もくじ
第1回映画のしっぽにかじりつきたかった 2017-12-05-Tue
第2回どうやって映画を観てますか? 2017-12-05-Tue
第3回映画館ならではのときめき 2017-12-05-Tue
第4回オススメ映画を教えて下さい 2017-12-05-Tue
第5回観てない映画とコレクション 2017-12-05-Tue

1994年生まれ。ほっかいどうの田舎そだち。
出版と映画のしごとをしながら、勉強をしています。
好きな本はボッコちゃん、好きな映画はぼくの伯父さん、すきな楽器は小太鼓です。

代官山シネマトーク</br>「映画生活のたのしみ」編

代官山シネマトーク
「映画生活のたのしみ」編

第4回 オススメ映画を教えて下さい

――
少年時代の話が出てきましたが、
映画にはまるきっかけとなった作品はありますか?
いくつかおススメしていただければと!
吉川
おススメっていうとね、
再上映で歴史を遡りながら観てきた映画と、
俺が封切りで、リアルタイムで観てきた映画があるのね。
どちらがよろしいですか?(笑)
――
今日は、リアルタイムで観ていた方で、
お願いします!(笑)
吉川
リアルタイムですか(笑)
――
はい!
吉川
じゃあまずね、日本映画のおススメは
中々難しいから、洋画にしましょう。
小学校6年生までは、日本映画ばっかり観ていました。
それは東宝の青春映画
女優さんがかわいらしくって、
加山雄三さんがとにかくかっこよかった。
 
で、1972年ごろだったかな?俺が中学生の頃に
『ロードショー』っていう映画雑誌ができて、
だいたいの中学生が「外国のスターかっこいい!」
って、洋画に目覚め始めたの。
――
ああ、当時は皆そろって同じ映画を観るような
流行というか、文化的な力があったんですね。
吉川
そう。でも当時の俺は興味が持てなかった。
「洋画なんて知らねーよ」って思ってた。
 
けど、ある時クラスで、
「吉川くん、この映画知ってる?」って言われて。
「え?小さな恋のメロディ?知らねえなあ」
「吉川君ってさ、この映画に出てくる
ジャック・ワイルドに似てるんだけど」
って言われたんだよ。
――
え・・・・?当時?似てますか?
吉川
うん当時。
だんごっ鼻でニキビ面で、ってことでね?
 
で、当時の俺は「なんだそれ。どんな奴だ?」と。
そこで、その時名画座で再上映されていた
『小さな恋のメロディ』を初めて観た。
そしたらさ、悪くないんだな、これが。
似てるとか似てないとかは関係なしに、
「あ、これが洋画ってものなのか」ってことが、
その時初めてわかった。
 
で、その上映では次回の予告編が流れていたわけ。
『わらの犬』『卒業』の、
主演ダスティン・ホフマン2本立て上映。
観てみたらさ、また大人の入り口なんだなこれが。
「へぇ~、洋画はこんなのもやってるのか」
「よし、来週も行こう!」って(笑)
――
はい。見事にハマっていきます!(笑)
吉川
はい。もう止まりません!(笑) 
で、翌週に『わらの犬』を観たんですよ。
この映画はね。とあるアメリカの学者が
イギリスの片田舎に引っ越したんだけれども、
気弱で、なかなか土地になじめない。
まあ要するに、自分のテリトリーを守ろうとする男だな。
 
でも村としては、突然都会から
インテリの学者がやってきたものだから、
「お前らが来るところじゃねえよ」ってことで、
若者たちが悪さをし始める。
それがだんだんとエスカレートして、
最後には殺し合いになるわけさ。
 
そういう映画なのよ。もう衝撃的でさ。
俺、観た途端にうおぉ~!って燃えちゃって、
すぐに監督の名前を覚えましたね。
それがサム・ペキンパーだった。
(↑販売DVDコーナーは吉川さんのお気に入りがこっそり)
――
へぇ~!そんな『わらの犬』
どこか共感する部分はありました?
吉川
いや~。もうとにかく衝撃。
それまで観ていた東宝の青春映画は、
ほとんどの世界に共感できていたけど、
ここで初めて、自分のわからない
映画の世界を知ったんだよ。
 
そしたらその直後かな?そのサム・ペキンパーが作った
西部劇の『ワイルドパンチ』がリバイバルされたわけ。
そりゃすぐに観に行ったんだよ。それはもう良かった。
そこからだね。
「映画って、監督が作るものなんだ」
って感じるようになったのは。
 
で、そんな時に、いよいよこの夏封切る
アメリカ最大の話題作が上陸します!ってことで、
中学3年の夏休みに観たのが『ゴッドファーザー』なわけだ。
――
うお~!うお~!来ました~!
吉川
それは忘れもしない1972年の8月31日、
夏休みの最終日に観た俺は、もうぞっこんだった。
「俺はもうアメリカ映画しかみない!」
みたいな状態になっちゃって。
そこから暫くはアメリカ映画一辺倒ですね。
 
