もくじ
第1回シャイな少年 2017-03-28-Tue
第2回その場所で自由にみんな遊べ 2017-03-28-Tue
第3回「いいね、矢沢」 2017-03-28-Tue
第4回自分から、「こんばんはぁ」 2017-03-28-Tue
第5回水たまりでも魚はいる 2017-03-28-Tue

1990年、福島県生まれ。宇都宮大学国際学部卒業。途上国・先進国の関係に関心があります。共感や親しみで人と人がつながり、そこから温もりのある経済が生まれていくような、そんなインターネットメディアをつくります(まだまだこれから)。よろしくお願いします。

バスタブに水を張って待つ</br>田中泰延×糸井重里</br>書くふたりの「人生」対談

バスタブに水を張って待つ
田中泰延×糸井重里
書くふたりの「人生」対談

第2回 その場所で自由にみんな遊べ

糸井
自分は文字を書く人だとか、
考えたことを文字に直す人だっていう
認識そのものがなかった時代が、
20年以上あるっていう。
不思議ですよね。
「嫌いだ」とか「好きだ」とかは
思ってなかったんですか?
田中
読むのが好きで。
夏の皆さんとの「書くについての公開雑談。」でも、
「ひたすら読んでました」っていうのは言ったんですけど、
まさか自分がダラダラ何かを書くとは夢にも思わず。
糸井
今の言い方を、
自分がどういうふうに感じてるんだろうって、
頭の中で考えていたんですけど。
読み手として書いてるっていうタイプの人、
そういう表現を初めてしたんでわからないけど、
自分にもちょっとそういうところがあって。
コピーライターって、書いてる人っていうより、
読んでる人として書いてる気がするんですよ。
田中
はい、すごくわかります。
糸井
だから、視線は読者に向かってるんじゃなくて、
自分が読者で、自分が書いてくれるのを待ってるみたいな。
田中
おっしゃるとおり!
いや、それ、すごく、すっごくわかります。
糸井
これ、お互い初めて言い合った話だね。
田中
いや、そんな、ねぇ、糸井重里さんですよ。
一同
(笑)
糸井
いやいや。
田中
でも、本当にそうですね。
糸井
これを説明するの、むずかしいですねぇ。
田中
むずかしいですね。
でも、発信してるんじゃないんですよね。
糸井
受信してるんです。
で、自分に言うことがない人間は書かない
って思ってたら大間違いで。
読み手というか、「受け手であるということを、
思いっきりのびのびと、自由に味わいたい!」
って思って、「それを誰がやってくれるのかな」、
「俺だよ」っていう。
田中
そうなんです。
糸井
うわぁ、なんて言ったらいいんだろう、これ。
田中
なんでしょう。
糸井
今の言い方しかできないなぁ。
田中
そうですね。
映画を観るってことに関しても、
まずその映画自体を観ますね。
次に、今はいろんな人が、ネットでも雑誌でも
評論をするじゃないですか。
そうしたら、「何でこの中に、この見方はないのか?」。
それを探してあったら、
もう自分は書かなくていいんですけど、
「この見方、なんでないの?じゃあ、今夜、俺書くの?」
っていうことになるんですよね。
糸井
あぁ、俺、なんであんなにおもしろいかっていうことと、
書かないで済んでた時代のことが、今やっとわかった。
広告屋だったからだ。
田中
そうですね。
糸井
因果な商売だねぇ。
田中
そうなんです。広告屋はね、発信しないですもんね。
糸井
しない。
でも、受け手としては、感性が絶対にあるわけで。
発信するものだけが個性じゃないから、
「俺の受け取り方」も個性なんですよね。
それで、そこにピタッと来るものを探してるのに、
人がなかなか書いてくれないから、
「え、俺がやるの?」っていう。
それが仕事になってたんですよね。
田中
そうですね。
糸井
自分がやってることも今わかったわ。
田中
(笑)
糸井
僕ね、ものを書くのが嫌いなんですよ。
前から言ってますけど(笑)。
田中
僕もすっごい嫌(笑)。
古賀さんもすごい嫌って言ったけど、
みんな嫌なんですよ。本当に。
糸井
でも、「じゃあ、自分の考えってないの?」
っていう問いは、何十何年してきたと思うんですよ。
僕もそうですし、多分田中さんも、
「じゃあ、お前って、なんの考えもないのかよ」
っていうふうに誰かに突きつけられたら、
「そんな人間いないでしょう」っていう一言ですよね。
そこを探しているから、日々生きてるわけでね。
田中
そうですね。
あの、糸井さんがご存じかどうかわからないけれども、
糸井重里botっていうのがあるんですよ。
糸井さんの言葉を再読するちゃんとしたbotではなく、
