- たらこ
-
3歳半のときに、
「自然な成長ではカバーしきれないかもしれないから、
専門的なサポートが必要」と、ことばの教室で言われました。
- 瀧波
- そのときは、どんなお気持ちでした?
- たらこ
-
それでも深刻にとらえてなかったです。
むしろ、より専門的な機関とつながれたらラッキー!くらい。
小児科での発達検査も、あまり抵抗なく受けました。
- 瀧波
- そこで診断がでたのですね。
- たらこ
-
そうです、そう。ASD傾向があるって。
(※ASD=自閉症スペクトラム障害)
正直、ショックでした。
ことばの遅れ以外は、ギリギリ標準だと思っていたので。
- 瀧波
-
ええ。
専門家に言われると、ね。
- たらこ
-
診断は、出て欲しいような、
出て欲しくないような気持ちだったんです。
1歳半から3歳半まで2年間も、
なんかおかしいなって宙ぶらりんな気持ちで。
それもストレスというか、困ってました。
心の準備はあったはずですが、やはり、こう…。うーん。
- 瀧波
- 納得いかない、感じですか?
- たらこ
-
うん、そう。
誰かちゃんと説明してよ!って思いました。
- 瀧波
-
受け入れられない、ではなく、
説明してほしい、ですか。
- たらこ
-
そう。
一番ショックだったのは、
入園したばかりの幼稚園を変わった方がいいって言われて、
発達支援園(療育)の見学とかが、どんどん決まったこと。
娘のために選んだ幼稚園に、やっと慣れたところでした。
それを、数分間の検査だけで、転園って…納得できない。
- 瀧波
- (深く頷く。)
- たらこ
-
ほんとにASDなの?
ことばが遅いだけじゃないの?
これから経験を積めば補えるんじゃないの?
ほんとに支援園じゃなきゃやっていけないの??
もう頭の中が疑問だらけ!
でも、気が済むまで聞いてくれる場所はなくて。

- 瀧波
- それは…不安ですね。どうなっちゃうのって。
- たらこ
-
ほんとに。
娘にとっていい環境がなんなのか、判断できなくて。
それに、せっかく幼稚園の制服とかも用意したし、
少し手も離れたのに、支援園は母子通園もあって。
…こどもが大変なときに、そんな心配もしちゃった。
- 瀧波
-
そんな…
親御さんの生活に見通しがあることは、重要です。
いっきに情報と選択がふえて、しんどかったですね。
- たらこ
-
うん…娘と話してても、じわっと泣けてくるのね。
ああこれで、一般的な道からは外れたな、
今後どうなっちゃうの?って。
プロが言うんだから、
きっと支援園のほうが娘にいいんだろうけど、
頭でわかっても、心は「イヤだ!」って言ってた。
- 瀧波
- はい…。
- たらこ
-
そう思うのは、私の中に差別があるからなのかな。
ないつもりだったの。
支援園は恥ずかしいとか、普通が一番とか。
私だって、いまの時代だったら、
きっと支援が必要なこどもでした。
私はいま幸せに生きてて、それでいいのに、
娘の将来を考えると、胸が痛くて、苦しい。
- 瀧波
-
…はい。
だいじなお気持ち、お話いただき嬉しいです。
差別、ではないと、私は思います。
予想していた未来がかわったのですから、
誰でも不安です。不安、ですよ。
- たらこ
-
うん…不安、だったね。ほんと。
ああ~ほんとこの時間、デトックス(笑)。
- 瀧波
-
私こそですよ(笑)。
おツラい内容は、話さなくていいですからね。
- たらこ
-
はい!!
診断直後はこんな感じでモヤモヤしましたけど、
支援園の先生や在籍園の先生と話していくうちに、
「娘にはこれが一番の道だ。」って思えて。
ほんとにすんなり。
サポートを受けることでマイナスはないなって、
スッキリ思えたんですよね。
重度障害の子が多いイメージだった支援園も、
そんなことはなかったですし。
- 瀧波
- 「納得」が、できたのですね?
- たらこ
-
かな?
正直言えば、そのままの園にいたかったけど、
み~んなが口をそろえて、
転園したほうがいいっていうんだから、
そうなのかなって。
ちょっと受け身かもですが、
ここで私の障害受容はできましたね。
- 瀧波
-
診断を受けてから数日後ですよね。
はやいと思います。
- たらこ
-
うん、私はやっぱりどこかで、
少し気が付いていたんだと思います。
それに、障害があってもなくても、
娘が大事なことに変わりはまったくなくて。
受容で苦しんだというより、
娘に必要なものがわからなくて苦しかった感じ。
- 瀧波
- なるほど。
- たらこ
- でも、旦那の受容は、すごく難しかったんですよ。
(続きます。)
