美大受験の頃に遡ります。
はじめて美術予備校に行った高3の夏の日、
外のギラギラした陽光とは正反対の薄暗い、
クーラーの効いた肌寒い部屋の中で
同世代の子たちがひしめき合いながら
無表情で黙々とデッサンを描いていました。
そしてその子たちが描くデッサンは
私の「なんとかなる」を一瞬で打ち砕いてくれました。
上手い。これは、やばいなと心底思いました。
絵は技術で評価されるものじゃない。
今でもそう思うし、当時もそれはわかっていました。
ただ、こと美大受験においては
「技術を見せる」のが入る条件だから
技術の習得が必須で急務でした。
その日から約2年半、
大学受験に向けて絵を描き続けました。
少しずつ自信がついてきても
すぐそばに明らかに自分より上手な人がいて、
簡単に自信が打ち砕かれる日々。
何時間、あるいは何日もかけて描いた絵が
最終的に講師の先生たちによって上手な順に並び替えられ、
ひどい時は一番下の段に追いやられる。
その光景があまりにも残酷に映り、
悔しくて鉛筆を持つ手が何度も震えました。
毎日のように誰かが教室の隅やトイレや
薄暗い通路で泣いていたし、
私もコソコソ隠れて泣いていました。
現役、1浪をしてもどこの大学にも受からず、
2浪目の頃には精神的にだいぶ追い詰められ、
講師の先生とぶつかることもありました。
ある日先生と言い合いになったときに
言われた言葉を私はきっと一生忘れません。
「あんたは短絡的過ぎる!もう20歳なんだから!」
そう言われて泣きながらなんとか返した言葉は
「まだ19歳です。」でした。
確か20歳になる1、2週間前のことです。
なんて情けない返し…
言われた直後は「タンラクテキ」という響きが
頭から鳴り止まなかったのですが
初めての単語だったので正直意味がわからず、
家に帰って意味を調べて愕然としました。
その通りすぎる。
【短絡的】
深く考えることなく、物事を単純に結びつけるようす。
学研 現代新国語辞典 改定第6版より
今でも自分にはそういったところがあるから
注意しようと思いながら過ごしています。
まだまだ未熟ですがこの言葉を自分に刻めたことは
大きかったです。今となっては最大限の感謝です。
そんな日々を送り続ける中で
「一生懸命描いた」ということだけでは
人に評価してもらえないことをある種の恐怖体験として
叩き込まれていきました。
今回エッセイを描くにあたり、
押入れの奥に閉じ込めていた
当時課題で描いた絵を引っ張り出しました。
そして見た瞬間に気が重くなりました。
描けてる、描けてない以前になんて色が濁っているんだ。
当時、絵の具から出した色をそのまま塗ることは
工夫が足りないし、自分らしさを表現できないと
努力の方向までこじれていたので、
闇雲に色を混ぜて
「自分の色」を作ろうとしていたのです。
そうゆうことじゃないと、
何度も教えてもらったはずなのに。
絵は正直だな、と改めて感じます。
