ほぼ日刊イトイ新聞 マーク・レイさんとの、とくに結論のない対話。ほぼ日刊イトイ新聞 マーク・レイさんとの、とくに結論のない対話。

第2回 自由の感覚 2017.01.27第2回 自由の感覚 2017.01.27

──
結局、モデル業は何年やってたんですか?
マーク
わりと長いよ。まず、ヨーロッパで4年。
そこでいったん辞めて、
10年くらい別の仕事に就いてたんだけど、
1997年から再開したんだ。
──
あ、いったん辞めてるんですね。
マーク
それからは、やったりやらなかったり‥‥
ということが続いている。

──
現在は、カメラの仕事がメインですものね。

でも、今も、話があれば?
マーク
そうだね‥‥いちばん最後に仕事したのは、
1年以上前になると思うけど。
──
ちなみに、モデルを辞めたあとの10年は、
何の仕事をされていたんですか?
マーク
主に、海外旅行をする人たちのために、
ビザやパスポートを扱う事務所に勤務した。
わりに専門性の高い仕事で、
当時はサンフランシスコに住んでいたんだ。
──
10年間?
マーク
いや、そのうちの5年くらい。
細かい話をすれば、時間がある夜などには、
ケータリングの会社で仕事をしてたよ。
──
そのときには、まだ、
カメラは、手にしていなかったんですか? 
マーク
うん、まだ。今となっては、
もっと早くやれば良かったと後悔している。
自分は本当にバカだったと思うんだけど、
カメラをはじめたのは、
さっきも言ったように2003年だったから。

──
じゃあ‥‥今から13年前。
マーク
モデルをやっている当時、
自分は、ギリシャのアテネに住んでいた。
自分としては、モデルとして、
それなりにお金を稼ぐつもりだったけど、
正直言って、
そんな簡単に仕事があったわけでもないし、
たくさんのお金を稼げたわけでもなくて。
──
さっきも言ってましたね。意外ですけど。
マーク
大金を手にするモデルなんて、一握りだよ。
それどころか、
雑誌とかエージェンシーへ売り込む写真に、
けっこうお金がかかったりするんだ。
──
それは、きちんとした写真を撮るのに。
マーク
そこで、モデル仲間どうしで、
おたがいの写真を撮りあったことがあって。
──
ええ。
マーク
友人のモデルが、僕の写真を撮ってくれて、
それは、とってもよく撮れていた。
でも‥‥僕が撮った彼の写真はっていうと、
ぜんぜん、よく撮れなくて(笑)。

──
あら。
マーク
そのときに、
もっとカメラをやってみたいなと思って、
アメリカに戻ってから、
自分でも、写真を撮りはじめたんだ。
──
そのような暮らしを続けてきたなかで、
いつくらいから、
屋上での生活が、はじまるわけですか。
マーク
うん、あなたがそういう質問をするのは
もっともだと思うけど、
自分としては、あのビルの屋上で
生活していた」とは言いたくなくてね。

──
と、言いますと‥‥。
マーク
やっぱり、自分自身の気持ちとしては、
あそこにいたのは、
一時的な「ステイ」ということなんだ。
あの場所に、たまたま、
ある期間、宿泊していたという感覚で。
──
ええ、わかります。
すみません、言葉の選びかたが悪くて。
マーク
いや、ようするに、ぼく自身としては
あくまで
屋上に「リブ」したとは思いたくない、
そういうこと。
──
はい。
そもそも「無断」だったわけでもあるし。
マーク
そうだね。それとあとひとつ、
ぼくは「ニューヨークに住んでる」んだ。
たしかに「屋上」には滞在したんだけど、
大都会でキャンプしてるって、
そういう気持ちを持って、あそこにいた。

