- 糸井
- ぼくが田中さんのことを知ったのは、ここ2年ぐらいのことなんですけれど。書くということは昔からしてきたの?
- 田中
- いえ全然。
- 糸井
- 長い文章は書いてない? ラブレターも?
- 田中
- はい(笑)。あるとすれば大学の卒業論文ぐらいでしょうか。
- 糸井
- ちなみに、なにを書いたんですか、卒論では。
- 田中
- テーマは芥川龍之介の『羅生門』でした。書き上げて担当教授に見せたら、「荒俣宏先生のところにこれを送るから、おもしろがってもらいなさい」、「とりあえず卒業させてあげますけど、これは私にはどう評価していいかわかりません」って言われたんですよ。だから、その時から多少変だったんでしょうね(笑)。
- 糸井
- 荒俣宏さんに‥‥ということは、いわゆる博覧強記といわれるようなタイプのものを書いたんですか。
- 田中
- まあ、なんというか。論文といってもいわゆる「切ったり貼ったり」というようなものなわけですが、でも、その切ったり貼ったりというのをする時、とんでもないところから切ったり貼ったりしよう、っていう意識はあったんです。
- 糸井
- ほお。
- 田中
- たとえば、『羅生門』の中に「きりぎりす」が出てくる一文があるんですけど、それに関して、「じゃあ、これはなんていう種類のきりぎりすなのか。舞台となっている1100年代ぐらいの京都にはどんなきりぎりすがいたのか」とか。そういうことをとにかくたくさん書いたんです。
- 糸井
- ははあ‥‥。のちにぼくらが田中さんの石田三成研究を読んで味わうような感覚を、そのときの担当教授は味わったわけですね(笑)。
- 田中
- たしかに、いまやっていることもそれにちょっと近いかもしれない。

- 糸井
- 電通には何年いらしたんですか。
- 田中
- 24年ですね。
- 糸井
- 相当長いですよね。
- 田中
- はい。もうそれは、居心地が良すぎて。
- 糸井
- それだけいらしたということはそうなんでしょう。で、どういう位置にいたかっていうことですけど‥‥呼び方が「ひろ君」だったんですよね。
- 田中
- はい。入社以来ずっと「ひろ君」なんです。大企業の社長とか重役とかを何十人も相手にするようなプレゼンの時に、上司が「ええ、では、具体的なCMの企画案については、ひろ君のほうから」なんて言うんです。変ですよね。
- 糸井
- ひろ君からのプレゼン、ねえ(笑)。
- 田中
- むこうは当然ザワザワして、「ひろ君って?」ってなる。社長が秘書に「ひろ君って誰だ?」って訊いてる(笑)。
- 糸井
- (笑)。
- 田中
- それで急いで、「すみません、ひろ君と紹介されました、田中でございます」って名乗ってプレゼンをするという。
- 糸井
- いまは、ウェブ上でたくさん文章を書かれていますけれど、電通にいらしたときは田中泰延名義で、なにかを書くということはなかったんですか?
- 田中
- 一切なかったんです。
- 糸井
- そこがおもしろい。じゃあ、広告の仕事をしてる時は、本当に広告人だったんですか?
- 田中
- はい。広告人です。もう、ものすごく真面目な広告人でした。


- 糸井
- 仕事の内容は、コピーライターとして文字を書く仕事と、テレビコマーシャルのプランナーもやっていらしたんですよね。その分量の配分はどんな感じですか?
- 田中
- 在籍していたあいだはテレビコマーシャルの企画がほとんどでしたね。コピーライターとして書くと言っても、長さにすれば、キャッチコピーで20文字ぐらい、説明文であるボディーコピーも200文字程度のものですから、それ以上長いものを書いたということは、なかったんです。
- 糸井
- そうなんだ。
- 田中
- 2010年にツイッターに出会ったのですが、あれも1ツイートの文字数が140文字なので、広告のコピーを書いている身としては、長さがちょうどいいなという感じがして。
- 糸井
- そう、あの文字数はちょうどいいんだよね。
- 田中
- なにかを書くようになったということで言うなら、ツイッターを始めて、文章を書いてそれをツイートした瞬間、活字と同じようにそれが人に読まれるっていうことについて、「こういうのに俺は飢えていたんだ」って気づいたという感覚はあった気がします。仕事では自分の言葉が人々に広まっていくという感覚を得る機会が多くはなかったので。
- 糸井
- ぼくが田中さんを知ったきっかけは「東京コピーライターズクラブ」のウェブサイト内のリレーコラムに書かれた文章をたまたま読んだことだったんです。そのコラムは1回が800字ぐらいなんだけれど、田中さんのはそのうちの中身にあたるものはほとんどなくて600字ぐらいはどうでもいいことが書いてある。それが、おもしろかったんですよ。「誰これ?」って気になるぐらいに。
- 田中
- ありがとうございます。
- 糸井
- で、ぼくは、なんとなくそれを書いたのは27、8歳の若い人だろうと思って。「ああ、若い世代からこういう子が出てくるんだなぁ」って。
- 田中
- (笑)。
- 糸井
- なにせ「ひろ君」だから(笑)。「ひろ君」って呼ばれ方がもう27歳ぐらいの感じでしょう。その感じがずっと保たれていたのかもね。はて、いつ頃だろう、彼が27、8歳じゃないと知ったのは。
- 田中
- じつは46、7歳のおっさんだったという。

