代官山シネマトーク「映画生活のたのしみ」編
第4回 オススメ映画を教えて下さい
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少年時代の話が出てきましたが、
映画にはまるきっかけとなった作品はありますか?
いくつかおススメしていただければと!
- 吉川
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おススメっていうとね、
再上映で歴史を遡りながら観てきた映画と、
俺が封切りで、リアルタイムで観てきた映画があるのね。
どちらがよろしいですか?(笑)
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今日は、リアルタイムで観ていた方で、
お願いします!(笑)
- 吉川
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リアルタイムですか(笑)
- ――
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はい!
- 吉川
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じゃあまずね、日本映画のおススメは
中々難しいから、洋画にしましょう。
小学校6年生までは、日本映画ばっかり観ていました。
それは東宝の青春映画。
女優さんがかわいらしくって、
加山雄三さんがとにかくかっこよかった。
で、1972年ごろだったかな?俺が中学生の頃に
『ロードショー』っていう映画雑誌ができて、
だいたいの中学生が「外国のスターかっこいい!」
って、洋画に目覚め始めたの。
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ああ、当時は皆そろって同じ映画を観るような
流行というか、文化的な力があったんですね。
- 吉川
-
そう。でも当時の俺は興味が持てなかった。
「洋画なんて知らねーよ」って思ってた。
けど、ある時クラスで、
「吉川くん、この映画知ってる?」って言われて。
「え?小さな恋のメロディ?知らねえなあ」
「吉川君ってさ、この映画に出てくる
ジャック・ワイルドに似てるんだけど」
って言われたんだよ。
- ――
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え・・・・?当時?似てますか?
- 吉川
-
うん当時。
だんごっ鼻でニキビ面で、ってことでね?
で、当時の俺は「なんだそれ。どんな奴だ?」と。
そこで、その時名画座で再上映されていた
『小さな恋のメロディ』を初めて観た。
そしたらさ、悪くないんだな、これが。
似てるとか似てないとかは関係なしに、
「あ、これが洋画ってものなのか」ってことが、
その時初めてわかった。
で、その上映では次回の予告編が流れていたわけ。
『わらの犬』と『卒業』の、
主演ダスティン・ホフマン2本立て上映。
観てみたらさ、また大人の入り口なんだなこれが。
「へぇ~、洋画はこんなのもやってるのか」
「よし、来週も行こう!」って(笑)
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はい。見事にハマっていきます!(笑)
- 吉川
-
はい。もう止まりません!(笑)
で、翌週に『わらの犬』を観たんですよ。
この映画はね。とあるアメリカの学者が
イギリスの片田舎に引っ越したんだけれども、
気弱で、なかなか土地になじめない。
まあ要するに、自分のテリトリーを守ろうとする男だな。
でも村としては、突然都会から
インテリの学者がやってきたものだから、
「お前らが来るところじゃねえよ」ってことで、
若者たちが悪さをし始める。
それがだんだんとエスカレートして、
最後には殺し合いになるわけさ。
そういう映画なのよ。もう衝撃的でさ。
俺、観た途端にうおぉ~!って燃えちゃって、
すぐに監督の名前を覚えましたね。
それがサム・ペキンパーだった。
(↑販売DVDコーナーは吉川さんのお気に入りがこっそり)
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へぇ~!そんな『わらの犬』に
どこか共感する部分はありました?
- 吉川
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いや~。もうとにかく衝撃。
それまで観ていた東宝の青春映画は、
ほとんどの世界に共感できていたけど、
ここで初めて、自分のわからない
映画の世界を知ったんだよ。
そしたらその直後かな?そのサム・ペキンパーが作った
西部劇の『ワイルドパンチ』がリバイバルされたわけ。
そりゃすぐに観に行ったんだよ。それはもう良かった。
そこからだね。
「映画って、監督が作るものなんだ」
って感じるようになったのは。
で、そんな時に、いよいよこの夏封切る
アメリカ最大の話題作が上陸します!ってことで、
中学3年の夏休みに観たのが『ゴッドファーザー』なわけだ。
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うお~!うお~!来ました~!