糸井さんふうに物事に感心するっていう。
だから、いろんなことに関して、
「いいなぁ、僕はこれ、いいと思うなぁ」(笑)。
糸井
あぁ。
田中
つまり、糸井さんの、物事に感心するあの口調だけを
繰り返しているbotなんですよ(笑)。
それで、「僕はこれは好きだなぁ」。
糸井
僕はもうそればっかりですよ。
田中
ですよね。
だからそのbot、すごくよくできいて。
何に関しても、「僕はそれ、いいと思うなぁ」。
糸井
だいたいそうです。
田中
でもその時に、何か世の中に対して
伝えたいじゃないですか。
たとえば、この水でも、
「この水、このボトル、僕好きだなぁ」っていうのを、
相手にちょっとだけ伝えたいじゃないですか。
「僕は今、これを心地よく思ってます」って。
糸井
そうですね。
それは他のボトルを見た時には思わなかったんですよ。
そのボトル見た時に思ったから、これを選んだ。
また選んでいる側ですよ。
田中
そうですよね。
糸井
受け手ですよね。という日々ですよ。
なんだかこれ、コピーライターズクラブの
壇上でしゃべっているような(笑)。
田中
そうですね(笑)。
糸井
でも、コピーライターはこれ、わかってくれるかしら?
田中
多分この感覚、皆さんおわかりになるんじゃないですかね。
糸井
わかるんですかね。
田中
はい。
糸井
多分僕、このことをね、ずっと言いたかったんですよ。
で、自分がやっていることの
癖だとか形式だとかっていうのが、
飽きるっていうのもあるし、それから、
なかなかいいから応用しようっていうのもあるし、
そこをずっと探しているんだと思うんですね。
田中さんは、広告屋として、
そこで付けてしまった癖が20何年分あって。
田中
はい。
糸井
自分の名前で出していくっていう立場になって、
変わりますよね、自分。
田中
そうなんです。これがむずかしい。
今、「青年失業家」として岐路に立っているのは、
会社でコピーライターをやっていて、
そのついでに何かを書いてる人ではなくなりつつあるので、
じゃあ、どうしたらいいのかっていうことで、
すごい岐路に立っているんですね。
糸井
二つ方向があって、
書いたりすることで食っていけるようにする
っていうのが、いわゆるプロの発想。
それから、書いたりすることっていうのが、
食うことと関わりなく自由であることで書けるから、
そっちを目指すっていう方向。
二種類に分かれますよね。
田中
そうですね。
糸井
僕もきっと、それについては
ずっと考えてきたんだと思うんですね。
で、僕はアマチュアなんですよ。
つまり、書いて食おうと思った時に、
俺は、自分がいる立場が、
なんかこうつまんなくなるような気がしたんで。
いつまで経っても旦那芸でありたいっていうか、
「お前、ずるいよ、それは」っていう場所からいないと、
いい読み手の書き手にはなれないって思ったんで、
僕はそっちを選んだんですね。
田中さんは、まだ答えはないですよね。
田中
そうなんです。
糸井
どうなるんだろうねぇ。
田中
僕の「糸井重里論」っていうのは、
旦那芸として好きに書くために、
みんなが食べられる組織を作り、
それを回していき、物販もし、
自分のクライアントは自分っていう、
壮大な立場をつくるっていう。
糸井
そうですね。
田中
つくり切ったってことですよね。
糸井
『キャッチャーズ・イン・ザ・ライ』っていうので、
最初、ライ麦畑で捕まる話かと思ったら、
タイトルからして誤訳で。
「俺はキャッチャーだから、その場所で自由にみんな遊べ」
っていう話ですよね。
まさしく、僕が目指しているのは、
『キャッチャーズ・イン・ザ・ライ』で。
田中
見張り塔からずっとなんですね。
糸井
そうなんです。
それで、その場を育てたり、譲ったり、
そこで商売する人に屋台を貸したりみたいなことが
僕の仕事で。
その延長線上に何があるかって言うと、
僕は書かなくていいんですね。
本職は、管理人なんだと思うんですよ。
その意味では田中さんも、その素質もあると思うんです。
田中
なるほど。
糸井
僕は、人がなんと思っているかは知らないけど、
自分では、やりたいこととやりたくないことを、
燃えるゴミと燃えないゴミみたいに、本当に峻別して、
やりたくないことをどうやってやらないか
っていうことだけで生きてきた人間で。
「やりたいことだなぁ」とか、「やってもいいなぁ」
って思うことだけを選んできたら、こうなったんですよね。
で、多分、田中さんが僕を見てる目も、
そこのところをよく見てるわけだから。
田中
そうですね。
糸井
どっちに転んでも全然いいわけで。
第3回 「いいね、矢沢」