あまりおじいちゃんの話をしてきませんでしたが、
おじいちゃんは、穏やかなおばあちゃんとは違い、
いわゆる癇癪持ちの人でした。
昔は家族に手こそあげなかったものの、
気に入らないことがあると
食事中にテレビをバーンと外に投げ出したりする
爆裂お父さんだったようです。
(孫ができてからは、一緒に動物園に行ったり
交換日記をしたりする、丸いおじいちゃんになりました)
そんなおじいちゃんですが、
一昨年の秋、家で突然亡くなってしまいました。
亡くなる5年前くらいから
認知症が始まっていたのですが、
最後までおばあちゃんのことは覚えていました。
寝たきりにはならなかったですし、
症状もそこまで深刻なものにはならなかったものの、
おじいちゃんは会うたびに少しずつ
子供に戻っていっているようでした。
おばあちゃんは、ほぼ1人で
おじいちゃんの面倒を見ていましたが
「前ほどは怒らなくなったし、
わがままには昔から慣れっ子でしょ。
認知症は『神様からの最後のプレゼントだ』って言う
人がいたけど、本当にそうかもしれないね。」
と、相変わらずのおばあちゃん節でした。
一方その横で、おばあちゃんの世話になっている
おじいちゃんを見ていた母や叔母は
「どこかの貴族だって、こんなに手厚くされないわよ」
と軽く毒づいていて、
私は「親子でここまで似ないのかい」と
おかしく思っていました。
もしかすると、おじいちゃんとは何か
心のもつれがあったかもしれない2人ですが、
それでもおじいちゃんがそうなってからは
毎月必ず実家に帰っていました。
*****
おじいちゃんの最期は、
「入院は死んでも嫌だ」と
常々言っていたような人だったからか、
ある晩発熱があって、翌日からの入院が決まり、
翌朝おばあちゃんとその準備をしている最中に
突然息を引き取ったというものでした。
タイミングの悪いことに、私はその時
遅い夏休みを取って海外を旅行していて、
帰国予定日はお葬式の3日後でした。
電話口で、母と叔母は
「いいよいいよ、こっちはもう死んじゃってるんだから。
せっかくなんだから、旅を続けなさいよ」と言っています。
相変わらずドライな娘たちだなと思いつつ、
おばあちゃんはというと
「もーびっくりしたよ。でも、おじいちゃんが
おばあちゃんが困らないように、家もお金も
遺してくれたからさ」
なんて言っていました。
私はおじいちゃんが亡くなったという実感が全く湧かず、
おじいちゃんとのいい思い出ばかり
ホテルのトイレでぼんやりと反芻していました。
*****
結局お葬式には出ず、帰国したその足で
成田からおばあちゃんの家へ向かいました。
着いたのは、ちょうど3時過ぎくらい。
おばあちゃんたちは3時のおやつを欠かさない夫婦で、
それはおじいちゃんが亡くなるまで
ずっと変わらない習慣でした。
飲み物は大抵コーヒーか紅茶なのですが、
2階のおじいちゃんの部屋に向かって
妹と「お茶ですよー」と声をかけていたのが懐かしい。
おばあちゃんがその日いれてくれた紅茶を眺めながら、
おじいちゃんがもういないんだという実感が
じわじわと湧いてきました。
旅行のお土産は、お供え用として使ってもらえそうな
小さなマグカップを選びました。
お葬式に出られず、おじいちゃんに
謝りたい気持ちがあったのと
おばあちゃんがこれからのおやつの時間も
寂しくないように。
とてもピンときたお土産でした。
おばあちゃんは気に入ってくれて、
朝はお味噌汁までいれてお供えしているようです。
さすがのおじいちゃんもびっくりしているかもしれません。
(つづきます)

[大活用されているミニマグカップ]