もくじ
第1回椅子もひとを選ぶ。 2019-03-19-Tue
第2回デンマークと日本の家具。 2019-03-19-Tue
第3回「キルト工芸」だから、できること。 2019-03-19-Tue
第4回椅子という道具。 2019-03-19-Tue
第5回本物に込められた美しさ。 2019-03-19-Tue

「文章を書くこと」と「写真を撮ること」が好きです。コピーライターをしています。6月6日生まれのふたご座です。いつかテディベアチェアを買うことが夢です。

すてきな椅子と、</br>ながく付き合うこと。

すてきな椅子と、
ながく付き合うこと。

担当・栗田真希

第2回 デンマークと日本の家具。

――
森下さんのご実家は、
和家具屋さんですよね。
森下
そう、静岡でいわゆる「指物」をやってます。
――
「指物」ってなんですか?
森下
簡単にいうと、江戸時代から継承している
伝統的な木工技術でつくられた家具でしょうか。
静岡でつくるものは「駿河指物」といわれています。
――
お父さまの森下茂さん、
腕利きの職人さんだったんですよね。
森下
ええ、もう亡くなりましたけどね。
――
いまご実家の「森下木工所」は
森下さんのお兄さまが継がれてますけど、
ご自身で家具をつくる職人になることは、
考えてなかったんですか?
森下
ああ、考えてないですね。
もともと家具をやろうなんて気は、
僕にはあんまりなくて。
――
なかったんですか!
ご実家も、いまの仕事も、
家具に関係しているのに。
森下
僕は、海外へ行きたかったんです。
それで大学卒業してから新卒で、
海外の家具を取り扱う会社に就職しました。
たまたま入った会社が、
デンマークの家具を取り扱ってて。
海外のなかでも、デンマークだったのは、
いま思うとすごくラッキーなことでした。
文化とかいろいろ含めて、
デンマークのことがとても好きになりましたから。

――
その会社では、
どんなお仕事をされてたんですか?
森下
時代的に、まだ日本では
家具の輸入品があまり多くありませんでした。
そんななか、僕はデンマークに行ったり、
ほかにもイタリアやノルウェーだとかに行ったりして、
家具の買い付けをしていたんです。
仕入れて売る、という仕事をしてました。
――
じゃあ若いころから、
いっぱい海外へ行ってたんですね。
森下
そうですね、けっこう行ってましたよ。
そのうち会社からの指示で、
デンマークのコペンハーゲンに
オフィスを開くことになって。
――
森下さん、コペンハーゲンに住んでたんですか?
森下
そうそう。
――
えー! 知りませんでした!
森下
約1年半ぐらい、住んでいました。
デンマーク人のひとと私のふたりで、
買い付けのための拠点としてオフィスを開いて。
――
へえええー!
森下
ふふふ(笑)。
――
その、なんていうんでしょう、
ご実家で、森下さんのお父さまをはじめとした、
腕利きの職人さんがつくった、
一流の家具がいっぱいある環境で
育ったわけじゃないですか。
森下
はい、はい。
――
家具に対して、思い入れはあったんですか?
森下
もともと、そういう気持ちは
どこかにあったんでしょうね。
ただ、思い入れがあるというよりは、
「良さがわかってしまう」というほうが
強いかもしれません。
仕事として家具の世界に入ってから、
さらに家具を見る目が
研ぎ澄まされた感じはします。
 
あの、私の実家で作っている家具っていうのは、
まあ静岡でもけっこう高級品で……
――
そうですよね。はい。
私も大学生のときに一度、
静岡の「森下木工所」へ見学に
行かせていただきましたけど、
たんす、机、椅子……
どれもほんとうに、すばらしくて。
森下
小さいときから、
そういう家具を見て育ってるから、
なんていうのかな、わかっちゃうんですよね。
――
ははは(笑)。
 
最初の会社に入って、コペンハーゲンにも住んで、
それからすぐに「キルト工芸」転職されたんですか?
森下
いえ、デザインの勉強をしたくなって、
別の会社に転職しました。
――
あ、そうなんですね。
森下
そのあと大手の商社から
「うちの会社で家具の担当してくれないか」
と誘われて転職しまして、
そこでもまた、デンマーク家具を扱っていました。
その次が、いま働いている「キルト工芸」です。
 
