手土産論からはじまる、はじめてのコピー・広告談義。田中 泰延 × 糸井 重里 のツイッターの外での話。

第3回 発信じゃない。受信です。
- 糸井
-
田中泰延っていう人がこのチームの中で
どういう存在なのかがまったくわからないんですよ。
つまり、誰もわかんないチームだね、あれは。
- 田中
-
そうですね。でも、もうそれは居心地よすぎて。
- 糸井
-
居心地いいね。20何年?
- 田中
-
4年、24年。
- 糸井
-
相当長いですよね。実際に仕事もたくさんして。
- 田中
-
はい。
- 糸井
-
僕が田中さんを最初に認識したのが、
東京コピーライターズクラブのリレーコラムで、
読み始めたらおもしろくて、
「誰これ?」っていうのが、まだせいぜい2年前くらい。
- 田中
-
そうですね、2015年の4月くらいに書きました。
- 糸井
-
それまでに田中泰延名義で、ああやって
個人の何かを書くことはなかったんですか?
- 田中
-
一切なかったんです。
で、コピーライターとして、キャッチコピー20文字程度、
ボディコピー200文字とか書いてきていたんですが、
それ以上長いものを書いたということが、
人生にはもうないですから、あのぅ‥‥。
- 一同
-
(笑)
- 田中
-
それまで一番長かったのが、大学の卒論で、
原稿用紙200枚くらい書いたんですが、
人の本の丸写しですから、書いたうちに入らないですね。
- 糸井
-
それは何の研究なんですか?
- 田中
-
芥川龍之介の『羅生門』の小説だけで200枚くらい書きました。
もういろんな人のね、丸写し。
- 糸井
-
切ったり貼ったり?
- 田中
-
切ったり貼ったり、切ったり貼ったり。
担当教授にそれを見せたら、「これは私は評価できません」と。
で、「荒俣宏先生の所にこれを送るから、
おもしろがってもらいなさい」と、
「とりあえず卒業させてあげますけど、私は知りません」
って言われたんですよ。その時から多少変だったんでしょうね。
- 糸井
-
のちに、僕らが「石田三成研究」で味わうことを(笑)、
大学の先生が味わったわけですね。
それしか書いてないんですか?
- 田中
-
それしか書いてない。
- 糸井
-
ラブのレターとかは?
- 田中
-
まったくもう、苦手で。その後、なんか書くって言ったら、
2010年にツイッターに出会ってからですね。
140文字までしか書けないので、
コピーを書いてる身としては、こりゃあ楽だと始めたんです。
- 糸井
-
ちょうどいいんですよね。
じゃあ、本当に広告人だったんですか?
- 田中
-
もう真面目な、ものすごく真面目な広告人。

- 糸井
-
誰かの物真似みたいですね(笑)。
コピーライターとして文字を書く仕事と
プランナーもやってたんですね。
- 田中
-
はい、テレビCM。
- 糸井
-
その分量配分はどんな感じですか?
- 田中
-
えぇと、関西は、いわゆる平面、ポスター、新聞、雑誌は
仕事自体が少ないんですよね。
出版社も新聞社も全部東京なんで、いわゆる文字を書く
コピー仕事もほとんどなくて。
実質20年くらい、テレビCMの企画ばかり。
もちろんテレビCMの最後には、何かコピーが載りますけど。
- 糸井
-
「来てね」とかね(笑)。
- 田中
-
あります、あります、「当たります」とかあります(笑)。
だから、ツイッターができた時には、文字を書いて打った瞬間、
活字になって、人にばらまかれるっていうことに関して、
俺は飢えてたっていう感覚はありました。
- 糸井
-
すごい溜まり方ですね。
- 田中
-
もうすごいんですね。溜めに溜まった何かが(笑)。
- 糸井
-
ということは、筆下ろしはコピーライターズクラブのコラム?
- 田中
-
はい。
- 糸井
-
そのうちの中身にあたるものはほとんどなくて。
800字のうち600字くらいは、
どうでもいいことだけが書いてあるっていう文章。
- 田中
-
今でも全然変わらないですね、それ。
- 糸井
-
ねぇ。で、おもしろかったんですよ。
僕、27、8の若い人だと思ってたんだけど、
いつ頃だろう、27、8じゃないってわかったのは(笑)。
- 田中
-
46、7のオッサンだったっていう(笑)。
そして、好きに勝手に書くっていうことになったのが
45,6歳ってことですよね。

