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今日はありがとうございます。
リンさんがなぜ日本で事業をしているのか、
どんな方なのかを知りたくて来ました。
- リンさん
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これまでそういったことを取材で話す機会は
なかったので、嬉しく思いました。

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以前から、瀧澤さん(BXG広報)に
「リンはいつも真剣に日本と台湾について考えている」
と聞いていて。社会的な視座を持ったデザイナーさん
なのかなと想像していました。
- リンさん
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社会学者でもないのに、いつも分析しています。
日本と台湾の文化の違いを比べるとおもしろいんですよ。
例えば……。
(タブレットを見せてくださる)
日本は組織で動くことが多い。
台湾はどちらかといえば一人で決めて進めることが大半。
日本は本当にきちっとしていて、台湾は大雑把。
台湾では筆箱にペンが入らないとか、よくあります(笑)。
日本は時間をかけて、タネを撒いて根を張らせる。
台湾は花をパン! と大胆にさす。
どっちがいい悪いではなくて、
それぞれにいいところがあると思います。
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同じアジアの島国なのに、違うものですね。
リンさんは台湾で生まれ育ったのですか?
- リンさん
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はい。台湾の南の高雄というところで生まれて
高校まではずっとそこで暮らしていました。
高校卒業後の4年間は台中の大学で過ごしたので、
日本に来たのは大学院に入ってからです。
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- 台中の大学では、やはりデザインを?
- リンさん
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そうですね。
昔から絵を描くことが好きで、
何かをつくる大学に行きたかったんです。
大学3年生のときに、日本の著名なデザイナー、
原研哉さんや佐藤卓さんの影響を受けて。
いつか絶対日本に「社会の役に立つデザイン」を
勉強しに行くと決めました。
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それで東京藝術大学(以下、藝大)の大学院に
進学されたのですね。
最初は日本の生活にギャップもあったのでは?
- リンさん
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生活というより……、学校が壮絶でした(笑)。
他のみんながすごすぎて、誰にも勝てなかった。
私には何もないとつきつけられて。

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- 藝大に入るだけでもすごいことなのに……。
- リンさん
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日本に来るまでは、ちょっと得意になっていたんです。
当時の台湾では珍しかったデザイン事務所を友達とつくって
グラフィックの仕事を受けていたので。
でも、日本で藝大のすごさを目の当たりにして、
これまでの自慢話やプライドは全部捨てました。
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ものすごい変化ですね。
大学院では何の研究を?
- リンさん
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私の教授は研究テーマを決めない方針でした。
それよりも「藝大らしさを知ること」を求められたのです。
とにかく制作漬けの毎日で、
「藝大とは?」「デザインとは?」ということを
ひたすら考える毎日でした。
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- 慣れない外国で、その生活を2年間……。
- リンさん
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自分の至らなさだけでなく、異文化ゆえのすれ違いや
プレッシャーも大きかったです。
自分はこんなに弱かったのかと、
屋上でひとり泣いたりしていました。
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でも、「デザインをやるなら徹底的にやる」と
その2年間で決意できて。
日本と台湾のデザインについて真剣に考え始めたのも
この経験があったからです。
(つづきます)


