1年経った今、私の訛りもだいぶとれてきました。標準語を話すことも苦ではなくなりました。さすがに1年間東京にもまれた結果だと思います。(それでもまだ、少し訛っていると言われますが…。)大学の先生や社会人の方と話す機会が増えたり、バイト等で標準語を使う機会が多くなったり…。先輩たちもこうやって話せるようになったんだな。と思います。また、面白いこともありました。地元に帰ったとき、家族やお店の店員さんたちの会話を聞くと「訛っている」と分かるようになったのです。1年前は特に何も感じなかったけど、1年違う場所で過ごすと聴き方も変わってくるんです。
でも、「だいぶ訛りがとれたね。」と言われると少し寂しい気持ちになります。私の大切にしていきたいものがなくなってしまう気がするんです。私の一部がなくなってしまった気がするのです。
私が宮崎の言葉を大切にしたいと思うのは、きっと宮崎の訛りのあたたかさが好きだから。地元にいたときはそんなに宮崎に魅力を感じなかったけど、離れて気づくことがたくさんあったこの1年。宮崎の自然や食べ物…。素晴らしい部分がたくさん見えてきました。その1つがこの「宮崎の訛り」なのです。
ある人が私に言いました。
「あやのちゃんのその訛りは宝物だね。」
そのとき気づいたんです。その通りだ。同じ日本語といえども、いろんな違いがある。微妙な音の違いがある。その言葉を自然に話せる人は限られている。そう思うと方言って神様がくれた贈り物だなと思うようになりました。
これから、大人になって、就活も始まって標準語で完璧に話さなくてはならない機会が増えます。さすがに就活で訛るのはまずいから、ちょっとずつ標準語は練習しようと思う反面、プライベートでは訛りを大切にしたいなと思います。「チャーミング」ってほめられた。この話し方を好きだって言ってくれる人がいる。生まれ育った故郷の言葉で楽しい話をたくさんしたい。自分の思いを伝えていきたい。
これからもこの宝物を大切にしながら成長していきたいです。
(終わります)