- 糸井
-
(笑)つい3、2年前。ヒエェーッ。
で、映画評みたいなものが次ですか?
- 田中
-
はい。電通の先輩がある日、突然大阪を訪ねて来られて、
大阪のヒルトンホテルで、いい和食をご馳走になって。
そしたら「食べましたね。食べましたね、今」、
「つきましてはお願いがあります」。
その先輩が東京コピーライターズクラブのリレーコラムと、
ツイッターで時々、映画の感想を2、3行書いてたんですね。
それを見て、「うちで連載してください」と。
で、分量を聞いたら、
「ツイッターでも2、3行で映画評をしているので、
2、3行でいいです」と。
- 糸井
-
(笑)
- 田中
-
「映画観て、2、3行書く仕事的な?」って聞いたら、
「そうです」って言うから、映画を観て、
次の週に、とりあえず7,000字書いて送りました。
- 糸井
-
2、3行が(笑)。
- 田中
-
2、3行のはずが7,000字になってたんですよね。
最初は2、3行で書くつもりだったんですよ。
そしたら初めて、勝手に無駄話が止まらない経験をしたんです。
「俺は何をしているんだ、眠いのに」ってキーボードに向かって。
- 糸井
-
うれしさ?
- 田中
-
なんでしょう?
「これを明日ネットで流せば、絶対笑うやつがいるだろう」
と想像すると、ちょっと取り憑かれたようになったんですよ。
- 糸井
-
もし雑誌のメディアとかなんかだったら、
そんな急に7,000字って、まずはないですよね。
頼んだほうも頼んだほうだし、メディアもインターネットだし、
そこの幸運はすごいですねぇ。
- 田中
-
その後、雑誌に寄稿っていうのもあったんですけど、
雑誌は、僕に直接「おもしろかった」とか、「読んだよ」
とかの反響がないので、いくら印刷されて、
本屋に置いてあっても、なんかピンと来ないんですよね。
- 糸井
-
はぁ、インターネットネイティブの発想ですね。
- 田中
-
45にして(笑)。
- 糸井
-
はぁ、おもしろい。そんなの、すごいことですね。
だって、酸いも甘いも、40いくつだから、知っているのに。
- 田中
-
僕の中では相変わらず、何かを書いたら、お金ではなく、
「おもしろい」とか、「全部読んだよ」とか、
「この結論は納得した」とかっていう声が報酬になってますね。
家族はたまったもんじゃないでしょうけどね、それが報酬だと。
- 糸井
-
車谷長吉みたいなもんですね。
だけど、自分が文字を書く人、考えたことを文字に直す人という
認識そのものが無い時代が20年以上あるのは不思議ですね。
「嫌いだ」とか「好きだ」とかは思ってなかったんですか?
- 田中
-
読むのが好きで。
「ひたすら読んでました」っていうのはあったんですけど、
それで自分がまさかダラダラと何かを書くとは夢にも思わず。
- 糸井
-
「読み手として書いてるっていうタイプの人」という言い方で
いいのか分からないけど、コピーライターって、
書いてる人というより、読んでる人として書いてる気がする。
だから、うーん‥‥、視線は読者に向かってるんじゃなくて、
自分が読者で、自分が書いてくれるのを待ってるみたいな。
- 田中
-
おっしゃるとおり! いや、それすごく、すっごくわかります。
- 糸井
-
初めてそれを、あ、すいません、ありがとうございます(笑)。
これ、お互い初めて言い合った話だね。
- 田中
-
いや、そんな、ねぇ、糸井重里さんですよ。
- 一同
-
(笑)
- 糸井
-
これ説明するのむずかしいですねぇ。
- 田中
-
むずかしいですね。でも、発信してるんじゃないんですよね。
- 糸井
-
受信してるんです。
で、言うことがない人は書かないって思ってたら大間違いで。
「受け手であるということを、伸び伸びと味わいたい!」
「それを誰がやってくれるのかな」、「俺だよ」っていう。
- 田中
-
そうなんです。
- 糸井
-
あぁ、なんて言っていいんだろう、これ。
書かないで済んでた時代のことが、今やっと、
なんであんなにおもしろいかって分かった。
広告屋だったからだ。
- 田中
-
そうなんです。広告屋はね、発信しないですもんね。
- 糸井
-
しない。でも、受け手としては感性が絶対にあるわけで、
俺の受け取り方っていうのは、発信しなくても個性なんです。
で、そこでピタッと来るものを探してたら、
人がなかなか書いてくれないから、「俺がやるの?」っていう。
それが仕事になっていたんですよね。
自分がやってることも今わかったわ。
- 田中
-
(笑)
- 糸井
-
僕ね、嫌いなんですよ、ものを書くのが。


- 田中
-
わかります。
- 糸井
-
前から、前からそう言ってますけど(笑)。
- 田中
-
僕もすっごい嫌(笑)。古賀さんもすごい嫌って言ったけど、みんな嫌なんですよ、本当に。