もくじ
第1回これからもずっと、見守って 2019-02-26-Tue
第2回別々で、同じ空を見上げてる 2019-02-26-Tue
第3回自分が、自分であるために 2019-02-26-Tue
第4回見上げたら、そこにあるから 2019-02-26-Tue
第5回そこにはいつも、たからもの 2019-02-26-Tue

フリーランスのライター・編集者。ひとの人生に触れるインタビューが好き。琵琶湖の近くと生まれ育った首都圏、二つの拠点を行ったり来たり。

わたしの好きなもの</br>「空」

わたしの好きなもの
「空」

担当・菊池百合子

第3回 自分が、自分であるために

何もかも違うところばかりのあなたとわたしが
少しだけなかよくなれたのだとしたら、
空が見上げることが好き、だけは
一緒だったからじゃないかなあ、と思うのです。
 
 
たいへんごぶさたしています。
「きっとまた、会いましょうね」と握手して一年、
その言葉を叶えられていないわたしです。
おげんきでお過ごしですか。

一年前、あなたは新婚旅行の直前でしたが、
あのあとハワイは満喫できましたか?
おみやげのパイナップルチョコレートを食べながら
大きなステーキでも意外と食べられたこととか、
空と雲が大好きなあなたが今までに見た中で
一番きれいだった夕焼けの話とか、聞きたかったなあ。

あなたは本当に、自然の中にいることが好きでしたね。
空も雲も好きだから、晴れと曇りの判定にきびしかった。

わたしが「今日も晴れていますね〜」と言うと、
「これは曇りですよ、いっぱい雲が出てるじゃないですか」
「え、十分晴れていますよ」
「空の何割を雲が覆うと曇りになるか、知ってます?」って。
なんなら、あなたに怒られたことはこれしかありません。

とにかくたくさん、一緒に空を見上げましたね。
晴れの日もちょっと曇りの日も、時間のゆるす限り外に出て
ご飯を食べたりずーっとしゃべったりしながら
いつも空を見上げていたなあと思い出します。

あなたは自分のことを「八方美人」と言っていた。
上司には逆らわず、部下をなだめ、
取引先の担当者とも仲良しで。

あなたはあなたの色をつらぬくよりも、
積極的に自分を違う色に染めていた。

そんなあなたが唯一自分の色のままでいられる時間が、
空を見上げているときだったのかなあ、と今は思います。
どんなに過酷な状況でも、あなたがあなたでいるための
救済措置としての、空を見上げる行為だったのかなって。

あなたから空がよく見える2つの場所に
連れて行ってもらったことをよく覚えていますよ。

1つ目は、最初に働いていた場所の近く。
一人になれる時間がない職場で、常に「部下」に見られている中で、
唯一何者でもない自分でいられる時間を確保しに、
一緒に川の流れる公園に行きましたね。

あなたの異動が先に決まったときも、最後かもしれないと
もう一度あの公園に行って。
そのときあなたは担うべき役割が増えてしまっていて、
ちょっと疲れているような気がしました。

休憩中であろうとかかってくる電話にも出ず、あんぱんを食べながら
ただただ川と山の向こう側に沈もうとしている夕日を見つめる
あなたのまっさらな横顔を思い出します。

あなたが異動してからあなたの立場になったわたしは、
やっぱり何者でもない自分でいる時間を確保しないと
しんどくなってしまって、あなたが教えてくれた公園に
よく一人で空を見に行くようになりました。

そしたらなんだか涙が止まらなくて、
そのときようやく、まっさらでいたかったあのときの
あなたの気持ちに近づいた気がして。

そして、空がきれいだとか今日は晴れているとか
外でご飯を食べられるね、だとか、
そんな話ができて一緒に空を見上げられる人がいたことが
あまりにもとうといことだったのだと痛感しました。

2つ目は、わたしも異動になったその先。
異動先が決まって電話したら、違う店舗とはいえ
「すぐ近くで働けるんですね! うれしい」
と電話越しに喜んでくれたことを思い出します。

でもこの異動で環境が激変したわたしは、
強いストレスから異動初日で胃がひっくり返ってしまって。
そんなわたしに、あなたはまた、とっておきの
空が見える場所を教えてくれました。

駅を降りるとすぐに山が広がっていた前任の場所と違って、
山手線で出勤するそこは、空が狭かった。

でもあなたがその場所を教えてくれたおかげで、
見える面積が狭かろうとビルがたくさん建っていようと、
空は空であって、今日もまた見上げればうつくしいのだと
知ることができたように思うのです。

だから前の店舗にいたときと同じように、
晴れている日は空を眺めるために、外に出ていた。
低い天井でコンクリートを踏みしめながら働いていたからこそ、
空の下にいるときは自分でいられた。

少しずつわたしもわたしを失いそうになっていく毎日の中で
あなたが教えてくれた空が見える場所、
そして、休憩時間に空を見上げることそのものが
なんとかわたしがわたしであることを保つための
救済措置になっていきました。
あの時間がなければ、とっくに壊れていたのかもしれない。

どんなに気持ちが沈んだ状態で出勤する日でも、
あなたと空を見上げていた時間を思い出せたから、
あなたが教えてくれた場所でぼーっと空を見上げられたから、
なんとか気持ちをすくいあげて口角を上げることができました。
その思い出が、わたしをつなぎとめてくれていました。

結局、わたしはわたしの色を守ることを優先するわけだけれど、
あなたの色を守るよりも周りの色に合わせることを優先してきた
あなたが話してくれたこと、今でも覚えています。

「なんでこの大学を出て、この仕事を選んだんですか」
会ったばかりの頃にこう聞いてきたあなたに、わたしは
「選ぼうと思えばいつだって、選びたい道を自分で選べるから」
と答えた。そしたら後日あなたが、こう言ってくれましたね。

 
「菊池さんと出会うまでは、どうせ僕なんて、って
よく口癖のように言っちゃっていたんです。
奥さんにも、それやめなよって言われていたんですけど。
高卒の僕が正社員で雇ってもらえるだけありがたいと思っていたから、
他の道を選べるなんて考えたことがなくて。

でも菊池さんと出会って初めて、
自分で自分の道を選べるって知ったんです。
努力さえすれば、いつでも、選びたいと思ったときに
選ぶことができる、って。
そう思えたら、どうせ僕なんてって言うことも少し減って。
これからはちゃんと選ぼうと思ったんです」

 
あなたの言葉を聞いたとき、表現しきれなかったんですけど、
とってもとっても、とってもうれしかった。
ああ、ここに入った意味、あったなあって思いました。

そう、あなたもわたしも、きっといつだって、
自分の道を自分で選ぶことができる。
自分の人生、歩いていくことができると思うんだ。

そして、選んだ道の途中で
たとえ自分を見失いそうになったとしても、
日常の中で空を見上げれば、きっと自分を取り戻せる。
それはあなたが教えてくれたこと。

「菊池さんなら、きっと大丈夫ですね」
そう送り出してくれたあなたに、
連絡する自信もなくて。
でもねでもね、きっとあなたが思っている以上に
空を見上げるとよくあなたのことを思い出しています。

ねえ、またきっと、一緒に空を見上げましょうね。
そのときは、できればお互いに
小さいことで笑いあって、
そしてお互いが選んだ道の話をしながら。

あなたが選んだ道が、
これからもあなたのものでありますように。

第4回 見上げたら、そこにあるから