もくじ
第1回手土産コミュニケーション 2017-03-28-Tue
第2回梁山泊でのお花見大問題 2017-03-28-Tue
第3回発信じゃない。受信です。 2017-03-28-Tue
第4回超アマチュアでいたい 2017-03-28-Tue
第5回それぞれのリンダリンダ 2017-03-28-Tue

三重県生まれ。新卒で大手電気メーカーに入社するが、編集の仕事に挑戦したいと上京。出版社にて編集、Web制作会社にて編集・Web制作ディレクターを経て、2016年からフリーランス。
Web制作半分・メディア半分。カメラと旅行とお酒が好き。

手土産論からはじまる、
はじめてのコピー・広告談義。
田中 泰延 × 糸井 重里 の
ツイッターの外での話。

第3回 発信じゃない。受信です。

糸井
田中泰延っていう人がこのチームの中で
どういう存在なのかがまったくわからないんですよ。
つまり、誰もわかんないチームだね、あれは。
田中
そうですね。でも、もうそれは居心地よすぎて。
糸井
居心地いいね。20何年?
田中
4年、24年。
糸井
相当長いですよね。実際に仕事もたくさんして。
田中
はい。
糸井
僕が田中さんを最初に認識したのが、
東京コピーライターズクラブのリレーコラムで、
読み始めたらおもしろくて、
「誰これ?」っていうのが、まだせいぜい2年前くらい。
田中
そうですね、2015年の4月くらいに書きました。
糸井
それまでに田中泰延名義で、ああやって
個人の何かを書くことはなかったんですか?
田中
一切なかったんです。
 
で、コピーライターとして、キャッチコピー20文字程度、
ボディコピー200文字とか書いてきていたんですが、
それ以上長いものを書いたということが、
人生にはもうないですから、あのぅ‥‥。
一同
(笑)
田中
それまで一番長かったのが、大学の卒論で、
原稿用紙200枚くらい書いたんですが、
人の本の丸写しですから、書いたうちに入らないですね。
糸井
それは何の研究なんですか?
田中
芥川龍之介の『羅生門』の小説だけで200枚くらい書きました。
もういろんな人のね、丸写し。
糸井
切ったり貼ったり?
田中
切ったり貼ったり、切ったり貼ったり。
担当教授にそれを見せたら、「これは私は評価できません」と。
で、「荒俣宏先生の所にこれを送るから、
おもしろがってもらいなさい」と、
「とりあえず卒業させてあげますけど、私は知りません」
って言われたんですよ。その時から多少変だったんでしょうね。
糸井
のちに、僕らが「石田三成研究」で味わうことを(笑)、
大学の先生が味わったわけですね。
それしか書いてないんですか?
田中
それしか書いてない。
糸井
ラブのレターとかは?
田中
まったくもう、苦手で。その後、なんか書くって言ったら、
2010年にツイッターに出会ってからですね。
140文字までしか書けないので、
コピーを書いてる身としては、こりゃあ楽だ
と始めたんです。
糸井
ちょうどいいんですよね。
じゃあ、本当に広告人だったんですか?
田中
もう真面目な、ものすごく真面目な広告人。

糸井
誰かの物真似みたいですね(笑)。
コピーライターとして文字を書く仕事と
プランナーもやってたんですね。
田中
はい、テレビCM。
糸井
その分量配分はどんな感じですか?
田中
えぇと、関西は、いわゆる平面、ポスター、新聞、雑誌は
仕事自体が少ないんですよね。
出版社も新聞社も全部東京なんで、いわゆる文字を書く
コピー仕事もほとんどなくて。
 
実質20年くらい、テレビCMの企画ばかり。
もちろんテレビCMの最後には、何かコピーが載りますけど。
糸井
「来てね」とかね(笑)。
田中
あります、あります、「当たります」とかあります(笑)。
だから、ツイッターができた時には、文字を書いて打った瞬間、
活字になって、人にばらまかれるっていうことに関して、
俺は飢えてたっていう感覚はありました。
糸井
すごい溜まり方ですね。
田中
もうすごいんですね。溜めに溜まった何かが(笑)。
糸井
ということは、筆下ろしはコピーライターズクラブのコラム?
田中
はい。
糸井
そのうちの中身にあたるものはほとんどなくて。
800字のうち600字くらいは、
どうでもいいことだけが書いてあるっていう文章。
田中
今でも全然変わらないですね、それ。
糸井
ねぇ。で、おもしろかったんですよ。
僕、27、8の若い人だと思ってたんだけど、
いつ頃だろう、27、8じゃないってわかったのは(笑)。
田中
46、7のオッサンだったっていう(笑)。
そして、好きに勝手に書くっていうことになったのが
45,6歳ってことですよね。

