自分らしく意思決定する。
自分のありたい姿に沿って意思決定する。
それは、実はとっても難しいと思う。
まず、自分らしく意思決定するための「モノサシ」
が見つかりにくい。
自分らしい意思決定って?
自分にとって当たり前のことだからこそ、
形として握りしめることは難しい。
偏差値や給与の額などで、
数値化された選択肢から選ぶこともできる。
できるだけ数字が高いところへ行って、
「選択」自体を後回しにすることもできる。
しかしよくよく考えると、
偏差値が良くたってなんでもいいわけじゃない。
給与が良くたってなんでもいいわけじゃない。
そんな無限の選択肢の中に放り出されると、
何を基準に自分は選択をしたいのか、
自分のことでありながら、分からなくなってしまう。
自分らしいモノサシが見つかったとしても、
自分らしく意思決定できるとは限らない。
人に認められたい、失敗したくない・・・・。
そんな別のモノサシが、
自分のモノサシを差し置いて出しゃばってくる。
もちろん上記に挙げたモノサシの例が、
その人らしいモノサシの場合もあると思う。
そのモノサシが自分のモノサシだと分かった上で、
意思決定ができていれば、
きっとその後もその人らしい人生を生きていくと思う。
一方、自分のモノサシが見つからずに
世の中のモノサシを採用していたり、
自分のモノサシもわかった上で、
別のモノサシと悩んでいたりする場合もある。
でも、そんな葛藤を乗り越えて行われる
「その人らしい意思決定」は、何より美しい。
今まで私が見た美しい光景。
富士山から見たご来光より、
オホーツク海に沈む夕日より、何より美しい。

美しいと表現すると訝しげな顔をされることが多いのだが、
私はこれ以外の形容する言葉をまだ見つけられていない。
その人らしい意思決定の瞬間は美しい。
それに出会うたび私は、
大好きなITも人を超えることはないだろうと思うのです。
<終わり(読んでくださりありがとうございました)>
