もくじ
第1回言葉にできない「何か」をさがしに。 2019-03-19-Tue
第2回感覚をとぎすましていく 2019-03-19-Tue
第3回その人らしく生きるステージづくり 2019-03-19-Tue
第4回ぼくらが共有しているもの 2019-03-19-Tue
第5回言葉にしなくてもいい 2019-03-19-Tue

フリーランスのライター・編集者。ひとの人生に触れるインタビューが好き。琵琶湖の近くと生まれ育った首都圏、二つの拠点を行ったり来たり。

言葉をあなたに届けたくて

言葉をあなたに届けたくて

担当・菊池百合子

第2回 感覚をとぎすましていく

2019年2月23日。
OBCの発信をつうじてお顔を拝見していたとはいえ、
先生とはこのときが初対面。

「奥多摩に行くときに、ぜひお会いしたいです」と
ご連絡したところ快くOKしてくださって、
お昼ごはんを食べながらお話しました。

──
あ、はじめまして! 菊池です。
かん
こんにちは。
──
お会いできてうれしいです。
はじめましてなので、今日はかん先生のこと、
OBCのこと、うかがっていけたらなと。
かん
はい。お願いします。
──
やっぱり「かん先生」と呼びたくなりますが、
保育園でのお仕事は何年続けているんですか?
かん
そろそろ15年ですね。
大学を卒業してから同じ保育園で、ずっと。
自分が卒園した保育園でもあります。
──
小河内にお住まいのみなさんのほとんどが、
高校進学に合わせて通学のために故郷を離れるじゃないですか。
かん先生は「いつか地元に戻ろう」という気持ちは?
かん
「戻ろう」って考えていませんでした。
たまたま出身の保育園に就職することになって。
 
しばらくは都会のほうが楽しくて
奥多摩町の外に住んでいたけれど、
実家があるしこっちに住んでいるほうが通勤も楽だなって。
だから30歳過ぎですかね、小河内に戻ってきました。
──
ご実家の定食屋さんに何度かお邪魔したのですが、
ご両親のお店を継ごうと思ったことはありますか?
かん
ないですねえ。
──
そもそもご兄弟って……。
かん
4兄弟の一番下です。
兄1人と姉が2人、ぼくは末っ子。
──
ご兄弟が継ぐというのは?
かん
兄もないと思います。両親は継がせようとしていなくて。
──
そうなんですね。
かん
ぼくも、戻ってきてほしいと言われたわけでもなく。
4兄弟の中でぼくだけが小河内に戻ってきているのも、
たまたまです。
戻ってきても、地元ならではのつながりが
そこまで強くなかったですし。
──
あまり地元に「帰る」感覚もなかったのかもしれないですね。
かん
自分が生まれ育った集落には知っている人もいましたけれど、
そもそも小河内の中で集落どうしの距離があるじゃないですか。
 
だから別の集落にいたたくまくんのことも、
同じ小学校中学校だったけれど
戻ってからもあまり接点がなかったというか。
──
小河内に対して特別な思い入れが
あるわけではなかったかん先生が、
今では小河内の顔になっている。
 
その変化を知りたいのですが、きっかけはありますか?
かん
OBCをはじめる少し前から、
仕事で自分が得意なことを見つけた感覚があって。
保育園って歌や劇の発表会があるじゃないですか。
ああいう発表の場で褒めてもらえることが多くなっていったんです。
 
かん先生のクラスはレベルが高いことをしているのに、
子どもたちがこんなにいきいきとしているって。
楽しそう、すごい、って言われるようになって。
  
ああ、自分の伸ばせるところはここなんだな、と気づけた。
もともと好きだった表現の分野で得意を見出せて、
それが自信につながりましたね。
苦手なこともあるし、
できないから助けを求める場面もあるけれど、
自分が好きなところを伸ばそうって腹をくくれたというか。
──
腹をくくる。
かん
保育園の先生って地域だと顔が知られているんですよね。
ぼくがこの町で初めての男性保育士だから、なおさら。
同じ保育園の先生でも地元出身者は多くない中で、
ぼくは地元出身でつながりも多少はある。
例えば農園の方とのつながりから収穫体験をさせてもらうとか、
誰かの力を借りられるわけです。
  