──
マークさんにとって、より大きな事実は、
ニューヨークに住んでいること。
マーク
そう。屋上で暮らしたって気持ちはない。

事実はともかく、気持ちとしては、ね。
でも、先ほどの質問の、
屋根のない屋上に滞在するようになった、
その時期としては、
2008年の8月末か9月だと思います。
──
きっかけは?
マーク
アメリカでカメラを手にしたあと、
ふたたびヨーロッパに渡って、
南フランスで
カメラマンとして何とか生活していきたいと、
持っていたお金を、
ほとんど使い果たして挑戦したんだけど、
結局、うまくいかなかった。
──
そうなんですか。
マーク
破産とまではいかないけれど、
金欠の状態でニューヨークへ戻ってきて、
1週間か2週間、
値段の安いホステルに滞在していたんだ。
ちょうど、9月7日からはじまる
ファッションウィークの直前だったけど。
──
ええ。
マーク
そこが‥‥とにかく、ひどいところでね。
ベッドに寝ていても、
何だかダニみたいな虫に噛まれちゃって、
全身がかゆくなっちゃって、
とてもじゃないけど、
こんなところには泊まってられないって。
──
それは、ちょっと厳しいですね。
マーク
お金のない状態だったし、
友だちや家族の家に世話になるというのも、
気が進まなかったので、
そうだ、あそこがある‥‥って思いついた。
──
お知り合いが住んでいるアパートの屋上の、
少し風のしのげそうなくぼみ、ですね。
マーク
イーストビレッジにある、アパートだった。
その知り合いというのが、
ときどき、自分が何日か留守をするときに、
知り合いや友だちを泊めている人で、
ぼくも何度か、世話になったことがあって。
──
エントランスの合鍵を持っていた、と。
マーク
1980年代、若いころに
ヨーロッパをまわって過ごしていたときは、
できるだけお金を払わないで済む旅を、
いろいろ工夫していたんだ。
もちろん、いかに節約しても、
誰かの好意に頼らなければならない部分が、
あったことは、たしかだけど。
──
ええ。
マーク
で、そうやって放浪の日々を過ごすうち、
最終的には、自分は、
食べるものによりお金を遣いたいんだと、
だんだん、わかってきた。

──
衣食住のなかでは、「食」が大事。
マーク
そう、南フランス‥‥プロバンスでも、
サントロペでも、
カメラさえ茂みに隠せれば、
自分は野宿をしたって平気だと思えた。
で、そうやって宿代のお金を節約して、
食べるものだけは、
毎食、きちんとしたものを食べようと。
──
食というのは、
生きることにとっての基本ですしね。
マーク
ヨーロッパで
そういう暮らしに慣れていたものだから
ニューヨークに戻っても、
まあ、同じようにやれたんだと思う。
──
わりと自然に‥‥というか、
そこのハードルが低かったんですね。
マーク
当然、ビルの屋上に滞在するってことは、
お金が足りない、欠乏している、
ようするに
生活に困窮しているからってことに、
なるのかもしれないけど‥‥。
──
そうですね、一般的には。
マーク
でも、そうやって生活をするうちに、
人って意外に、
そんなにいろんなものがなくたって
大丈夫なんだなと思えてきた。
すくなくとも自分は、大丈夫だった。

──
いろんなもの。
マーク
みんなが持っているテレビも、パソコンも、
立派なキッチンだって、
なければないで平気になるし、
洋服にしても、限られたものがあれば‥‥。
──
そんなものですか。
マーク
もちろん、常にハッピーだとは言わないよ。

あたたかい布団で眠りたいし、
洋服だって新調できたらいいなって思う。
でも、やっぱり、
人生には上がったり下がったりがあるし、
人それぞれ、
持っているものに違いはあるけど、
自分は、人が受け入れてくれさえすれば、
生きていけるって実感したんだ。
──
屋上で滞在するうちに、そういう気持ちに。
マーク
自分が幸せだというのは、どういうことか。
そのことは、いつも考えていたから。
それに、何にも持ってなかったけど、
他の人より持っていたものもあったと思う。
──
それは何ですか。
マーク
やっぱり、「自由」ということ。
圧倒的な「フリーダム」の感覚。

──
それは、何からの自由‥‥ですか?
マーク
今月の家賃をどうしようとか、
お金の心配に悩まされることからの、自由。
そこからの自由は、誰よりあったから。

(つづきます)

  • 第1回 放浪の日々。 2017-01-26-THU
  • 第2回 自由の感覚。 2017-01-27-FRI
  • 第3回 独立心。 2017-01-28-SAT