HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
ひと粒の麦から。
        皆川明(ミナ ペルホネン)✕糸井重里

        オリジナルのテキスタイルをつかった、ていねいな服作りで
        たくさんの人に愛されるブランド「ミナ ペルホネン」が
        今年で20周年をむかえました。
        ほぼ日手帳とのコラボも、5年目となります。
        
        20周年を記念して
        東京・青山のスパイラルホールで開催された
        展覧会「1∞ミナカケル」展では
        デザイナーの皆川明さんと糸井重里との
        トークイベントが開かれました。
        
        ほぼ日手帳が始まった「きっかけ」や
        服をつくる仕事でずっと大切にしてきた考え方など
        じっくり、自由に語り合ったふたりのトークを
        全5回でお届けします。

		第2回 
		しるしにしかすぎないもの
皆川
僕、ほぼ日手帳って、
他のものにたとえると、
ポルシェっぽいなと思っているんです。
糸井
ほおー。
皆川
今回はノートの方眼がこうなります、とか
タグのつけ方はこうなります、とか
気づかないんじゃないかってぐらいの
細かい変更があって、
毎年どんどんブラッシュアップしていく。
車にたとえたら、ポルシェっぽい感じがするなと。
糸井
なるほど。
皆川
姿は大きくは変化しないのに、
なかは常に見直しが入ってるというところが
おもしろい。
これは、糸井さんが、
意図してそうされてるわけですよね。
糸井
たぶん皆川さんも、突っ込んで聞いてくと、
同じ答えを言うような気がするんですけど、
服であるとか、手帳であるとか、
他にもいろんな商品がありますけど、
それって、それ自体を売ってるように見えて、
そうじゃないんですよね。
ミナの服だったら、ただ服を売ってるんじゃなくて
服を着て街を歩いてるっていう「軌跡」までも
売ってるっていうか。
皆川
ああ。
糸井
たとえば街で
「今、ミナを着た人が、通り過ぎたね」って
言った人がいたとしたら、
その「『通り過ぎたね』と言った人」も
商品のなかに入ってる。
ミナを好きな人どうしがいる環境ができてる。
それと同じで、僕も
手帳をどう改良するかっていうのは、
ある種のたのしいおまけだと思ってるんですよ。
皆川
おまけですか。
糸井
いくらでもよくできるはずだから、
それはしようぜと。
で、多少失敗したら戻ろうぜと。
でも、それより、
よくすることによって、使ってくれる人の可能性が
どう増えていくかっていうことのほうが
僕らの手帳らしさなんだと思っているんです。
ですから、いろんな手帳があるけど
「ほぼ日手帳じゃなきゃ」って
言ってくれる人はいるんですね。
それはとてもうれしい。
皆川
うれしいですね。
糸井
ほぼ日手帳を持ってる知らない人どうしが、
偶然会って、挨拶してくれたりもするらしいです。
ふつう、かぶると嫌なんだけど、
ほぼ日手帳だと「あっ、あなたも」って。
とくに、「ミナ ペルホネン」✕ほぼ日手帳っていう
場合には仲のよさが増しますね。
かけ算になってますからね。
皆川
そうですね。
糸井
だから、僕らは
手帳を売ってるっていうよりは、
「今年もいい年になりますように」っていう
手帳を持ってる人の
「LIFE(ライフ)」そのものを売ってるような
気がするんですよね。
皆川
はじめはベーシックなほぼ日手帳を使っていても、
そのうちカズンとか、WEEKSとか、
だんだん自分の生活に合ったものが
見つかっていったりするところも
僕たちのものづくりと
似ているかもしれないな。
今回この技法を使ってこういう表現をしたから、
次はあんなことができるかもね、みたいに
枝葉が伸びてく感じがありますよね。
糸井
うん。何だろう。
いちばん小さく考えてしまえば、
