出会いは、学年誌に載っていたコミカライズ漫画だった。
幻想的なファンタジーの世界観に魅了されて、
第2話を待たずしてソフトを買いに行った覚えがある。
子供のころの、あの欲望に忠実な行動力は今でも見習いたい。
「ゼルダの伝説 時のオカリナ」
プレイヤーは勇者リンクとなって、
ゼルダ姫やさまざまな種族の賢者たちと力を合わせ、
魔王ガノンドロフに立ち向かっていく、というアクションRPGだ。
本格的なRPGゲームがはじめてだった僕は、とにかくのめり込んだ。
「勉強しろ!」と怒られようが、
自制心が効かないほど夢中になってプレイした。
ゼルダの伝説は、
キャラクターデザインや世界観、
ストーリー、琴線にふれる音楽、あらゆるものが
組み合わさったゲーム…というより総合芸術作品だった。
キャラクターとの出会いや別れに一喜一憂したし、
大地に出れば、そこにはリアルな空の美しさや虫の鳴き声があった。
サウンドトラックも全部暗唱できるほど聴き込んだ。
とにかく没入感がものすごいゲームなのだ。
思わず、作中に描かれていない部分まで
想像を巡らせてしまうくらいだった。
その想像力を加速させた要素の一つは、
当時のグラフィックの粗さだと思う。
当時のハード(NINTENDO64)のグラフィックは、
現在のゲームのようななめらかで写実時なグラフィックとは違って、
かなり角ばったポリゴンだった。
キャラクターも説明書に載っている美麗なイメージイラストとは
とてもじゃないけどかけ離れていたし、
草原もただただ平面なフィールドに緑色のテクスチャが
貼られているだけだった。
でも、当時はそれで十分だったのだ。
角ばったグラフィックを目の前にしながらも、頭の中では
かっこいいリンクが動いていたし、
草や花が生い茂った雄大な草原を
思い浮かべながらプレーしていた。
それは当時の「ポケットモンスター」などの
ドット絵のゲームにも言えることで、
キャラクターや世界観のイメージイラストさえあれば、
あとは想像力でまかなえた。
あの当時の子供たちは、きっとみんな
そうだったんじゃないだろうか。
逆にそういう体験が、自分の想像力を育ててくれたなぁと
今になって思う。
いつの間にか、
「あのキャラクターのサイドストーリーは…」
「エンディングの続きはこんな感じかな?」と
想像…いや妄想は発展していく。
それほどに魅力的な世界観だった。
僕は父の仕事部屋からくすねてきたA4のコピー用紙に、
勝手に思い浮かべたゼルダの伝説のサイドストーリーの絵を
とにかく沢山描くようになった。
それが束になって、分厚いジグソーパズルの箱から
溢れ出るくらい、描いた。
あんなに夢中になって絵を描いたことは、
後にも先にもあの時くらいだ。
「このゲームを超えるゲームって、もう出てこないんじゃないの?」
その感動は、それから約20年間塗り替えられることはなかった。
(つづきます)