糸井
(笑)つい3、2年前。ヒエェーッ。
で、映画評みたいなものが次ですか?
田中
はい。電通の先輩がある日、突然大阪を訪ねて来られて、
大阪のヒルトンホテルで、いい和食をご馳走になって。
そしたら「食べましたね。食べましたね、今」、
「つきましてはお願いがあります」。
 
その先輩が東京コピーライターズクラブのリレーコラムと、
ツイッターで時々、映画の感想を2、3行書いてたんですね。
それを見て、「うちで連載してください」と。
  
で、分量を聞いたら、
「ツイッターでも2、3行で映画評をしているので、
2、3行でいいです」と。
糸井
(笑)
田中
「映画観て、2、3行書く仕事的な?」って聞いたら、
「そうです」って言うから、映画を観て、
次の週に、とりあえず7,000字書いて送りました。
糸井
2、3行が(笑)。
田中
2、3行のはずが7,000字になってたんですよね。
最初は2、3行で書くつもりだったんですよ。
そしたら初めて、勝手に無駄話が止まらない経験をしたんです。
「俺は何をしているんだ、眠いのに」ってキーボードに向かって。
糸井
うれしさ?
田中
なんでしょう?
「これを明日ネットで流せば、絶対笑うやつがいるだろう」
と想像すると、ちょっと取り憑かれたようになったんですよ。
糸井
もし雑誌のメディアとかなんかだったら、
そんな急に7,000字って、まずはないですよね。
頼んだほうも頼んだほうだし、メディアもインターネットだし、
そこの幸運はすごいですねぇ。
田中
その後、雑誌に寄稿っていうのもあったんですけど、
雑誌は、僕に直接「おもしろかった」とか、「読んだよ」
とかの反響がないので、いくら印刷されて、
本屋に置いてあっても、なんかピンと来ないんですよね。
糸井
はぁ、インターネットネイティブの発想ですね。
田中
45にして(笑)。
糸井
はぁ、おもしろい。そんなの、すごいことですね。
だって、酸いも甘いも、40いくつだから、知っているのに。
田中
僕の中では相変わらず、何かを書いたら、お金ではなく、
「おもしろい」とか、「全部読んだよ」とか、
「この結論は納得した」とかっていう声が報酬になってますね。
家族はたまったもんじゃないでしょうけどね、それが報酬だと。
糸井
車谷長吉みたいなもんですね。
だけど、自分が文字を書く人、考えたことを文字に直す人という
認識そのものが無い時代が20年以上あるのは不思議ですね。
「嫌いだ」とか「好きだ」とかは思ってなかったんですか?
田中
読むのが好きで。
「ひたすら読んでました」っていうのはあったんですけど、
それで自分がまさかダラダラと何かを書くとは夢にも思わず。
糸井
「読み手として書いてるっていうタイプの人」という言い方で
いいのか分からないけど、コピーライターって、
書いてる人というより、読んでる人として書いてる気がする

だから、うーん‥‥、視線は読者に向かってるんじゃなくて、
自分が読者で、自分が書いてくれるのを待ってる
みたいな。
田中
おっしゃるとおり! いや、それすごく、すっごくわかります。
糸井
初めてそれを、あ、すいません、ありがとうございます(笑)。
これ、お互い初めて言い合った話だね。
田中
いや、そんな、ねぇ、糸井重里さんですよ。
一同
(笑)
糸井
これ説明するのむずかしいですねぇ。
田中
むずかしいですね。でも、発信してるんじゃないんですよね。
糸井
受信してるんです。
で、言うことがない人は書かないって思ってたら大間違いで。
「受け手であるということを、伸び伸びと味わいたい!」
「それを誰がやってくれるのかな」、「俺だよ」っていう。
田中
そうなんです。
糸井
あぁ、なんて言っていいんだろう、これ。
書かないで済んでた時代のことが、今やっと、
なんであんなにおもしろいかって分かった。
広告屋だったからだ。
田中
そうなんです。広告屋はね、発信しないですもんね。
糸井
しない。でも、受け手としては感性が絶対にあるわけで、
俺の受け取り方っていうのは、発信しなくても個性なんです。
で、そこでピタッと来るものを探してたら、
人がなかなか書いてくれないから、「俺がやるの?」っていう。
それが仕事になっていた
んですよね。
自分がやってることも今わかったわ。
田中
(笑)
糸井
僕ね、嫌いなんですよ、ものを書くのが。

田中
わかります。
糸井
前から、前からそう言ってますけど(笑)。
田中
僕もすっごい嫌(笑)。古賀さんもすごい嫌って言ったけど、みんな嫌なんですよ、本当に。
第4回 超アマチュアでいたい