フリーの絵本編集者として、
数々の絵本を世に出してきた土井章史さん。
土井さんが主宰するワークショップ
「あとさき塾」では
荒井良二さんや酒井駒子さんも学びました。
おかしが1個しかなかったとき、どうする?
「はんぶんこ」じゃ「やりすぎですね」と
土井さんはおっしゃいます。
ふつうは「はんぶんこ」って言いそう‥‥
どういうこと!?
もう何百冊も
ちいさな子ども向けの絵本をつくってきた
土井さんの真意に、納得しました。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>土井章史さんのプロフィール

土井章史(どい・あきふみ)

フリーの絵本編集者。長く吉祥寺にあり、現在は西荻窪に移転したトムズボックスを経営。絵本や絵本関連書籍をあつかう。1957年、広島市生まれ。現在までに300冊を超える絵本の企画編集に携わってきた。また、絵本作家の育成を目的としたワークショップ「あとさき塾」を小野明さんとともに主宰、絵本作家の育成に力を入れている。荒井良二さんや酒井駒子さんも「あとさき塾」の出身です。トムズボックスのホームページは、こちら

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第4回 はんぶんこじゃ、多すぎる!

──
土井さんが、子どもに目線を合わせて
絵本をつくってらっしゃるのは、
絵本編集の仕事をはじめて、
いろいろ考えて、そうなったんですか。
土井
うん、さっきの長さんの話がきっかけ。
──
さっきの話‥‥というのは、
長新太さんに、ご自身の絵本のなかで
とくに好きな作品はと聞いたら、
ちゃんと
子どものためのエンターテイメントに
なっていて、
かつ、なかでもよく売れている
『ぼくのくれよん』と
『キャベツくん』を挙げた‥‥という。
土井
そう、子どもがよろこぶ
エンターテインメントの本をつくりたい、
それも、
大好きになってもらえるやつを‥‥って。
正しいことを描いた本じゃなくて、
おもしろい本をつくりたいと思っていた。
──
正しいことを描いている本の場合には、
子どもの目線じゃなく、
大人の目線で描かれる感じですもんね。
土井
そう。子どもたちは、
みんな仲よくしなきゃダメですよなんて、
大人が、頭ごなしに教えるような絵本は、
ぜんぜん好きじゃない。
長さんは、子どもと同じ目線で遊ぼうよ、
よりもさらに低い目線で、
子どもを崇めていたってくらいの人です。
──
崇めていた!
土井
ぼくも、いつかは、
そういう目線を持ちたいと思うんだけど、
なかなか、むずかしいよね。
でも、大きくなったら、
消防自動車になれると思ってるやつらは、
やっぱり、すごいやつらなんだよ。
──
本当ですね‥‥。
土井
そういうやつらなわけだから、
やっぱり敬う目線‥‥っていうのかなあ、
崇めるくらいの態度で、
絵本はつくった方がいいんじゃないかな。

