もくじ
第1回あさ かこ 2019-02-26-Tue
第2回ひる いま 2019-02-26-Tue
第3回よる みらい 2019-02-26-Tue

子育て系メディアの編集者。コラム・エッセイの執筆も。
元療育指導員。2歳の娘と陽気な夫の3人家族。

『みんみ』~こどもの時間~

『みんみ』~こどもの時間~

担当・瀧波 和賀

2歳の娘は、じぶんのことを『みんみ』とよぶ。
本名とは、冒頭の「み」しかあっていない。

ちなみに、フルネームを正しく発音することもできる。
だからこれは、娘がじぶんにつけた「あだ名」のようなものだろう。

あだ名というのは、ちょっといい。
「その他おおぜい」とは少しちがう。
愛着があり、個別なものに与える名前。

母である私も、敬意をこめて、彼女のことを『みんちゃん』とよぶ。

娘がじぶんを「特別で愛しい存在」だと思えるように。
そのあだ名に、願いをこめて、言霊にしているのだ。

子育てをしていると、「3つの時間」の我が子を感じる。
かこ・いま・みらい。
それぞれの娘を、同時に抱きしめているかのようだ。

これは、私と娘の、ささやかで幸福な、ある日のお話。
ふふっと笑って、ぬおー!と焦り、ニヤッともだえる。

「いま」の私にしか書けない、祈りのラブレター。

大切なお子さんがいる方と、かつて誰かの大切なお子さんだった、あなたへ。

第1回 あさ かこ

――みんみの朝は早い。

「ママァ、ごはんでしゅよー。」

ゴム製ホットケーキが、遠慮なく顔面にめりこむ感触で目が覚めた。
AM5:30。はやい。無情に、はやい。

「みんちゃん、ママもう少し寝てた、い、にゃっ」

語尾の発音がヘンテコなのは、娘の幼児言葉をマネたからではない。
さきほどのホットケーキが、口内に侵入してきたからだ。
私の訴えを、のどへと押しもどすように。

「ママっ!ごはんでしゅよ!おきてぇ~!!」

寝ていたいのはやまやまだが、
さらに興奮してワーワーいわれるのもまたツライ。
布団に未練を横たえながら、あきらかに20代より重くなった体を起こす。

「あしゃだーおきがえちよー。」
洋服の引き出しをのぞきこむ娘。

「みんみ、なにきよっかなー?」
大きなひとりごとを言う。

いっちょ前に立てた人差し指をあごにあてがい、くびをかしげる。
年ごろのお嬢さんのようなしぐさと、
おまんじゅう型のこぶしからでた短い指が、なんともアンマッチだ。

ふふっと眉を下げてわらってしまう。

すこし前まで、娘の朝は”伸び”からはじまっていた。
小さな身体が眠りをおえても、目をあけるまでに間があったのだ。

赤ちゃんのなごりがあったシルエット。
ギュッと瞼をとじたまま、口をふにふに~と左右にゆらす。
両腕をせいいっぱい、頭上にのばす、のばす。
足までピーンとはりつめて、一直線になっていく。

動物のコドモのような無防備さがかわいい。
ほほえましくて、毎日ながめていた。
立っているときより、ずいぶん大きく見える姿。
こんなに長くなってまぁ~と、あきることなく感心した。

この世の憂いを、まだ知りもしない細胞たち。
朝日が差さない部屋で、まぶしげにゆがんだ瞳。
うまれたばかりの新しい一日を、感じとっていたのだろうか。

こんなに詳細に覚えている、娘の朝のルーティーン。

しかし、「最後の日」はいつだったか。
はっきりと、思い出すことができない。
「すこし前」とは、何月何日のことだったのか。

気が付けば、
伸びをせずに起床するのが常になり、じぶんで着替えができている。
「ごはんよ」と差し出すオモチャも、リモコンでなく、ちゃんと食べ物だ。

もう実体はない、「かこ」の娘が、朝の空気にチラチラみえる。

抱き上げて座らせていた食卓イスにも、意志をもってよじのぼる。
嫌がられつつ、まくりあげていた長そでを、
「みんみ、まくまくすんのぉ~」とすすんで肘までつめる。
かつては2~3センチ程度に切ってあたえていたうどん。
大人とかわらず、長いままにちゅるるっと吸う。

いつの間に、こんなに成長したのだろう。

生まれてからずっと、24時間離れていたことなど、ないはずなのに。
その進化の過程を、達成の瞬間を、つくづく思い出すことができない。

「…みんちゃん、おうどん食べるの、じょうずね。
 まえは、お手々でつかんで、食べてたのよ。」

「もう、みんみ、おおきいだからぁ、できんの!」

あ、泣いてしまう。

朝食のうどんごときに、なにをノスタルジーになっているのか。

だけど言葉にしてみたその瞬間に、
おでこまで短いうどんを散らばしていた赤ん坊が、記憶の中から蘇る。
きちんと背筋を伸ばして箸をつかう、現在の娘のよこに、
ちょこんと腰かけ、こちらにほほえむ。

「ごっしゃまでした!さ、こーえん、いこかぁ~。」

食べ終えるやいなや、勝手に予定を決めてくる。
またしても、ふふっとなる。
くちについた、牛乳ヒゲがそのままだ。

いまの娘ができることは、過去の娘が、できなかったことなのだ。

すっきり起床も、食事の自立も、おしゃべりも。
すべて、過去の私が「はやくできるようになって」と願ったものたちだ。

過ぎ去ってからやっと、「まだできなかった時間」の価値を、おもいしる。

赤ん坊だったころは、いちいち尊んで、感激している余裕などなかった。
ちょっと目を離したら、簡単に命すらなくしてしまいそうな頼りなさ。
つねに神経をすり減らしていた。

だからいま、娘の何気ない行動に、
フラッシュバックする過去の娘が、愛おしい。

もっとぽちゃぽちゃしていた全身も
本能に忠実だった思考回路も
なんでも親任せだった生活も。

やっと全部、抱きしめられる。

「ママ!はやくぅー!みんみ、もういっちゃうよぉー!!」

玄関に、走ってむかう後ろ姿。

くつ下の柄が、しっかりそろっている。
以前はしょっちゅう、左右あべこべにはいていたのだ。

しかしながら、
かかと部分が、両方とも足の甲にきてしまっていることに気づく。

いつの日か、「いま」の姿が「かこ」になり、
くつ下をはき間違えることなんてなくなったとき。
きっと私は、この光景を思い出す。

なんとつたなく、可愛かったことでしょう。
ふふっと笑い、涙する。

しかしまだ、その日はしばらく先そうだ。
慌てて手を伸ばし、トコトコ走る娘を追いかける。

「ちょっとみんちゃん!くつ下がさかさまよ!ちゃんとみてぇ~!!」

みんちゃん、「かこ」のキミが、ママはとっても、大好きだよ。

第2回 ひる いま