イサカ島について前回書きましたが、
そもそも私が行ってみたいと思うきっかけとなったのは
「オデュッセイア」の話そのものではなく、
コンスタンティノス・カヴァフィスによる
有名な詩「Ιθάκη」(イサキ)からです。
この島がギリシャ神話の英雄、オデュッセウスが
困難や誘惑に満ちた長い長い旅路の末、
たどり着く故郷の島ということを踏まえた上で、
この詩の中でカヴァフィスは、
君がイサカに旅立つ時、
その道が長いものでありますように。
イサカ島は目的地だが、その旅路を急ぐことは全くない。
冒険や発見に満ち、知識や経験を積む
その旅路にこそに意味があるのだ。
という内容のことを書いています。
そして結びの一文はとても哲学的で、
人生について考えさせられます。
旅路の末、たとえイサカ島が
つまらないものであったとしても、
イサカ島が君を欺いたということではない。
賢くなり経験を積んだ君は、
イサカが何を意味するのかすでに知っているであろう。
この詩を知ってから、なんというか逆説的に、
イサカ島に行って、イサカ島にはきっと
何もないだろうということを確かめたくなりました。
そして実際、イサカ島が特段派手なところもなく、
のんびりと落ち着いたところであったことにある意味満足し、
またこの詩の意味や人生について思いを馳せた旅路こそが、
この旅の醍醐味だったんじゃないかと思っています。
升ノ内朝子
2021-12-25