- 吉川
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それは忘れもしない1972年の8月31日、
夏休みの最終日に観た俺は、もうぞっこんだった。
「俺はもうアメリカ映画しかみない!」
みたいな状態になっちゃって。
そこから暫くはアメリカ映画一辺倒ですね。
そうすると、時代としても
「ハリウッド映画って一体何なんだ?」と流れがきて、
アメリカ映画のリバイバルブームが始まった。
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じゃあ、当時は一斉に「アメリカ映画面白い!」
って思うような時代の流れがあったんですね。
- 吉川
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そう。もう映画館でも全盛期。
ジョン・フォードの『駅馬車』も観た。
『風と共に去りぬ』もやってきます。
『ウエストサイド物語』も『サウンド・オブ・ミュージック』も
『戦場にかける橋』も『アラビアのロレンス』も、
全部リバイバルでやってくれるわけだ。
それは今でいうと、
TOHOシネマズ日劇の一番大きなスクリーンで、
『スター・ウォーズ』を長期間、
再上映するようなものだよね。
- ――
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はぁ~。すごい。ありがたいですね。
- 吉川
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だからそこで名作を上映で一気に観て、
アメリカ映画の歴史の流れを知れた。
そこで、俺は高校生になりました。
親友に「行こうぜ行こうぜ」って言われて
無理やり観させられたのが、『燃えよドラゴン』。
正月映画なのに、ずーっと遅れて5月5日に観た。
『燃えよドラゴン』はね、本来正月映画なんだけど、
もう、ひたすらひたすら上映して。
- ――
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えっ、一度終わって再上映・・・・ではなくて、
半年間ずっと同じ作品が
上映されていたってことですか?
- 吉川
-
そうそう。ずっとやってたんだよ。
正月から5月まで。大ヒットしたんですよね。
俺は『燃えよドラゴン』には興味がなくて、
友達のとも「香港映画なんて嫌だよ」
「いや違うんだよ、ハリウッドなんだよ。」
「だけど香港じゃねえか」って言い合いながら観た(笑)
- ――
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全然興味なかったんですね(笑)
その後「やっぱり香港映画もいいな!」って思いましたか?
よく接客しているところを見かけますし、
過去の記事でも取り上げていましたよね。
- 吉川
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ならないならない。けどすごい映画だよ。
特にパッケージ業界に与えた影響は大きかった。
あと俺は、その時連れられた友達も含めて、
ブルース・リーに物凄く影響を受けていた熱い連中を
リアルタイムで知ってるから、語れるっていう話。
当時高校生の吉川少年が、何に夢中だったかというと、
ブルース・リーよりもミュージカルなんだ。
その頃『ザッツ・エンタテインメント』が公開されて、
そこで俺は古き良きミュージカルを教わりました。
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おお~!ミュージカル!
吉川さんはミュージカル好きというイメージがありました。
ここが始まりだったんですね。
- 吉川
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それは、50年の歴史の中で作られた、
輝くべきミュージカルを集めた名場面集の映画でした。
その年のキネマ旬報ベスト10の中にも入っている名作で、
そこで多くの洋画キッズたちがミュージカルに目覚めた。
で、当時
『オズの魔法使い』やら『巴里のアメリカ人』は
テレビで放送されていたから観ていたけども、
そのほか紹介されている30本にわたる
映画の本編なんかは、観れやしない状況。
だから、その時何を思ったかっていうと、
「ここで紹介されている作品の本編を、
死ぬまでに全部上映で観たい。」
それがビデオの時代になると、
「全部集めたい」ってことだよね。

(↑そんな名作ミュージカルを集めた棚も作っています。)
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そうか、そうした情報を寄せ集める役割を、
当時は映画そのものが担っていたんですね。
- 吉川
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そうそう。で、次は70年代後半か。
えーと、1977年に出たのは『スター・ウォーズ』。
アメリカンニューシネマをばっさり切り捨てて、
「スペースオペラで楽しい映画を作りましょう」
っていう大きな動きが映画史の中でもあったから、
本来それを話すべきなんだろうけど。
それよりも良かったのは『ディア・ハンター』。
1960年後半にはベトナム戦争があって、
戦後それを引きずった作品が色々と出てきたんだけど、
『ディア・ハンター』には、その戦争そのものが描かれていた。
これを20歳前後に観たものだから、そりゃあ衝撃的でしたよ。
えーともっとその、戦争に行く・・・・
まあいいや、『ディア・ハンター』観なさい(笑)
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もう(笑)
- 吉川
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本当は色々言葉にして語りたいところなんだけど、
たった一言『映画を見ればわかること』
って、川本三郎さんが書いたタイトルじゃないけど。
「もう観なさい」しか言えないわけさ(笑)
- ――
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はい。はい。すみません(笑)
- 吉川
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まずは観て、観た映画を
「これはどういうことですか?」
「これはどういう風に観たら面白いですか?」
って話なら喜んで「もっとお教えいたしましょう!」
ってなるんだけどもね。
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はい。観ます。
色んな「観なさい」が聞けるだけでうれしいです。
ああ、全然足りないなあ。世界広いな・・・・
- 吉川
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まあ、俺も自分が生まれるもっと前の映画を
後からどんどん遡ってきたわけだから、
これから色んなものを観て、
どんどん吸収していけば十分だと思うよ?