私はいつも人からどう見られているか、気にしてしまう。
誰かから認められたい
誰かに褒めてもらいたい
という気持ちも、もちろん持っているけれど
それよりも
怒らせていないか、嫌われていないか、
そんなことが気になってしまうのだ。
過剰な「ありがとう」と「ごめんなさい」
私の実父は、家庭内暴力をしていて
私たち双子が2歳のころ、両親は離婚。
しばらくは祖父母の家に住んで
いい思い出も、わるい思い出も、たくさん経験した。
祖母は優しい人だけれど「感謝を強いる」ところがあった。
いちど、こう言われたことがある。
「私はただ、感謝されたいの」
「ありがとう、と、言ってもらいたいの」。
何かあれば「ばあばのおかげよ」と言われていたし
「あの人に〇〇してあげたのにお礼が遅いのよね、次はないわ」
と悪口を聞かされた。
「ありがとう」のタイミングを間違えてもいけない。
何かをもらったら、
その場で「ありがとう」
帰り道に「ありがとう」
帰ったらすぐに「ありがとう」
プレゼントを使ったら「ありがとう」
次回会ったときに「ありがとう」
そして、
「ありがとう」が遅れたら「ごめんなさい」
思うような「ありがとう」が言えなかったら「ごめんなさい」。
それができた私は「いい子ねえ」と褒められたけれど
「ありがとうを言わなければ嫌われてしまう」と
顔色を伺うようになってしまった。
母への「ありがとう」
そんな祖母に育てられた母は
外出もろくにさせてもらえず、閉鎖的な空間で過ごしたと話す。
「ママは〇〇してもらえなかったけれど、
あなたたちには〇〇してあげたいと思ったの」
と、よく私たち子どもへ言った。
外へ出かけられるのも、
友だちをおうちに招くことができるのも、
『母がしてもらえなかったことを、させてもらっている』
感覚をずっと持っていたし、
母がしてもらえなかったことをさせてくれて「ありがとう」
と、ずっと言っていた。
「ありがとう」は、素敵な言葉だ。
私もよく使う。伝えると、喜んでもらえる。
でも当時は「ありがとう」を伝えたい、というよりも
『「ありがとう」と言わないと嫌われる』が強くなって
必然と「ごめんなさい」も増えた。
過剰な「ごめんなさい」で、傷つける
10歳のとき、友達を傷つけてしまったことがある。
校庭の一輪車置き場で乗りたい一輪車がかぶったとき、
相手が譲ってくれたのにも関わらず、
「ごめんね、ありがとう、本当にごめん」
と何度も謝ってしまい、
「つーちゃんって、すぐ謝るよね。
それだと、うちが悪いみたいじゃん、めんどうくさい」
と、言われたのだ。
私は「ごめんね」も言えず、ただ黙ってしまったけれど、
そのときはじめて
「ごめんなさい」を過剰に言うことは
ときに、相手を”怒る””嫌う”と言っていると
感じられてしまうのだと、気づいた。
うまく言葉にできないけれど、
「ありがとう」を何度でも言う、
「ごめんなさい」をすぐに言う
といった、
私が正しいと信じていたコミュニケーションの取り方が
他人から見たら違うのかもしれないと感じ、
ぽつんと、取り残された気持ちになった。
20歳になって、思うこと
こう育ったことを、
「ありがとう」を強要した祖母
離婚を選択した母
いろいろな人、環境のせいにすることはできる。
けれど、
祖母は、長女として誕生し、
5人の弟のお母さん代わりをしてきたから
解消されない寂しさを抱いていたのかもしれない。
母は、
祖母に”自由”をもらえなかったから、
“自由”を与えるのが、母の役割だと思っていたのだろう。
このように、祖母には祖母の、母には母の
苦しみや葛藤があったのではないか。
そう思うと、誰のことも責められない。
でも。
いまも、誰かがイラッとした瞬間が怖い。
その対象が、私でも、そうでなくても
胸がぎゅーっと、苦しくなってしまう。
いまも、5行のメールに
3つは「ありがとう」をいれていることに気づく。
ちょっとでもそっけない返事がくると
「ああ、怒らせたのかもしれない」と考えてしまう。
嫌われたくないと思うあまり、
人との距離感がつかめない私に対して
「めんどうくさい」「相性が合わない」
という言葉を残し、去られてしまうこともあるけれど
そのたびに、じゃあどうしたらいいんだろう、と
人と関わること自体が、怖くなっている。
この感覚は、小学5年生から6年生にかけて
より強くなっていった。
(つづきます)