おじいちゃんを亡くしてまもないころ、
おばあちゃんは一気に力が抜けてしまったようで
めずらしく元気がなく見えました。
私もちょうど転職活動が難航していた時期で、
日々悶々としていました。
デザインを学んできましたし、
デザインに関わっているつもりで働いてきたのですが、
面接で自分の口から出てくるのは
「意匠へのこだわり」ではなく、「人との関わり」。
「〜さんの想いが素晴らしくて」とか、
「〜さんのこういう話がきっかけで」といった具合に…。
面接官に
「きみ、デザイナーには向いていないと思うよ」と
バッサリ言われてしまった日もありました。
いま思い返すと、「本当にその通り!」なのですが
その時は頭が真っ白になり、茫然としてしまいました。
「自分」が作ったものよりも、どうしても、
一緒に伴走した「人」に熱がいってしまう。
どうしようもなく、
「私がやってきたことって何だったのだろう」
そう思いました。
*****
そんな時期に、おばあちゃんの誕生日を
叔母と孫3人で祝うことになり、
私は前々からおばあちゃんに言いたかったことを
手紙で伝えようと決めました。
というのも、
おばあちゃんはおじいちゃんを亡くしてから、
こう話すことがありました。
「いつも誰かのために何かやってきたでしょ。
それが当然だったし、ありがたいとは思っているんだけど。
でも、何だろうね、『自分』がないんだよねぇ…。」
なんとなく、その気持ちは理解できたのですが
それは違うぞと思っていました。
何とかおばあちゃんを元気づけられないものかと、
手紙と向き合いました。
ちょっと恥ずかしいですが、書いた内容を言うと、
“いつも誰かのために頑張っている
おばあちゃんは素晴らしい。
それこそおばあちゃんが持つ立派な「自分」であり、
私にとって自慢のおばあちゃんです。”
みたいなことだったと思います。
親族をこんなに絶賛する日がくるとは思いませんでした。
書いて渡して、しばらく経ってから
ふと自分の転職活動を思い返していると、
「あの手紙、自分に宛てて書いたみたいだ」
と気付きました。
人にどう言われようが、何があろうが、
捨てることや、曲げることができなくて、
なんだかんだ、自分の中に残ってしまっているもの。
私の中に、ずっとおばあちゃんがいてくれたのでした。
*****
今、おばあちゃんはまたすっかり元気を取り戻し、
生まれて初めてのひとり暮らしを満喫しています。
それでも「孫のため」を忘れてしまわれては困るので、
私もあともう少し、お世話になろうと思います。
今年も楽しく85歳の誕生日を祝えますように。
(おわります)

[最後までお読みいただき、ありがとうございました!]