“とくに印象に残っている出来事を、エッセイで振りかえる”。
当初はそのつもりだったけれど、
書き始めると「振りかえる」というよりは
「私は、私が、わからない」と思い込むようになった原因を
探る感覚になっている。
幼少期、交換ノート事件、先生に当たってしまったこと……
印象に残っている出来事を切り離して見つめようとしたけれど、
ここまで書いても、まだ感情をそのまま言葉にすることはできなかった。
15歳の私からのてがみ
20年間を振りかえりたいと思った理由は、2つある。
ひとつは、ほぼ日の塾で課題をするにあたって
何が好きなのか、嫌いなのか、わからなかったし、
それを「わからないです」の一言で済ませてしまっていたので
向き合って、言葉にする機会を作りたかったから。
ふたつめは、今年に入って
高校生になる直前に書いた「20歳の私へ」の手紙を見つけたからだ。
・・・
20歳の高城つかさへ
お元気ですか。
あと約2年でオリンピックですね。
大切な人はできていますか?
もしかしたら、早い結婚しているかも…?(笑)
そんなことはないと思いますが。
私はこの中2の終わり~卒業まで
考えがかなり変わりました。
『ふつう』がわからなくなって
とても苦しいときもありました。
そんなときに助けてくれた
友人、先生、そして何より家族。
きちんと感謝の気持ちを忘れていませんか。
もし忘れていたら…
これ読んだあとに、伝えてね。
(中略)
恋愛もだけど、『ふつう』にとらわれないで
生きていっていいと思うんです。
過去にとらわれず、生きてください。
ふつうなんてないんです!
例外なら、それでもいい!
気楽に、肩の力をストンとぬいて、生きてください。
かわいくなっていますか?
15歳の私は、コンプレックスだらけです。
自分のこと、もっと愛せてますか。
(中略)
幸せに過ごせていることを祈って。
2014年3月27日 午前2時10分 15歳のつかさより。
・・・
こう書かれた手紙を
「20歳になったらあけよう」と保管していた箱から見つけたのだ。
過去の私は、一生懸命考えていた。
「わからない」をなくすために。
感情を、言葉にするために。
それを20歳になった私はできているんだろうか。
できていない、いや、やろうとしていない、と思ったのだ。
自分のことを振りかえる、ということは
これまでの私が隠したかったこともさらけ出す、ということ。
当然、まだ言葉にできないことも
感情の整理ができてないことも、たくさんある。
それでも、いい。
私なりに向き合いたいと思ったきっかけをくれたのは
中学3年生の私だった。
15歳のころ、不登校になった
私は、中学3年生の2学期から学校へ行っていない。
その後は、登校が自由で、偏差値がない通信制高校へ進学した。
第1回で書いたように「学校に行くべき」と考えていたし、
ルールを守るのが当たり前だった。
それが私にとっての”ふつう”であり、
そうでない人を受け入れられなかったし、
不登校の子や、通信制高校に進学する人を
“ふつう”とは違う人だと、馬鹿にしていたこともあった。
そんななか、
同時期に部活で嫌がらせをされたり
クラスで悪口を言われたり
いろいろなきっかけはあったけれど、
“上手に”過ごすってなんだろう。
私のなかにある”ふつう”ってなんだろう。
ちいさなモヤモヤが積み重なって、
次第に学校へ行けなくなってしまった。
そして、卒業まで
先生が話し合ってくれたり、家まで来てくれたり
友達が妹に手紙を託してくれたり、
たくさんの人に助けてもらっていたのにも関わらず
すべてを無視して、ひとり家で過ごした。
具体的に何かをした、というわけでもなく
自宅で勉強をしたり映画を観たり、いろいろな過ごし方をしたけれど
私にとって、「わからない」を整理する必要な時間だったと思う。
あれから、5年
20年を振りかえるにあたって
15歳のときに書いた手紙だけでなく
小学生のころの文章を読みかえしてみた。
いまは亡き祖父に送った
「人は死んだらどうなるの?」
「わたしのとりえを教えてください」
というFAX、
将来の夢を「優等生」と綴った作文、
日常を描いた詩、
無人島を舞台にした小説まで。
毎日を重ねるなかで持った疑問。
理不尽なことへの怒り。
抗えない死への恐怖。
拙い文章ではあったけれど、その答えを探す私がいた。
「私って、どういう人間ですか」。
小学生のころは、祖父へ。
中学生のころは、担任の先生へ。
20歳になってからは、自分に問い続けている。
過去の私は「わからない」が嫌いで
「わかる」まで追求していたのに
いつの間にか私は
「わからない」で片づけることを覚えてしまっていた。
「私って、どういう人間ですか」。
私って、何が好きなんだろう。
私って、何が嫌いなんだろう。
何に感動して、おもしろいと思うんだろう。
何を嬉しいと感じて、涙が止まらなくなるんだろう。
きっと、その答えは常に変わるし、
たどりつけないことも、あるかもしれない。
でも、私は考え続けたい。
考えることを、向き合うことを
この先も続けたいと、思う。
(最後まで読んでくださり、ありがとうございました)