──
長新太さんの絵本つくりの姿勢にふれて、
そう、思ったんですか。
土井
うん。子どもたちに対して、
やつらはおもしろいと尊敬するような。
そんなふうには、なかなかなれないけど、
なれたらいいと思わない?
──
思います。
土井
これは、よく言われることだけど、
赤ちゃんの持ってるモチベーションって、
本当に、ものすごいものですよね。
生きる‥‥なんて「意識」はないけれど、
存在全体で生きている人たち。
──
ええ。
土井
生きるとも思ってない人たちだよ(笑)。
そういう生きものは、
やっぱり、おもしろいなあと思うんです。
どうして彼らは笑うのかという話ですよ。
「いないいないばぁ」すれば、
赤ちゃんみーんな、笑ってくれるでしょ。
──
はい。
土井
誰かに笑い方を教えてもらわなくたって、
彼らは
最初から「笑う能力」を持って、
この世界に生まれてきたわけですよね。
で、笑うと、親がよろこぶ。
親は、ますます子どもがいとおしくなる。
ねっ。
──
そうです。まさに。
土井
なら、ちゃんと育てようかと思うわけで。
あらゆる人間の赤ん坊が持って生まれた
「笑うことのできる能力」を、
仮に「ユーモア」って言うとしてみよう。
──
はい。ユーモアを、そう定義してみる。
土井
で、その一方で、
お笑いの人の「ギャグ」みたいなのって、
あるていど、
人生の経験値がないとおもしろがれない。
赤ん坊は、ギャグでは笑えないでしょう。
──
はい。
土井
だから、そういう意味で、
絵本はユーモアを追求するものだと思う。
赤ん坊の「笑うことのできる能力」を。
一生懸命に。
──
ギャグではなく、ユーモアを。なるほど。
それが絵本。
土井
大人になってからも
その「ユーモアのセンス」っていうのを
持っていたほうが、
より豊かな人生を送れるんじゃないかな。
上とか下とか言いたいわけじゃないけど、
ユーモアって、
尊い芸術なんかにも含まれてるわけだし。
──
人間を、助けてくれるものですよね。
ただ楽しいだけじゃなくて、
つらい状況や大変な状況にいる人を、
助けてくれるものだと思います。
土井
そうですね。
だから、子どもが生まれつき持っていた
笑う能力、よろこぶ能力って、
ぼくたち人間にって、とても大切なもの。
そういうものだからこそ、
ぼくら大人も、ユーモアというものを、
あんまり
ないがしろにしない方がいいと思うんです。
──
絵本は、ユーモアに訴えかけてきますね。
大人が読んでこそ、
おもしろいなあって思えることもあるし。
土井
そうそう。
ただただ大衆のウケを狙って、
大人が人気取りで出すような絵本には、
ぼくは、ユーモアを感じない。
そういう絵本って、
たくさんあるような気もするし、
そういうものには、興味がない。
──
あの、突然ですが、自分は大学時代に、
ヴェトナム戦争の勉強をしていたんです。
土井
えっ、ヴェトナム戦争。
──
先日、その大学の恩師に聞いたんですが
戦争のせいで、ヴェトナムには、
絵本作家が、あまりいないそうなんです。
なので、絵本自体もあんまりない‥‥と。
土井
ああ。
──
今日、土井さんのお話をうかがっていて、
日本では
「年間1000冊」も絵本が出てるのに、
そういう国もあることを思い出しました。
絵本がうまれない状況って‥‥と言うか。
土井
それは、ちょっと難しい話でもあるんだ。
だって、ぼくらが子どものころにも、
絵本を読んでもらった記憶はないからね。
──
あ、そうですか。
土井
だって、岩波の子どもの絵本って、
昭和28年、1953年に出たんだよ。
そのあとに福音館が昭和31年、
1956年ごろから絵本を出しはじめた。
そこから、
どんどん絵本の業界が大きくなったけど。
──
なるほど、じゃ、それまでは‥‥。
土井
いまのいわゆる絵本は、なかったんだよ。
では、それ以前に何があったかって話で。
──
ええ。
土井
つまり、それ以前、絵本はなかったけど
昔話とか民話があったんだ。
伝誦(でんしょう)、というかたちでね。
──
口から耳へ伝える物語。
土井
そうそう、ぜんぶが「話しことば」でね。
ぼくなんかは、ばあさんのフトンの中で、
浦島太郎を聞いて育ったわけ。
絵本じゃなくて、伝誦の物語を聞いてね。
──
はい。
土井
だから、ヴェトナムのように
絵本作家がいなくて絵本のない国でも、
昔話が伝誦で受け継がれていれば、
あんがい、大丈夫かもしれないと思う。
つまり、昔話も絵本も、
同じ親子のスキンシップのツールだから。

