この課題で、改めて「わたしの好きなもの」って
何だろうな、と思ったとき、真っ先に出てきたのは
おばあちゃんという存在そのものでした。
メールで話すことも、一緒にカレーを食べながら話すことも。
おばあちゃんと過ごす時間ひとつぶひとつぶが、
とてもいとしくて、たのしくって、しあわせで。
そして、彼女がいない毎日は、
つまらなくって、さみしい。
それは、おばあちゃんが昨年、乳がんを患ったときに、
いやと言うほど痛感しました。

がん自体は早期に発見することができ、
がん細胞も「非浸潤性」という、
比較的おとなしいものでした。
手術は2時間半ほどでおわり、
入院したのも一週間だけでした。
手術に一緒に立ち会ったおじさんやおばさんは、
「不幸中のさいわいだね」と言いました。
それでも、わたしには衝撃的でした。
おばあちゃんから「がんでした」とメールで伝えられた日の夜、
電車の中で泣きました。駅から家まで、歩きながら泣きました。
そして、今まで考えていなかった
「大好きなおばあちゃんの死」について、
その時はじめて真剣に考えたのです。
家に帰っても、だれもいない家、寝室。
おはようと言われないこと。
そして、何度スマホを見ても届かないメール。
今ある日常は、決してあたりまえでない。
だからこそ、「わたしの好きなもの」で、
わたしはおばあちゃんについて
書きたいな、と思ったのです。
おばあちゃんとのメールは、わたしにとって
「おばあちゃんの生存確認」でもあるし、
「ことばで愛を示し合う場」でもあります。
これから先のことなんて、誰にもわからないけれど。
メールというものがこの世にある限り、きっと
わたしとおばあちゃんはメールをしつづけます。
きょうも。あしたも。あさっても。
さいごに、わたしの一番大好きな
おばあちゃんとのメールで、終わりたいと思います。
さいごまで読んでくださり、ありがとうございました。

(おわりです。)