しっかり者の母は、僕が幼い頃から、僕の身の回りのことを
隅から隅まできちんとやってくれた。
泥だらけの野球のユニフォームを母に渡せば、必ずいつも
真っ白になって返ってきた。
小学生のときには、冬休み恒例の書き初めの宿題があったの
だが、習字が苦手な僕は、とにかく納得のいく一枚を
書き上げるのに時間がかかった。それでも母は、一日中
僕の習字に付き合ってくれた。
母が心を込めて書く字は、
僕の字よりもはるかに丁寧で美しかった。
僕は小学校から高校までずっと運動部に所属していたことも
あり、お腹をペコペコにして家に帰ってくる日が多かった。
そんなとき、母がつくる手料理は、
育ち盛りの僕のお腹を、いつも優しく満たしてくれた。
母はどんなに忙しくても、料理に手を抜かなかった。
だからこそ、つくるのに少し時間がかかるときもあった。
当時の僕は、そんなことは気にもかけず、
「めしまだ〜?」と、わがままばかり言っていたのを
よく覚えている。今考えると、本当に申し訳ない
ことをしていたなと、痛感させられるばかりだ。
玉子焼き、肉じゃが、ポテトサラダ、ぎょうざ、
カレーライス、ブリの照り焼き。
どれもおいしいものばかりだった。
少しつくりすぎてしまい、父や僕に「つくりすぎだよ」
と言われることは多々あった。
僕たちが「これちょっと味薄くない?」みたいなことを
言うことも、ごくたまにあった。
気にしいな母はそういうとき、いつも
「ごめんね」と言いながら、
なんとも申し訳なさそうな表情を浮かべた。
父と僕が「おいしくないってことじゃないんだよ」と
必死にフォローしても
(実際おいしくないなんて思ったことは一度もない)、
母はしばらく引きずっていた。
母には、そういう繊細な一面があった。
そんな母だからこそ、あんなにも優しい味のご飯が
つくれるのだと思う。母がつくってくれた
おいしいご飯のおかげで、ここまで20年間、
体調を大きく崩すこともなく、健康に育つことができた。
本当に、感謝してもしきれない思いでいっぱいである。
(つづきます)