- 糸井
- そのリレーコラムというのは、まあふつう好きで書くというよりは、順番が回ってくる仕事のようなものなんですよ。だから田中さんも嫌々やらされてるかのような書きぶりをしていたけど、あれは本当は全然嫌じゃなかった?
- 田中
- はい。ああいう場所で文章を書けるというのは初めてのことだったので、「あ、なんか自由に文字書いていいんだ。それで明日には必ず誰かがこれを読むんだ」って思うと、うれしくなったんですよね‥‥。
- 糸井
-
ああ、それはうれしいなぁ。
東京コピーライターズクラブでのコラム、ツイッター、そして、その次にくるのが映画評ですか?
- 田中
- そうですね。同じ電通にいたことのある西島知宏さんがある日突然訪ねて来て、「うちで連載してください」と。西島さんも、糸井さんがご覧になったのと同じリレーコラムを読んでいて、それから、ぼくがツイッターで時々「昨日観た映画、ここがおもしろかった」みたいなことを書いていたのを見ていたそうで。
- 糸井
- 西島さんも電通を辞めて独立後、デジタルメディアを運営されていますが、先輩後輩で言うと、田中さんが先輩?
- 田中
- はい、そうです。彼が電通に在籍していたのも、辞めたのも知っていたんですけど、それまではそれほどの付き合いもなかったんです。
- 糸井
- へえ、そうなんだ。
- 田中
- 依頼をされて、「分量はどれぐらい書いたらいいんですか?」と聞いたら、「ツイッターと同じように、2、3行の映画評でもいいです」と。「2、3行でいいの? 映画観て、2、3行書けばいいの?」って聞いても、「そうです」って言う。
- 糸井
- 2、3行で。
- 田中
- で、映画を観て、次の週にとりあえず7,000字書いて送りました。
- 糸井
- それは‥‥そうとう溜まってたんだね(笑)。
- 田中
- 書いてみたらそうなっちゃったんですよね。
- 糸井
- 400字詰めにして15枚以上。少なくは‥‥ないですね。
- 田中
- 多いですね(笑)。それでも書くまでは言われたとおり2、3行のつもりだったんですよ。ところが書き始めたら、なんだかもう無駄話が止まらないっていう経験をそこで初めてしました。パソコンのキーボードに向かって、「俺はなにをやっているんだ、眠いのに」って思いながら。
- 糸井
- それは、‥‥うれしさ?
- 田中
- 「これがネットで流れたら、絶対読んで笑ってくれる人がいるだろう」って想像すると、なにかもう取りつかれたように書いていたんですよね。
- 糸井
- 「大道芸人のよろこび」みたいな感じですねえ、それは。
- 田中
- ああ、そうですね。
- 糸井
- でも、雑誌とかの媒体だったら、そういう突然7,000字みたいなことはできなかったでしょうから、発表するメディアが文字数については緩やかなウェブだったというのは田中さんにとって幸運だったかもしれませんね。
- 田中
-
たしかに、そうですね。その後は、雑誌の依頼で寄稿するようなこともあったんですけど、これが、なんというか、雑誌のほうが、書店に置かれていたりして形で見えるのに、たくさん印刷されたとか売れたとか聞いても、どうもピンと来ないんですよね。
「おもしろかったよ」とか「読んだよ」とか、そういう反応がネットのように直接は届かないから‥‥。
- 糸井
- なるほど。それは、インターネットネイティブのような感覚ですね。若くないのに、ね(笑)。
- 田中
- 40代にして(笑)。勤めてたときもフリーになったいまも、ぼくの中では相変わらず、「おもしろかった」とか、「全部読んだよ」とか、「この結論には納得した、よかった」とかっていう、その声が報酬になっていますね。お金ではなくて。家族はたまったもんじゃないでしょうけどね、それが報酬では。
- 糸井
- いや、でも、その感じはおもしろい。
- 田中
- すごくシャイな少年みたいに、ネットの世界に入ったという感じですね。
(つづきます。)