そうすると、時代としても
「ハリウッド映画って一体何なんだ?」と流れがきて、
アメリカ映画のリバイバルブームが始まった。
――
じゃあ、当時は一斉に「アメリカ映画面白い!」
って思うような時代の流れがあったんですね。
吉川
そう。もう映画館でも全盛期。
ジョン・フォードの『駅馬車』も観た。
『風と共に去りぬ』もやってきます。
『ウエストサイド物語』『サウンド・オブ・ミュージック』
『戦場にかける橋』『アラビアのロレンス』も、
全部リバイバルでやってくれるわけだ。
 
それは今でいうと、
TOHOシネマズ日劇の一番大きなスクリーンで、
『スター・ウォーズ』を長期間、
再上映するようなものだよね。
――
はぁ~。すごい。ありがたいですね。
吉川
だからそこで名作を上映で一気に観て、
アメリカ映画の歴史の流れを知れた。
そこで、俺は高校生になりました。
親友に「行こうぜ行こうぜ」って言われて
無理やり観させられたのが、『燃えよドラゴン』
 
正月映画なのに、ずーっと遅れて5月5日に観た。
『燃えよドラゴン』はね、本来正月映画なんだけど、
もう、ひたすらひたすら上映して。
――
えっ、一度終わって再上映・・・・ではなくて、
半年間ずっと同じ作品が
上映されていたってことですか?
吉川
そうそう。ずっとやってたんだよ。
正月から5月まで。大ヒットしたんですよね。
俺は『燃えよドラゴン』には興味がなくて、
友達のとも「香港映画なんて嫌だよ」
「いや違うんだよ、ハリウッドなんだよ。」
「だけど香港じゃねえか」って言い合いながら観た(笑)
――
全然興味なかったんですね(笑)
その後「やっぱり香港映画もいいな!」って思いましたか?
よく接客しているところを見かけますし、
過去の記事でも取り上げていましたよね。
吉川
ならないならない。けどすごい映画だよ。
特にパッケージ業界に与えた影響は大きかった。
あと俺は、その時連れられた友達も含めて、
ブルース・リーに物凄く影響を受けていた熱い連中を
リアルタイムで知ってるから、語れるっていう話。
 
当時高校生の吉川少年が、何に夢中だったかというと、
ブルース・リーよりもミュージカルなんだ。
その頃『ザッツ・エンタテインメント』が公開されて、
そこで俺は古き良きミュージカルを教わりました。
――
おお~!ミュージカル!
吉川さんはミュージカル好きというイメージがありました。
ここが始まりだったんですね。
吉川
それは、50年の歴史の中で作られた、
輝くべきミュージカルを集めた名場面集の映画でした。
その年のキネマ旬報ベスト10の中にも入っている名作で、
そこで多くの洋画キッズたちがミュージカルに目覚めた。
 
で、当時
『オズの魔法使い』やら『巴里のアメリカ人』
テレビで放送されていたから観ていたけども、
そのほか紹介されている30本にわたる
映画の本編なんかは、観れやしない状況。
 
だから、その時何を思ったかっていうと、
「ここで紹介されている作品の本編を、
死ぬまでに全部上映で観たい。」
それがビデオの時代になると、
「全部集めたい」ってことだよね。

(↑そんな名作ミュージカルを集めた棚も作っています。)
――
そうか、そうした情報を寄せ集める役割を、
当時は映画そのものが担っていたんですね。
吉川
そうそう。で、次は70年代後半か。
えーと、1977年に出たのは『スター・ウォーズ』
アメリカンニューシネマをばっさり切り捨てて、
「スペースオペラで楽しい映画を作りましょう」
っていう大きな動きが映画史の中でもあったから、 
本来それを話すべきなんだろうけど。
 
それよりも良かったのは『ディア・ハンター』
1960年後半にはベトナム戦争があって、
戦後それを引きずった作品が色々と出てきたんだけど、
『ディア・ハンター』には、その戦争そのものが描かれていた。
これを20歳前後に観たものだから、そりゃあ衝撃的でしたよ。
えーともっとその、戦争に行く・・・・
まあいいや、『ディア・ハンター』観なさい(笑)
――
もう(笑)
吉川
本当は色々言葉にして語りたいところなんだけど、
たった一言『映画を見ればわかること』
って、川本三郎さんが書いたタイトルじゃないけど。
「もう観なさい」しか言えないわけさ(笑)
――
はい。はい。すみません(笑)
吉川
まずは観て、観た映画を
「これはどういうことですか?」
「これはどういう風に観たら面白いですか?」
って話なら喜んで「もっとお教えいたしましょう!」
ってなるんだけどもね。
――
はい。観ます。
色んな「観なさい」が聞けるだけでうれしいです。
ああ、全然足りないなあ。世界広いな・・・・
吉川
まあ、俺も自分が生まれるもっと前の映画を
後からどんどん遡ってきたわけだから、
これから色んなものを観て、
どんどん吸収していけば十分だと思うよ?
第5回 観てない映画とコレクション