おばあちゃんは、おじいちゃんと2人で
東京のベッドタウンに住んでいて、
山梨に住む私たち家族とは離れて暮らしていました。
私と妹にとって、おばあちゃんの家は
まさにオアシスのような場所。
毎年、夏休みや冬休みになると
1週間ほど遊びに行っていたのですが、
いつもの姉妹喧嘩も起こらないくらい
平和でのびのびとした日々を過ごしました。
昼間は、大きな池のある公園に遊びに行き、
涼しくて大きな図書館を探検したり。
ごはんはいつも美味しくて、
あまり好きではなかった煮魚も、おばあちゃんの
手料理ならばペロリと平らげられたものです。
お楽しみは夜まで続いて、
寝るときは3人で川の字に布団をしいて、
普段家ではベッドで寝ていた私たちは旅館気分でした。
明かりを暗くした後は、おばあちゃんが子供のころの話や
聞いたことのない童謡を聞かせてくれました。
おばあちゃんもいつもニコニコで、
私たちと過ごす時間が本当に楽しそうでした。
*****
離れて暮らしていたとはいえ、
おばあちゃんが私に与えてくれた安心感は
とても心地がよく、私と妹は少なからず
おばあちゃんの影響を受けていると思います。
実際、父は最近何か思うことがあったのか、
去年末にこんなことを言いました。
「おばあちゃんがいなかったら、
あなたたち(私と妹)は
もっと違ったふうに育っていたかもね」
おばあちゃんが聞いたら驚きそうですが、
言わんとしていることは
何となくわかる気がしました。
私がおばあちゃんをすごいと思うのは、
あらゆるものを決して否定しないところです。
思えば、おばあちゃんの口から
人の悪口はおろか、「〜が嫌い、悪い」という言葉を
聞いたことがないのです。
私がどうしても仲良くなれない友達がいた時も、
「誰にでもいいところは絶対にあるんだから。
いいところだけ、見てあげなさい。」
と、よく言われたものでした。
当時は「へいへい」くらいにしか聞いていませんでしたが
言われ続けていると不思議なもので、
「この子の泣きボクロはなんだか可愛いな」とか、
「持ち物は嫌いじゃないな」とか…。
目の前の人にいろんな発見をした方が愉快だし、
そのほうが後々面白いことがあるのだと
だんだん気づくことができました。
おかげさまで、否定することへの抵抗はすごいけれど、
「人を面白がる」という大切なことは
おばあちゃんから教えてもらえたのかなと思います。
(つづきます)

[台所とおばあちゃん]