もくじ
第1回もっと違ったふうに育っていたかもね 2019-02-26-Tue
第2回おばあちゃんの昔話 2019-02-26-Tue
第3回癇癪持ちだった、おじいちゃん 2019-02-26-Tue
第4回「自分」が、ない? 2019-02-26-Tue

山梨県出身。東京に来て10年目。小さいころ通っていた塾はピアノと英語。

かっこよく年を重ねたい人におくるWEBマガジン「キネヅカ」を運営中。

私の好きなもの</br>おばあちゃん

私の好きなもの
おばあちゃん

担当・深澤アヤネ

第4回 「自分」が、ない?

おじいちゃんを亡くしてまもないころ、
おばあちゃんは一気に力が抜けてしまったようで
めずらしく元気がなく見えました。

私もちょうど転職活動が難航していた時期で、
日々悶々としていました。

デザインを学んできましたし、
デザインに関わっているつもりで働いてきたのですが、
面接で自分の口から出てくるのは
「意匠へのこだわり」ではなく、「人との関わり」。

「〜さんの想いが素晴らしくて」とか、
「〜さんのこういう話がきっかけで」といった具合に…。

面接官に
「きみ、デザイナーには向いていないと思うよ」と
バッサリ言われてしまった日もありました。
いま思い返すと、「本当にその通り!」なのですが
その時は頭が真っ白になり、茫然としてしまいました。

「自分」が作ったものよりも、どうしても、
一緒に伴走した「人」に熱がいってしまう。

どうしようもなく、
「私がやってきたことって何だったのだろう」
そう思いました。

*****

そんな時期に、おばあちゃんの誕生日を
叔母と孫3人で祝うことになり、
私は前々からおばあちゃんに言いたかったことを
手紙で伝えようと決めました。

というのも、
おばあちゃんはおじいちゃんを亡くしてから、
こう話すことがありました。

「いつも誰かのために何かやってきたでしょ。
それが当然だったし、ありがたいとは思っているんだけど。
でも、何だろうね、『自分』がないんだよねぇ…。」

なんとなく、その気持ちは理解できたのですが
それは違うぞと思っていました。
何とかおばあちゃんを元気づけられないものかと、
手紙と向き合いました。

ちょっと恥ずかしいですが、書いた内容を言うと、

“いつも誰かのために頑張っている
おばあちゃんは素晴らしい。
それこそおばあちゃんが持つ立派な「自分」であり、
私にとって自慢のおばあちゃんです。”

みたいなことだったと思います。
親族をこんなに絶賛する日がくるとは思いませんでした。

書いて渡して、しばらく経ってから
ふと自分の転職活動を思い返していると、

「あの手紙、自分に宛てて書いたみたいだ」

と気付きました。

人にどう言われようが、何があろうが、
捨てることや、曲げることができなくて、
なんだかんだ、自分の中に残ってしまっているもの。

私の中に、ずっとおばあちゃんがいてくれたのでした。

*****

今、おばあちゃんはまたすっかり元気を取り戻し、
生まれて初めてのひとり暮らしを満喫しています。

それでも「孫のため」を忘れてしまわれては困るので、
私もあともう少し、お世話になろうと思います。
今年も楽しく85歳の誕生日を祝えますように。

(おわります)


[最後までお読みいただき、ありがとうございました!]