──
ああ、なるほど。
土井
重要なのは、スキンシップだから。
──
ツールのほうではなく。
土井
人間も動物も同じだなあと思うんだけど、
子どもにとっては、
親とのスキンシップがとても重要だよね。
ぼくはここへ戻ってくればいいんだ‥‥
という安心感を、身体で感じること。
そのことが絵本という「物体」より重要。
──
スキンシップさえ、ちゃんとしていたら、
必ずしも、絵本じゃなくてもいいと。
土井
問題ないと思う。あくまで絵本はツール。
それに「商品」としての絵本は、
それなりにおもしろくて、
いいお話にしなくちゃいけないんだけど、
親が子どもに聞かせるお話は、
もっと、いいかげんでもいいんだと思う。
──
ああ、たしかに(笑)。
でたらめの話を即興でつくっちゃっても。
土井
そうそう、寝る前にフトンの中で、
子どもに「ママ、お話して」と言われて、
本棚へ取りに行くのも面倒くさい、
読むのも面倒くさい、そもそも真っ暗。
──
ええ(笑)。
土井
で、適当な話をするわけです、世の親は。
それで、ぜんぜん問題ないと思う。
──
それこそ、スキンシップそのものだから。
土井
そっちの方が、いいかもしれないくらい。
──
フトンから出たくないお母さんが、
即興で考えた、でたらめなお話のほうが。
いいなあ(笑)。
土井
まあ、いちおう絵本を商売にしてるから、
いいお話を、おもしろいお話を‥‥
とかふだんは言ってるけど、
重要なのは何だろうって考えたら、ねえ。
──
親子が、ふれあうということ。
土井
そのツールとして絵本があるってことは、
絵本編集者としては、
とっても、うれしいことなんですけどね。
──
絵本に関わっている人に話をうかがうと、
子ども向けの絵本は、
「教育的なものであるべきじゃない」と、
みなさん、おっしゃるんですね。
土井
うん。
──
いまの土井さんのお話も、本当にそうで。
「適当でいい」わけだから(笑)。
土井
ようするにね、
「ここに、お菓子がひとつだけあります。
はんぶんこして友だちにあげましょう」
なんていうのは、
子どもにとってはやりすぎなんです。
──
半分だと、やりすぎ?
土井
やりすぎ。大人の価値観では、
「はんぶんこしなさい」って言うけどね。
子どもからしたら、
絶対に「イヤ」なんですよ、半分なんて。
──
そんなにあげたくない!
たしかに、そうですね。
土井
でも、はんぶんこはイヤだけど、
「ほんのちょっとだけならあげようかな」
なら、子どもにも思えるんです。
で、そこまでいったら、御の字なんです。
それが、絵本のお話なんだと思う。
──
道徳の教科書では「はんぶんこ」だけど、
絵本では「ほんのちょっと」でいい。
土井
そういう心持ちに、させられるかどうか。
それが、絵本の物語だと思うなあ。
──
おもしろいです。
やっぱり道徳や教訓めいた話なんかとは、
別のものだということですね。
土井
そうだと思う。
──
道徳では、半分にしろって言いますから。
土井
子どもが「あげるよ」って言うときって、
絶対「半分」じゃないよ。
子どもは、ひとりじめの人種なんだもん。
──
自分の子どもを見てても、そうです。
土井
ヘンゼルとグレーテルみたいな、
天国みたいなお菓子のおうちがあったら、
みんなで食べようとか思わない。
子どもはみんな、ひとりで食べたいんだ。
それが、子どもたるゆえんなんです。
──
はい。
土井
でも、自分のとなりに、
おなかが減って食べたそうな子がいたら、
しょうがない、ちょっとあげるか‥‥
というところまでが絵本のお話なんです。
──
はい、とても納得しました。
たしかに、子どもを見ているとそうだし、
はんぶんこじゃなくても、
ちょっとでも「あげるよ」って言えたり、
そういう気持ちが見えたら、
それだけで大人はうれしいものですよね。
土井
そうなんだよね。
半分にしなさいって押し付けちゃうのは、
あんまりいいことじゃない気がする。
──
ええ。
土井
絵本の中のお話に何かを感じて、
すこしでもわけようという気持ちになる。
そうやって、社会性を育んでいく。
子どもには、
はんぶんこまで期待しない方がいいよね。

(つづきます)

2021-10-07-THU

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  • 土井さんからのおすすめ絵本は
    長新太さんの『ぼくのすきなおじさん』

    土井さんは、長新太さんの絵本を残そうと、
    絶版になった作品を復刻することを、
    ひとつの使命として、活動されています。
    今回、ぜひおすすめを‥‥とお願いしたら、
    こちらの作品をご紹介くださいました。
    「ナンセンスを伝えるためにうまれた
    独自の絵!
    センス、ユーモア、それは、もしかして
    日本独自のものかもしれない‥‥と、
    わたしは、やんわりと、ひそかに思っている。
    長新太作絵の『ぼくのすきなおじさん』は、
    かたーーーーーいあたまのおじさんの話です」
    (土井さん)
    Amazonでのおもとめは、こちら