カオルのノートを見てうれしくて、
泣きながらこの文章を書いています。
私は中学、高校と、周りになじめなくてつらかった。
いじめられてはいないけれど、溶け込めない。
私と周りの間には、いつも薄い膜があるようだった。
不登校になったり不良になる勇気はなくて、
一日一日過ぎ行く日を、カレンダーにバツ印をつけてやり過ごした。
もっとうまくやれたらよかったと思うことはあるけれど、
そのころは普通に過ごすだけでいっぱいいっぱいだった。
そういう生きづらさを共有してくれたのがカオルで、
初めていろいろなことを深く話せた友だちだった。
私は、居ていいんだって思えた。
学校のこと、音楽のこと、小説のこと、漫画のこと。
たくさん話して笑って、一緒に考え込んだ。
手紙のやり取りもたくさんした。
インタビューの前日に
昔カオルからもらった手紙を久しぶりに読み返してみたら、
小さな字で便せん何枚にも、切実な思いが書かれていた。

大人になって、カオルはどんどん穏やかになった。
当時彼氏だった旦那さんはすごく優しくて、
傍目にも分かるくらいカオルのことを大切にしていた。
二人が付き合っていた時、
ご飯をおごりたい彼と支払いたいカオルの間で攻防があって
お金を彼の車にこっそり隠すんだよと、カオルは楽しそうに話した。
カオルは33歳で結婚して、翌年、子どもが生まれた。
私は病院で赤ちゃんを抱いているカオルを見て泣いた。
当時、彼氏にふられてグダグダだった自分のことは置いておいて、
心の底からうれしかった。
今、4歳の息子はカオルに「ママ大好き!」と飛びつく。
働きながら子育てをして、
毎日は忙しそうだけど、カオルの周りの空気はほんわりと柔らかい。
私はカオルと会うまで周りを気にし過ぎて言いたいことを言えず、
うんうん、とうなずいてばかりいる子だった。
人に自分の思いを言えるようになったのは、カオルに会ってからだ。
伝わるかもしれない、と思えたのが大きかった。
県外の大学に進んでからは、随分息がしやすくなった。
今、「大人になったら楽になるよねぇ」と私たちは時々話すけど、
あのころ出会えたからこんなに分かり合えたのかもしれない。
苦しかった学生時代も、それはそれでよかったのかもしれない。
カオルみたいな友だちに会いたいって思っていたら、
大学時代、「カオル」という名前の友だちが二人できました。
どれだけ強く思っていたのだろう(笑)。
あのころ苦しかった私たちへ、
それから、今苦しい若い人たちへ。
たくさんじゃなくていい。
誰か一人に出会えるだけで、世界は広がります。
それは今日かもしれないし、明日かもしれない。
今、周りにいる誰かかもしれない。
大切な人に出会えますように、という祈りをこめて終わります。
カオル、私と友だちでいてくれてありがとう。
(終わります)