僕ららしい手帳って
「しるし」にしかすぎないもの、なのかもしれない。
皆川
しるし。
糸井
しるしとか、名前とか。
たとえば、自分の名前って
どこにもないじゃないですか、ものとしては。
だけど、皆川さんだったら
「皆川さん」っていう名前がないと、
皆川さんはないですよね。
皆川
そうですね。
糸井
だから、ほぼ日手帳を持っているからって、
あるいは、ミナの服を着ているからって、
本来の自分以上にならなくても、全然かまわない。
手帳を持ってることや、服を着ていることを
たとえ忘れちゃってても、
なんかこう、うれしさだけは残っている。
そういうものになってくのが、夢なんですよね。
皆川
ええ。
糸井
花火や映画を観たっていうのと同じかもしれない。
花火って、ドーンと打ち上がって、バーンと消えて、
「それで終わり」でいいですよね。
音やら周りの歓声やらも含めて、
「あの感じ」を売っているんです。
皆川
なるほど。
糸井
ほぼ日手帳とか、ミナの服も
その「感じ」というか、心のやりとりの部分を
売っているのかもしれないですね。
服や手帳そのものよりも、
「これは捨てられないの。大事にしてるの」
っていう気持ちを持ってもらえるほうが
僕にとっては意味があるんです。
皆川
糸井さんにとって、
ほぼ日手帳は14~15年継続してきたものであり、
これからも続いていくものだと思うんですけれど、
もし、ほぼ日手帳っていうものがなかったら、
糸井さん、何をされてましたかね。
糸井
たとえば、右の腕がなくなったら、
左腕や足が器用になるとか、
何かが発達するんだと思うんですよね。
でも、右の腕がないことで、心がやられちゃってたら、
他の手足も手伝ってくれないんですね。
だから、僕としては
「ほぼ日手帳がなくても
それ以上の素敵なものをつくって
もっとたのしくがんばっているはずだ」
って答えたいんですけど、
ほぼ日手帳がなくて、
心が強くいられたかどうかっていうのは、
わからないっていうのが、正直な答えですね。
皆川
だとしたら、
ほぼ日手帳を作ろうって15年前に思ったのは
すごいことですよね。
糸井
ラッキーです。
皆川
「思い」との出会いですね。
糸井
そうですね。
手帳を作ろうっていう
アイディアがすばらしかったというよりは、
それを「育てよう」っていう気持ちのほうが
すばらしかったような気がする。
だから、皆川さんが
他の職業でお金を稼いでご飯を食べてるときに、
洋服を作ろうと思いついたのは、
単にひとつのアイディアだったわけで。
そこから、洋服をどれだけ「育てる」か、
なんですよね。
いまでは洋服からの枝葉さえも育ててるわけで、
そこはもう、ひと言でいえない、長編の物語ですね。
皆川
やっぱり自分も偶然のように服に出会って。
糸井
ああ、「偶然」っていう感覚なんですね。
皆川
はい。
結局、最初に歩き始めた道は、
その先に何があるかわからなかったけれど
歩きながら、その道の行き先を想像したりとか、
それまでの道のりを記憶したりっていうことが
自分のなかでたのしくなったり、
人生にとって大事になってきた
みたいな感じがあります。
糸井
ええ。
皆川
僕も、洋服やってなかったら、何してたんだろうな。
将来は宿をやってみたいなんて、考えていますけど。
もしいま、誰かから
「洋服じゃなくて、これやりなよ」って
急に言われたとしても、
それを疑いなくやり続けていけば、
20年、30年たったころには
「やっぱりこれしかなかった」なんて
思えるようになっているかもしれない。
糸井
僕も案外、受け身なんですよね。
何か頼まれたことをきっかけに
夢中になっていったようなことが、わりと多くて。
自分から何かを生もうとしたり、
自分から「これがやりたいです」って
言えるようになったのは、
ほぼ日を始めてからなんですよ。

(続きます)
2015-09-03-THU

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