じゃあ、「あの保育園には、かん先生がいる」って
思ってもらうことが自分の役割かなって。
おこがましいかもしれないんですが、「看板になる」ような。
そう思うようになってから、
気づいたら小河内以外の場所で暮らす選択肢を
考えなくなっていたんですよね。
──
OBCをはじめる前から、顔になろうと決意を固めていたんですね。
かん
でも、OBCの立ち上げのときに
自分から前に立とうと思っていたわけではなくて。
運営に関わる話が苦手で、聞いていてもよくわからない。
やることないな、おまけみたいなものかな、って思っていたら、
「キーマンでしょ」って他のメンバーから言われて。
  
表に立ってOBCの顔になる立場が求められているんだ、
それならそういう立場で頑張ろう、と思うようになりました。
だから結果的に保育園で見出した
好きや得意をOBCでもいかすようになって、
気づいたらそのまま今に至るような感じです。
──
でも、OBCで一番目立つからこそ
ガティブな反応も受け止めざるを得ないのかなって。
かん
そんなに来ないですよ。
もともと裏で何か言われていても気にならないのと、
OBCの活動ってよくわからないじゃないですか。
だから批判しにくいのかもしれない、ははは。
  
でも、早く影響力をつけたいと思っていました。
好きなことをやって自分たちが楽しく過ごすためには必須だから。
気づいたら「奥多摩にはOBCがいるよね」って思われるようになって、
「やめたら?」って言いづらくなるくらいの影響力がほしかった。
 

OBC最初の曲『だべだべロック』のサビのポーズで、
たくさんの人と写真を撮ってSNSにアップしている
「山川写真」も、イベントのチラシを置いてくれたり
ポスターを貼ってくれたりした人たちへの挨拶回りではじめました。
 
知らない人からしたら「何を目指している団体なんだ?」
「このポーズになんの意味があるんだ?」って感じだったと思います。
そもそも、「その性格でよく山川してるね」って言われるし、ははは。
──
でもOBCは奥多摩の外だけでなく、
奥多摩の中でしっかりと名前が知られていて
応援されていますよね。
かん
「こういう活動をしました」ってSNSで紹介するだけじゃなくて、
紙媒体をつくっていて。
他にも町内の無線放送を積極的に使わせていただいたり、
冊子を全戸配布したり、
そういうことは外せないよねってたくまくんとも話しています。
 
だって、そもそもOBCが出張ライブでパフォーマンスをできるのは、
奥多摩キッズたちの保護者の方々が協力してくださっているから。
一人じゃ来られない子どもたちがいるからライブが成立するので、
本当にありがたいと思っています。
 
だからなおさら、町民のみなさんにOBCの活動を知っていただきたくて。
──
OBCライブの様子を写真や動画を見ていると、
本当に子どもたちが楽しそうで印象に残ります。

舞台に立っているとき、ぼくは観客のみなさんよりも
子どもを見ているかもしれない。
かと言って、子どもが固まっていたり泣いていたりしても、
助けることはしません。歌っているからね。
怪我とかあったらさすがに助けに行くけれど、
無理にやらなくていいし、離れてもいいし、いつ戻ってきてもいい。

だって、踊れなくても動けなくても、
立っているだけで子どもって絵になるじゃないですか。
素晴らしい。子どもはその場にいるだけで十分なんだって気づいて。
まずライブに来てくれたことに感謝だし、
一緒に舞台に立ってくれたらもう大感謝。
踊ってくれたらもう立派な「まちおこしモンスター」ですよ。

──
そうだ、かん先生はよく
「まちおこしモンスターになりたい」と言っていますよね。
そういう曲もあるくらい。
かん
ぼく本人はまちおこしモンスターじゃなくて、なりたい人。
子どもたちはすでにまちおこしモンスターなんです。
まちを盛り上げようと意識しなくても、
ただ楽しく踊っているだけで無意識のうちにまちおこしをしている。
そんな存在が世の中にいるだろうかと。
 
ぼくもまちおこしを意識しなくても、
存在がまちおこしになってしまっている状態になりたい。
そんなモンスターになりたいなと。
──
かん先生も十分、ライブのときは別人というか、
普段のキャラクターから覚醒していますよね。
だって本来、どちらかといえばおとなしいタイプですよね?
かん
そうですね。
ぼくは腹をくくる才能があるのかもしれない。
 
憑依っていう言葉が好きで。アーティストって憑依じゃないですか。
それに近づけたらかっこいい。半端にやるとかっこ悪いから。
笑いを狙いたいわけでもなくて、ただ一生懸命歌って踊っているだけ。
 
