もくじ
第1回手みやげのコミュニケーション。 2017-03-28-Tue
第2回「書きたい欲」が溜まっていた。 2017-03-28-Tue
第3回書くときは、自由でありたい。 2017-03-28-Tue
第4回「ブルーハーツ」と「釣り」。 2017-03-28-Tue
第5回身体から教わること。 2017-03-28-Tue

1987年生まれ。出版社で働いています。最近、ブラックコーヒーを美味しいと感じられるようになりました。

田中泰延 × 糸井重里</br>ふたりの書き手。

田中泰延 × 糸井重里
ふたりの書き手。

第2回 「書きたい欲」が溜まっていた。

糸井
僕が田中さんを「書く人」として初めて認識したのは、東京コピーライターズクラブのリレーコラムでした。
思えば僕もコピーライターで、そこに属する人間だったんで、今はこんなことやってるのかって読み始めたらおもしろくて。
そのなかで「誰これ?」って田中さんのことが気になったのが、まだせいぜい2年前くらい。
田中
はい、読んでいただいたコラムは2015年4月に書いたものでした。
糸井
それまでは田中泰延名義で、個人的に何か書くことはなかったんですか?
田中
一切なかったです。キャッチコピーの20文字とか、ボディコピーの200文字とか、それ以上長いものを書いたことがない人生でしたから。
一番長かったのが大学の卒論で、芥川龍之介の『羅生門』について原稿用紙200枚くらい書いたけど、これは切ったり貼ったりして、人の本の丸写しですから書いたうちに入らないですね。まぁ、とんでもない所から切ったり貼ったりしようっていう意識はあったんですけど。
糸井
いわゆる「博覧強記」のジャンルになりそうなものを書いたんですね。
田中
「きりぎりすが一匹とまっている」っていうほんの1行に対して、「小説の舞台である1100年代くらいの京都には、何種類のきりぎりすがいるか」とか、物語とはまったく無関係なことをたくさん書いたんですね。
だから今もちょっと近いかもしれない、「無関係なことを言う」。
糸井
ということは初めて自分名義での文章を書いたのは、あの800字くらいのコラムなんですね。しかもそのうち600字くらいは、どうでもいいことだけが書いてあるっていう。
田中
今でも全然変わらないですね、それ。
糸井
それがおもしろかったんですよ。
田中
ありがとうございます。
糸井
僕、27、8歳の若い人だと思ってて。こういう子が出てくるんだなぁ、もっと書かないかなぁって。
いつ頃だろう、27、8歳じゃないってわかったのは(笑)。
田中
46、7歳のオッサンだった(笑)。
糸井
電通時代はコピーライターのほかに、プランナーの仕事もやってたんですよね。
田中
はい、いわゆる文字を書くコピーの仕事は関西にはほとんどなくて、実質テレビCMのプランナーばっかり。もちろんテレビCMの最後には、何かコピーがありますけど。
糸井
「来てね」とかね(笑)。
田中
「当たります」とか(笑)。
だから、自分で書くと言ったら2010年にツイッターに出会ってからですね。140文字までしか書けないので、広告のコピー書いてる身としてはちょうどよくて楽だったんです。始めてみて、何か文字を打った瞬間、活字みたいなものになって人にばらまかれるっていうことに関しては、「俺は飢えてた」っていう感覚はありました。
糸井
すごいですね、性欲のような(笑)。

田中
もうすごいんですね、溜まりに溜まった何かが(笑)。
糸井
それがつい2年前のことなんですね。次に書いたのが映画評ですか?
電通にいた西島知宏さんが「街角のクリエイティブ」というWEBメディアを立ち上げて、そこに参加されたんですね。
田中さんのほうが先輩?
田中
はい、僕が7、8年先輩です。西島さんが電通にいて、そのあと辞めたのも知ってるんですけど、なんの付き合いもなかったんですよ。
糸井
えっ、そうなんですか。
田中
それが、2015年の3月に突然大阪まで訪ねて来られて「会いましょう」と。
ヒルトンホテルに行って、1人前いくらなのみたいな高そうな食事に口をつけたら、
「食べましたね。食べましたよね、今」
「食べましたよ」
「つきましてはお願いがあります。田中さん、うちで連載してください」
って。
リレーコラムと、当時ツイッターで時々書いていた2、3行の映画の感想を読んだそうです。
糸井
ほぉ。
田中
文量もツイッターと同じ2、3行でいいって言われて・・・・。
糸井
(笑)
田中
だから、映画を観て、次の週にとりあえず7,000字書いて送りました。
糸井
2、3行のはずが7,000字(笑)。
田中
書き始めてみたら、そうなっちゃったんです(笑)。多いですよね。
糸井
最初に書いたのは何の映画だったんですか?
田中
『フォックスキャッチャー』という実話に基づいた映画でした。その時、「勝手に無駄話が止まらない」っていう経験を、初めてしたんですよね。キーボードに向かって「俺は何をやっているんだ、眠いのに」っていう。
糸井
うれしさ?
田中
なんでしょう‥‥。「これを明日インターネットで流せば、面白がるやつが絶対いるだろう」っていう想像をすると、ちょっと取り付かれたようになったんですよね。
糸井
もし頼まれてたのが雑誌の連載だったら、こうはできないですよね。後輩である西島さんからの依頼だったのも、連載するメディアがインターネットだったのも、運が巡ってたんですねぇ。
田中
そのあと雑誌への寄稿もあったんですけど、雑誌は僕に直接反応がないので、いくら書店に積んであってもなんかピンと来なかったんですよね。
糸井
あぁ、インターネットネイティブの発想ですね。きっと、25歳くらいの若い人が感じてることですよね。
田中
僕は45歳にして(笑)。
糸井
文章を書くこと自体を、義務のようには感じてなかったんですか?
田中
自分の文章として書くのが初めてのことだったので、「自由に文字書いて、明日には必ず誰かがそれを見るんだ」と思うと、うれしくなったんですよね。
糸井
新鮮ですねぇ。それはうれしいなぁ。

田中
糸井さんはそういう「書くこと」を18年ずっと毎日やってらっしゃるわけでしょう? 休まずに。
糸井
うーん‥‥、でもお笑い芸人がずっとお笑いやってたり、野球選手がずっと野球やってるのと同じだから。あえて言えば「休まない」って決めたことだけがコツですね。田中さんもそうなってきたんじゃないですか?
田中
今まではあくまで会社員で、仕事と書くことは別でしたけど、辞めた今は、じゃあこれからどうやっていくんだ?っていうフェイズには入っています。
糸井
いま、“独立した27、8歳の子”と話してますね。イェーイ(笑)。
「キミ、誰かに相談したの。奥さんはなんて言ってるの?」
田中
わ、お悩み相談室みたい、若者の(笑)。
・・・・ただ、僕の中では変わらず、何かを書いたら、お金ではなく「おもしろい」とか「全部読んだよ」とか、「この結論は納得した」っていう その“声”が報酬になってますね。

 
(つづきます)

第3回 書くときは、自由でありたい。