もくじ
第1回ふつうの子ども 2019-02-26-Tue
第2回一生懸命描くことが価値ではない 2019-02-26-Tue
第3回描きたいけど、描きたくない 2019-02-26-Tue
第4回描くことは競争じゃない 2019-02-26-Tue
第5回これからの絵 2019-02-26-Tue

デザインしたり、絵を描いたりしています。
いろんな伝え方をもっと知りたいと思う日々です。
行動しなけりゃわからない、と言い聞かせてます。

私の好きなもの</br>絵を描くこと

私の好きなもの
絵を描くこと

担当・コレット

第5回 これからの絵

最初に入った会社を辞めた後
さらに何度か会社は変わり、
東京も離れて、今は地元で働いています。

それでも最初の会社で描かせてもらったのをきっかけに、
今も少しずつですが
仕事で描かせていただいています。

描けるかどうか聞かれたあの日、
一度は「描けません」と言ったけど
その後そう言わなくて良かった、と心から思います。
自分を自分で閉じるところでした。
あれは技術でなく意志をを問われていたんだな、
とようやく思い至りました。

絵を見るのも大好きです。
美術館に飾ってある絵も、本や雑誌のイラストも、
漫画も、手元にあるマグカップに描かれた絵も、
なんでもないような落書きも、
どれもこれも誰かの
「ひとりの時間の痕跡」だと思います。
その中から自分の琴線に触れるものを目にすると
ただただ満たされた気持ちになります。
部屋をちょっと見渡すだけで、
絵、絵、絵、沢山の絵が目に入ってきます。
描いた本人にお会いすることはほぼないけれど、
絵を通して沢山の個性に触れることができる。
本当に良い時代に生まれました。

「自分が描くつもりで見るといい」
何かでそう書いてあるのを目にして以来、
「描く側」として鑑賞するようになりました。
そうすると、時代とか国とかいろんな「境界」が
取り払われて、ひとりの人間が浮かび上がってきます。
共通点なんて何もなくても、
描いている時間を想像するだけで
近しい気持ちになります。

じゃあ自分はどう描きたいか。
何を描きたいか。
どうゆう手法で描きたいか。
そもそも何故描きたいのか。
未だによくわかりません。
仕事ではなんとか描けるけど、
自由に描いていいと言われたら今だに手がすくむし、
人の真似をしていないか不安になるし、
楽しくないと感じることもあるし、
技術、才能、発想、センス、そのどれもが
理想には程遠くて不甲斐なくてもどかしくて
途中で投げ出したくなることも多々あるし、
描かない時期があっても平気だし、
描かなくてもそれなりに楽しくやっていける。
本気でそうも思うけど、
飽き性を自覚する私が
子どもの頃から途切れ途切れになりながらも
唯一続けられていることは、
絵を描くことだけです。

きっと何もなかった目の前に
自分の軌跡として現れる色や形がいまだに不思議で、
自分が描いているのに毎回想像と違って、
それがどうにもおもしろい。
今はそんな理由でいいかな、と思います。

2018年12月、東京を訪れた際に
立ち寄った画材屋で20年ぶりくらいに
一目惚れしてパレットを買いました。
恥ずかしながら、
まだ一度も使っておらずピカピカです。
机の引き出しにしまっているので
見る度に軽いプレッシャーのジャブを打ってきます。

いつかずっと年をとった頃、
今はまだ新品のパレットが
使い古されてクタクタの状態になって
手元に残っていてほしいと願うばかりです。
きっと今よりおもしろい線が引けるはず。
それを楽しみに。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。