もくじ
第1回卒業ぶりの恩師への連絡。 2017-12-05-Tue
第2回好きなことを仕事にした先生。 2017-12-05-Tue
第3回国語は想像力を鍛える。 2017-12-05-Tue
第4回劣等感と主体性。 2017-12-05-Tue
第5回自分の歩みに対する想い。 2017-12-05-Tue

1987年生まれ、
30歳の男です。
東京の西側で育ち、
いまは東京湾の近くに住んでいます。

15年ぶりの国語の授業。

15年ぶりの国語の授業。

担当・金沢俊吾

第5回 自分の歩みに対する想い。

中村先生
金沢くんの心持ちは何となくわかっていました。
 
人は成長するにつれて見たくないもの、
聞きたくないものを見聞きしたり、
世の中の矛盾に気がついたりします。
そしてそのことに怒ったり、悩んだり、
悲しんだりするんですよね。
 
自分と何か(誰か)を
較べてしまうことは、どうしてもあるでしょう。
成績の良し悪しとか、卒業した学校とか、
勤めた会社とか、
年収とか、暮らし向きとか。
 
私の友人や知り合いにも有名会社の役員がいたり、
最近では、教え子にも官僚や弁護士
実業家などがいます。
そういった人たちのそこに至るまでの努力には
敬意を表しますが、
だからといって
「一介の教師をやってる自分」を、
ダメだとも思いません。
やっぱり、自分が「これは!」
と思って、選んだことだからなのでしょうね。
 
もちろん、イヤな思い出もたくさんあります。
でも、30年ぐらい教員をやっている
自分を振り返ってみると、
「いろいろあったけど、これでよかったんじゃない」
という気持ちになっています。
 
特に、今のように病気をして臥せっていると、
いろんなことが思い出されるのですが、
なぜか、イヤなことや辛かったことではなく、
楽しかったことがたくさん浮かんでくるんです。
君たちと過ごした時代も実に楽しかった。
私の教員としてのピークは
あの頃じゃなかったのかと思うぐらいです。
 
まあ、とにかく、自分の歩みに対する想いは
年とともに変わっていくものです。
イヤな思いも楽しかった思い出も、
今はひっくるめて心の中に取っておいたらどうですか。
楽しかったことはより甘美な思い出に変わり、
いやなことはそのうちこなれてくるはずですよ。
 
エラそうなことをすみません。
もし今、金沢くんが手ごたえのあるものを
つかみかけている、
あるいはつかんだということであれば、
どうぞそれを極めてください
(あれ、これでは『私の個人主義』そのままです笑。)

ぼく
返信ありがとうございます。
こうして過去を否定していたことが
ずっと心に引っかかっていたんです。
話せてよかったです‥。
 
『私の個人主義』に惹かれたのは、
夏目漱石の、この一節が
いまの自分にドンピシャに響いたからなのだと、
あらためて思いました。
 
「ああここにおれの進むべき道があった!
ようやく掘り当てた!
こういう感投詞を心の底から叫び出される時、
あなた方ははじめて
心を安んずる事が出来るのでしょう。
容易に打ち壊されない自信が、
その叫び声とともに
むくむく首を擡(もた)げて来るのではありませんか。」
 
ぼくはいま、「ほぼ日の塾」で
こうして記事を書かせてもらっていて、
楽しくて仕方ないんです。
やっと、これをやっている自分なら強くいられる。
という感覚を、つかみかけた気がします。
 
「ほぼ日の塾」でも、
もちろん人のことは気になります。
でも、それは優劣じゃなくて、
「みんなめちゃくちゃ頑張ってるから、
自分もベストを尽くすしか無い」
っていう、自分に対する気持ちなんです。
 
「おれの進むべき道があった!」って思えた以上、
もう周りの立場とか暮らしを
気にしてる場合じゃないなって思えたから、
母校とか同級生へのコンプレックスみたいなものも
やっと乗り越えられそうなのだと思います。
 
これから自分が
具体的にどうなっていくのかわかりませんが、
この感触を掴みかけた以上は、
あとは、なんとかなるのだと思っています。
急に、まとめるように前向きな話をしてしまい、
申し訳ありませんが(笑)。
 
最後に、ひとつだけお伺いさせてください。
 
先生は学生時代から文学を好み、
それを教えることを仕事にされているわけですが、
「書くこと」については
どのような想いを持たれていますか?

中村先生
創作活動という意味であれば、全く無縁です。
書かれた作品はずいぶん読みましたが、
書こうと思ったことはありませんね。
 
例えば、私はギターを弾きますが、
君たちと文化祭で演奏したような
ごくわずかの例を除いては
人前で演ったことはありません。
作詩作曲のまねごとをしたことはありますが、
人に聴かせたこともありません。
 
「ギターは弾くけど人前では演らない」
というスタンスは
「作品は読むけど自分では創作しない」
とも繋がっていると思います。
理由はとてもシンプルで、
自分の柄ではないと思っているからです。
 
ただ、私は教員ですから、
ものを書くという作業は多くあります。
日誌の感想、学級だより、
学籍簿の所見、推薦文、授業の実践報告など。
 
このように、日常的に必要があって
書かなければならないものは
何であれ大事にしたいと思っています。
教員の仕事としての「書くこと」を大事にしている
ということでしょうか。
 
もちろん、
私は金沢くんの「書きたい」という意欲は
すばらしいと思いますし、応援もします。
 
これで一段落でしょうか。
LINEを使うことを提案したのは私ですが、
こんなにたいへんだとは思いませんでした。
やっぱりメールやLINEは長文を書くツールではなく、
まして、年寄りには
全く不向きな方法であることを痛感しました。

ぼく
まだまだお話したいことはたくさんあるのですが、
入稿日も迫っているので、
いただいたもので、終わりにさせていただきます。
 
この1ヶ月ほど、大変なご状況のなか、
とても丁寧に向き合っていただき、
本当にありがとうございました。
これから生きていく上で、
ずっと持っていられる言葉を
たくさんいただくことができました。
 
先生が快復されたら、
ぜひお会いできればと思います。
 
先生がまた元気に教壇に立てることを
祈っております。
引き続き、よろしくお願い致します!

中村先生
こちらこそありがとう。
このような形で文章を書くのはたいへんでしたが
いい経験になりました。
 
編集等、よろしくお願いします。
また会えるのを楽しみにしています。

(おわります。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!)