もくじ
第1回野犬たちがいた風景 2019-02-26-Tue
第2回賢い女の子、チェリー 2019-02-26-Tue
第3回天寿を全うしたクー 2019-02-26-Tue
第4回ふたたび、その思いはどこから? 2019-02-26-Tue

フリーで書籍の編集とライターをしています。陽気な母との暮らしを満喫中。シーズンごとに急に体を動かしたくなって、ランニングをしたりトレッキングに行ったりします。趣味は合唱。昔とった杵柄です。

私の好きなもの</br>やっぱり、犬が好き

私の好きなもの
やっぱり、犬が好き

担当・さとうえみこ

第2回 賢い女の子、チェリー

「田舎暮らしはいや」という母の要望から、
小学4年生のときに、海のない県に引っ越した。
住まいは、小さいながらもうれしい一軒家。
「やった! これで晴れて犬が飼える」
と思う隙さえ与えないほどのスピーディーさで、
犬を飼うチャンスは訪れた。
斜向かいの家で飼っている柴犬が子犬を産んだのだ。
近所でも親分的な存在で知られるその家のおばさんが、
「お宅でも犬、飼いなよ」と1匹譲ってくれた。
お金の介在なしに個人の家どうしで
譲ったり譲られたりがスタンダードな時代だった
(少なくとも私の周りではそうだった)。

記念すべき飼い犬第1号は、
中学生の兄の英語の辞書が有効的に活用され、
家族みんなの同意のもと、「チェリー」と命名された。
さくらんぼのチェリー、チェリーブロッサムのチェリー。
飼い主同様、近所の犬たちから親分と仰がれる
実母犬の「富士(ふじ)」からすれば、
軟弱すぎて不本意だったかもしれないが、
そういう名前をつけたい年頃だったから、
目をつぶってもらうしかない。

子犬特有のにおいを放つふわふわの女の子は、
すぐにでも遊びたい兄と私の気持ちなどお構いなしに、
ほとんどの時間をくうくう眠って過ごした。
そして少し大きくなると、
赤ん坊時代の私たちの物足りなさを補うかのように、
お転婆ぶりを発揮した。

よく覚えているのは、夕刻になると、
追いかけっこに駆り出されたことだ。
散歩から帰って綱を解いた瞬間、
チェリーは家の敷地から脱走し、
近所の建売住宅の一角を脱兎のごとく走り回った。
最初は単なる脱走かと思った。
「チェリー」と声を限りに呼んでも、
一向に戻ってくる気配はない。
いつしか人間のほうがくたびれて、
「しかたがない。しばらく放っておくか」と帰りかけると、
うしろ2メートルほどをついてきて、
私たちが気がついたことを知ったとたん、
くるりと踵を返して振り返り、
キラキラした目で私たちを見やるのだ。
「まだ、する? 追いかけっこ、する?」
そのときようやく人間の子どもは、
犬に遊ばれたことに気づくのだった。

お転婆なだけではない。チェリーは賢くもあった。
それをみごとに示したエピソードがある。
チェリーの実家である斜向かいの家では、
日中、玄関のドアを開け放していることがよくあった。
ある日、脱走したチェリーがその玄関めがけて走り出し、
玄関の一直線上にある階段を駆け上がった。
しかし、脚力が足りずにズルズルと滑落。
すごすご帰ってくると、
今度は少し遠い距離から勢いをつけて走り出し、
タッタッタッタッと一気に上まで駆けのぼった。
全身から達成感をみなぎらせるチェリー。
「賢いねえ。自分で助走距離を伸ばしてのぼりきったよ」
一部始終を見ていた親分(その家のおばさん)が
感心しきりに言ってくれた。

元気いっぱいだったチェリーは
わずか6歳でこの世を去った。
最後の日、ただ一人帰宅していない父を
玄関先で行儀よくお座りをして待つ姿を覚えている。
犬には自分の死期がわかる。
だから、親しい人みんなとお別れしてから旅立とうとする。
チェリーは最後の最後まで賢い犬だった。

<つづきます>

第3回 天寿を全うしたクー