約40年働いてますけど、
デンマークというのが、
会社は変わってもずっと、
僕にとってのキーワードなんです。
――
「まだ北欧家具にあまり精通していないころに
はじめて訪れたコペンハーゲンで
ウェグナーと会ったことが、生涯の私の方向性を
決定づけたような気がしています」
そういう内容のことを、
以前、森下さんが書かれている資料を見つけたんです。
森下
はい、ええ。
――
驚きました。
あの家具デザインの巨匠、
ウェグナーと会ってたんだっていう。
私は彼のデザインした椅子がいちばん好きですし、
ウェグナーっていうひとは、
もう、私にとっては歴史上の人物みたいなもので。
森下
ああ、栗田さんからすれば、そうですよね。
ウェグナーとは、僕は4〜5回会ってると思いますよ。
――
そんなに会ってるんですか!
森下
むかしはスカンジナビアファニチャーフェアっていう
いろんなメーカーが集まる家具のフェアが
コペンハーゲンのベラセンターで行われていて。
いまはこのベラセンターも移転しちゃったんだけど、
当時のその会場には、ウェグナーであったり、
ボーエ・モーエンセンなど、
有名なデザイナーたちがいたんですよ。
――
すごいですね!
私からすると、もう夢みたいです。
森下
そのフェアに行ったら、
ウェグナーはPPモブラーのブースにいて、
すごく笑顔でね、大きな手で、
めちゃくちゃ力強い握手をしてくれました。
――
ウェグナーって、どんなひとだったんですか?
森下
からだが大きくて、
やさしいおじいちゃんって感じだったね。
――
ほかの同時代の有名な家具デザイナーは、
最初から建築家やデザイナーとして
活躍しているひともいますが、
ウェグナーは木工職人から
キャリアをスタートさせていますよね。
だから職人っぽいイメージがあったので、
もっと寡黙で近寄りがたい感じかなって、
勝手に思ってました。
森下
ウェグナーは職人ですけど、
あんまりそういう寡黙な感じではなかったですね。
――
森下さんがウェグナーに会って、
生涯の方向性が決定づけられたっていうのは、
どういうことなんですか?
森下
うーん、なんていうんでしょう。
やっぱり、じぶんの実家の環境が
大きかったと思います。
うちの親父は家具職人で、
周りには若い職人さんたちが、
いつも20人くらいはいたと記憶しています。
 
そういう環境で育った僕からすると、
ウェグナーとの出会いは、
「ほんとうにいい職人さんと巡り会えた」
というよろこびがありました。
ウェグナーに、国はちがうんですが、
じぶんの実家とすごく近いものを感じたんです。
――
それから森下さんは、
ずっとデンマークの家具を
取り扱う仕事をしてこられました。
ほかの国の家具とデンマークの家具って、
どうちがうんですか?
森下
うーん、「キルト工芸」では北欧以外のブランドも、
輸入して取り扱っています。
イタリアの「カッシーナ」、「アルフレックス」、
「B&B」ですとか、どれもそれぞれ魅力があります。
――
ドイツの家具メーカーの、「ロルフベンツ」の新作発表会に
以前連れて行っていただいたのを覚えてます。
森下
ああ、そんなこともあったね。
いろんな国の家具を扱っていますよ。
国や地域によっての優劣などは、もちろんないです。
どこの国の家具もすばらしい。
ただ北欧の家具っていうのは、
基本的には「木の文化」っていうことで、
日本と共通性があるんですね。
――
ああ。はい。

森下
たとえばイタリアなどでも、木の家具はありますけれども、
もっと素材に対してアタックしていく。
対して北欧は、木の扱いかたが日本に似ています。
「木目を美しく見せたい」とか、
そういうこだわりが強いんですね。
ウェグナーも、木にこだわった代表的なデザイナーでした。
――
そうですね。それは、
ウェグナーの椅子を見ていて、感じます。
森下
そういった価値観があるから、日本のマーケットで
デンマークをはじめとした北欧の家具が
ずーっと静かに定着してるんだと思います。

(つづきます)

第3回 「キルト工芸」だから、できること。