3年前の結婚式前夜、明け方にようやく寝た母を片目に、
慌てて書いた「花嫁の手紙」。
母と正面から色々話したことで、伝えたいことが、
あの時と変わりました。
下記、改めて。
母さん。
今更、恥ずかしさもあるけれど、花嫁だった私から、
3年ぶりにリライトした手紙を贈ります。
私とお母さんは奇妙な関係だなとずっと思っていました。
喧嘩はクソたくさんしてきたし(おっと失礼)
親子なのに、全然違うし。
でも、最近、私の「母さんと違う」は、「違う」のに、
すごく母さんの影響を受けていることに気付きました。
たくさんある「違う」の中でも、
特に違うのは、仕事観だと思っていましたが、
私が仕事で何かを成し遂げたいと強く思うのはなぜか、
グッと考えていくと母さんの姿がありました。
私が9歳の時、母さんは中学英語しかできなかったのに、
単身でアメリカへ渡って小学校の先生をやるという、
大きな挑戦をしたよね。田舎町で、周囲に言葉が通じる人もいないのに、
情熱で飛び込んで、幼いながらに母さんが心配でした。
でも、母さんの任期満了後に、働いていた小学校に
連れて行ってもらった時のこと、強く覚えています。
校舎入口にいたら、ちょうどスクールバスが到着して。
そのバスに乗った生徒たちが、母さんがいると気付いて、
ぐっと片側に寄ったせいで、バスが半分浮きました。
「私のお母さんは、肌も瞳も髪の色も違う、
この異国の子供たちにとっては、大好きな先生なんだ」
そう気付いた瞬間が、私にとって仕事を頑張りたいと思う
強烈な原体験だったと思います。そう思うと、20代以降、私は誕生日が来るたびに、
この年の時、母さんは何をしたか考えるようになりました。
もうこの年の時には私を生んでるんだよなあ。
この年でお店立ち上げているんだよなあ。
「適わない」といつも同時に思いました。温かい人たちに囲まれ、好き勝手に暮らす私に、
言葉を交わす度に、厳しいことを言う母さん。
私はその指摘には耳を貸さず、永らく「喧嘩」で片づけ、
私と母さんは「違う」から、そんな「喧嘩」になる。
そう思っていました。
そうやって片付けた方が、楽でした。でも、喧嘩もするけれど、中学の時は交換日記もしたし、
大人になってからも、夜通し一緒に海外ドラマを見たりと、
すごく近い存在だった母さんは、近くて遠い異質な存在で、
「母」という言葉で説明しきれないものを感じていました。
今思うと、たくさんの役割を担ってくれていたんだね。
ちゃんと聞かずに、喧嘩で片づけてごめんなさい。そうやって母さんと深く関わってきて、
私が憧れている家庭の姿や仕事の在り方は、
母さんが育った環境とすごく近いことにも気付きました。
そして、それはすごく嬉しい気付きでした。実は、少し気になっていたのが、3年前の手紙で、
「私のせいで、母さんの人生に制限をかけてしまった。
これからは自分の人生楽しんでほしい」
と、書いたのだけれど、これ、訂正させてほしい。
母さんはきっと、自分の人生に制限なんてかけてなくて、
今も昔も、色んな役割をしながら、器用に楽しんできた、
そんな風に、最近は思うのです。そして、私の旦那さんは、こういう話を
ちゃんと聞いてくれて、とても大事にしてくれています。
結婚して、大阪にもおとうさんとおかあさんができて、
すごく楽しいです。
この前は沖縄まで行って、皆でゴルフをしたよ。
おとうさんに、ゴルフも教えてもらった!何を伝えたいかというと、私は離れても楽しくやってるから、
安心して引き続き、毎日を楽しんでねってこと。
そして、近くて、色んな役割をしてくれているからこそ、
これからも喧嘩みたいになるかもしれないけれど、
ずっと信頼していて、尊敬しています。
これからもどうかよろしくね。
手紙を書いてみて。
30年以上親子をしている私と母に、
また新なフェーズがやってきたような、
嬉しい気持ちになりました
母ともっともっといっぱい話してみよう。
そして、話したことを夫にも、
大阪のおとうさんとおかあさんにも話してみよう。
家族って面白いなあ。
(おわります。ここまで、ありがとうございました!)