「子どもが泣いていてもほったらかしにして
踊り狂う先生に感動した」って言われたことはあるなあ。
でも、子どもたちにはかないません。
歩いているだけで、そこにいるだけで、まちおこしになるんだから。
──
OBCの思い出があって、かん先生がいたら、
いつか小河内を離れても小河内が戻れる場所になりそうですね。
かん
大人になったらどうなっているかはわからないけれど、
OBCを結成したばかりの頃に一緒に踊ってくれていた子どもたちが
今小学4年生くらいなんですよ。
 
これで小学校6学年ぜんぶOBCで踊ったことがある人になったら、
何かが変わるかもしれない。よくわからないけど、はは。
──
でもきっと、OBCとして、かん先生として、
「何かを変えたい」気持ちが原動力になっているわけではないんですよね。
かん
むしろ、劇的に何かを変化させるほどの力はないかなと思っていて。
本業が別であって、OBCが仕事ではないですし。
 
ぼくは保育士だから、一緒に踊る子どもたちが
将来小河内に住んでも住まなくても、
地元の楽しい思い出になっていればいいなって。
 
そしてぼくらが小河内で日常を楽しんでいることを発信して、
それを誰かが見つけてくれたらいいなって。
何か新しいことをはじめてみたい、起業したい人が
小河内にやって来るきっかけになればいいですよね。
 
ぼくは起業するスキルもないけれど、
そういう人が来たくなるまでのステップ、踏み台で良い。
誰かが来て小河内を盛り上げてくれるまで地道に続ける。
 
ぼくたちはこういうよくわからないことしかできないけれど、
小河内でアクションをおこしてくれる人をずっと待ち続けようと。
──
ああ。かん先生と同じように、小河内という舞台に立って
輝ける人たちが来ることを待っているんですね。
かん
少なくともOBCができるまで、
こういうまちおこし団体みたいなものは存在していなかったわけで。
ぼくたちはここじゃなければ初めてにはなれなかった。
小河内は「初めて」になれる場所。フロンティアですよ。
──
OBCが普段から小河内の景色の写真をSNSに投稿しているのも、
そういう思いがベースにあるんですか?
かん
OBCとして小河内での日常をSNSに投稿したら、
小河内からの発信を喜んでくれる人がいることを知って。
 
日常を楽しむことがまちおこしなんだなって
思うようになってからは、普段見ている景色の
ちょっとした違いにも気づくようになりました。
 
「今日は雲の形がいいな」「ひょうたん島が出てきたぞ」、
そういうのを自分だけで楽しむんじゃなくて
みんなに見せたいなって思うようになったんですよね。
 
ぼくが一番好きな瞬間は、
奥多摩湖が風に吹かれてキラキラしているところ。
携帯のカメラだとうまく写せなくて。
あれは自分の目で見たほうがきれいだと思う。
 
登校することで、これが日常ですよ、って自慢しているんです。
OBCで発信するまでは自分にとって登校や通勤の当たり前の道のりで、
かけがえのないものだと気づかなかった。
自分が一度ここを離れて戻ってきた人間だからこそ、
気づけるようになったのかもしれないですね。
──
OBCが歩んできた5年間って、
かん先生が自分の役割と輝ける場所を見出して
「かん先生」になっていった歩みそのもの
なのかもしれないですよね。
その中でかん先生の腹のくくり方も変化していて、
いまこの瞬間の小河内と子どもたちへの想いが強くなっているような。
かん
あとは、たくまくんがいるから。
ぼくが表に立って人と関わることで
多少何かを言われたり影響されそうになったりするけれど、
彼は人と接することがないから。
仙人のように、いつもブレない信念を持っている。
そして、ぼくが立つべきステージを整えてくれる。
だからぼくは前に立っていられるんだと思う。
──
最高だなあ。このあと、たくまさんにお話を聞いてきます。
かん
(ポケットを探る)これをあげよう。

──
わあ、ありがとうございます。
かん
子どもたちが踊りに来るとプレゼントしている缶バッジ。
──
ぜひこの「やま」「かわ」の写真も撮りましょう。どこがいいですかね。
かん
奥多摩湖の前かな。(移動する)
 
はい。肩幅より少し広めに、足を広げます。手を上げて、やーま。

かん
次は足を閉じます。かーわ。

──
うれしい。ありがとうございます。
かん
こんどは、僕と卓真くんの二人で話すのもおもしろいかもしれない。きっと卓真くんがいい話をいっぱいしてくれる。ははは。
──
それは本当に、ぜひ。また来るので、よろしくお願いします。
第3回 その人らしく生きるステージづくり