が数ミリの手書き文字で、
最初、ぜんぜん読めなかったんですよ。
──
はああ‥‥数ミリ!
原稿のスタイルも、作家さんそれぞれで。
複数の人の日記をまとめるという発想は、
これ以前も、やっていたんですか。
矢野
はい、過去に何回かやってるんですよ。
──
あ、そうだったんですね。
すみません、不勉強で知りませんでした。
ちなみに、1回めというのは‥‥。
矢野
2009年です。その次が、2011年。
──
‥‥震災の年。
矢野
そうです。それも偶然だったんです。
最初に、2009年の1年間を
作家の日記で記録しようと
思いついたんです。
2008年のクリスマスの日‥‥に。
──
新年まで1週間切ってますね(笑)。
矢野
そう(笑)、実際にやるとなったら、
かなりしんどい企画なんです。
まるまる1年間という時間をかけて、
50人以上の作家と
編集スタッフを巻き込む、
大プロジェクトなので。
──
そうですよね、ええ。
矢野
そういう厄介な企画を思いついたのが、
2008年のクリスマス、
新しい年がスタートする6日前でした。
で、思いついたはいいんですけど‥‥
いったんは、
やっぱりやめとこう、大変そうだしと。
胸の内に留めておこうとしたんですが、
なぜか‥‥大江健三郎さんに‥‥
ファックスを送っちゃったんですよね。
──
もう6日寝るとやってくるお正月から、
日記を書いてください‥‥と?
矢野
そうなんです‥‥1月1日から1週間、
日記を書いてくれませんかって。
そうしたら、
すぐに「わかりました」と返事が来て。
止められなくなりました(笑)。
──
年もいよいよ押し迫ったという時期に、
向こう1年間、
おおぜいで取り掛からなきゃならない
一大プロジェクトが、うまれちゃった。
矢野
そうなんです(笑)。
──
で、出版されたのが2012年ですね。
さらに1年後。
矢野
12月31日までの日記の原稿を待ち、
1月のうちに編集して、
2月の頭に発売する予定でやってます。
──
山﨑努さんのご著書に
『俳優のノート』という作品があって、
山﨑さんが、舞台「リア王」に挑んだ
前後何年間かの日記なんです。
矢野
はい。
──
他人の日記のおもしろさを知ったのが、
あの作品でした。
池波正太郎さんの影響なのか、
山﨑さんって「朝食」とは書かないで、
「第一食‥‥」と表現するんですが、
とにかく、
物語への考察や稽古のことをはじめ、
何時に起きて何を食べた、
何時から多摩川をジョギングした‥‥
という淡々とした事実の合間に
「あの共演俳優の言葉に腹が立った」
みたいな、
山﨑さんの生っぽい感情が
あらわにつづられていたりするんです。
矢野
ええ、ええ。
──
人の日記、おもしろいな‥‥! って。
矢野
言葉による表現の、ミニマムなかたち。
その日に起こったことを書き記す。
それって、
ものを書くことの原点だと思うんです。
──
日記文学みたいな流れもありますしね。
紀貫之の『土佐日記』からはじまり。
矢野
そうそう、そこから、
一直線につながっている気もしますね。
平安時代から存在してきた、
歴史のある文芸のスタイルなんですよ。
──
結果的に、新型コロナの2020年と
東日本大震災の2011年に、
この日記特集をやっているというのが、
なんだか、すごいことですね。
矢野
とくに大災害のなかった年もあります。
だからつまらない‥‥なんてことは、
もちろん、ぜんぜんないんですけど。
ただ、歴史的に大きな出来事が、
偶然にも、
文芸誌の特集に、刻まれてしまった。
その意味で印象深かったのは、
やっぱり東日本大震災の年と、
2020年のパンデミックの年ですね。
──
いやあ‥‥おもしろいです。
ちなみに、矢野さんって、
天文学や宇宙物理学も好きなんですか。
矢野
あ、このTシャツ?
──
はい、相対性理論っぽいなーと(笑)。
矢野
そうそう、「っぽい」だけなんですよ。
これもいちおう
自分の編集物だと思って着て来たんです。
背中には「チマッタ」と書いてあって、
「やっちまった」の
「チマッタ」なんですけどね。
──
ええ。

矢野
これは、おっしゃるように、
アインシュタインの「E=MC2」の
指数部分の「2」がない。
だから「E=MCチマッタ」Tシャツ。
これ、大竹伸朗さんの書き字なんです。
チャットしていて盛り上がって、
Tシャツにしたらおもしろいよねって。

──
で、本当につくっちゃった。
矢野
大竹さんと親しい坂本龍一さんとか、
着ていただきたい人に送りました。
無理やり言えば、
つくる人といっしょに生み出したアイディアを
アウトプットした作品で、
これも編集者っぽい仕事だよなと。
大竹さんの文字で、
ぼくの痕跡はどこにもないですし。
──
そこも「黒子」の編集者っぽい。
矢野
ただ、こちらから声をかけた人にしか
届いていないから、
版元から読者を指定するみたいな感じ。
ほしいと言われても売らないけど、
着る人はこっち側で指定しますという
傲慢なスタンス(笑)。
ただ、サイズ感は重要だから、
送る前に確認をしているんですけどね。
──
ははは、なるほど。
勝手に着る人を決めて送りつけるとか
全体的には乱暴気味なのに、
サイズはちゃんと確認してますんでという
ワンクッションが、
プロジェクト全体をおもしろくしてますね。
矢野
だって、サイズの合わないTシャツなんか、
着たくないだろうと思って。
──
そういう気遣いも編集者らしいです(笑)。

(つづきます)

2021-10-14-THU

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  • 応募総数2396篇!
    最新の『新潮』は新人賞発表

    矢野優さんが編集長をつとめる
    文芸誌『新潮』の最新号は、
    第53回を数える新潮新人賞発表号です。
    「小説の未来のために
    編集部の総力をあげて取り組んでおり、
    2396篇の応募作すべてを
    検討する作業は
    『業務』『損得』というよ
    『文学の営み』という感じです」
    (矢野さん)
    2396篇!
    物語が、全国から、そんなにも!
    いつもながら、表紙もかっこいいです。
    誌名を手がけたのは大竹伸朗さんです。
    Amazonでのおもとめは、こちら