銀座の老舗喫茶 カフェーパウリスタに到着すると、
奥からすっと背筋の伸びた男性と、
その後ろから優しそうな笑顔の女性が
出てきました。
長谷川会長と、会長の奥様・和子夫人です。
「こんにちは、私もいっしょに。
どんなお話しになるのか、興味があって。」
1階の奥の席に座り、珈琲を前に
話しが始まりました。

- 長谷川氏
-
お電話でもお伝えしましたけれど、
又さん(東京じいちゃんこと・高橋又二郎)とは、
仕事でのお付き合いはなかったんですよ。
(故)上島(忠雄)さんところの社員さん、
というぐらいで。
私は大学卒業後、17年間王子製紙にいましたから。
だからね、参考になるような話は
できないんですよ。
- ――
-
大丈夫です。
ご存知のことだけでも伺えればと思っています。
‥この寄稿文には、
祖父と出会ったときのことが書かれていますが、
経緯をご存知でしょうか。
- 長谷川氏
-
当時、私は珈琲業界にはいませんでしたから。
断言はできないけれど、
又さんは、東京の駐在というか、
確か、生豆の取引に関わっていたと思います。
仕事のことは、それぐらいしか。
- ――
- そうなのですか。
- 和子夫人
- ‥そういえば、あなたのお母さんは何年のお生まれ?
- ――
- 母は、1955年です。
- 和子夫人
-
そう、それなら戦後のごたごたは、
わからないかもしれないわね。
‥あなたのおばあさんとはね、
面識があったんですよ。
- ――
-
祖母と、ですか。
祖母は私が2歳のときに他界していまして、
記憶にはないのです。
- 和子夫人
-
そうだったのね。
亡くなった母(長谷川主計氏の奥様)はね、
中央区新富町にいまして、
あなたのおばあさんも
時々来てくださったりしてね。
話し相手になっていただいたりして。
父親(長谷川主計氏)が亡くなったときは、
お葬式の段取りとか
高橋さんにはお世話になりました。
- ――
- お葬式のとき、ですか。
- 和子夫人
-
プライベートのお付き合いがあったの。
相談相手っていうより、お話し相手で。
日頃の生活とかのね。
戦後の殺伐とした中で。
女同士の付き合いですよ。
ざっくばらんに
お話しされていたんじゃないかしら。
- ――
-
そういえば、
東京のどの学校がいいかとか、
教えてくれたようだと、
母が言っていました。
- 和子夫人
-
あぁ、それは結構言われます、他の方々からも。
すごい教育熱心な人だったから。
- 長谷川氏
-
うちの母は、すごかったね。
中元歳暮では、王子製紙の課長の家とかにも
行っちゃうんだよな。
- 和子夫人
-
そういう時代でもあったんですよ。
皆さん、親がね、挨拶にいくんです。
奥様方もね、中元歳暮にはいらっしゃるけれど、
親が来られる方もあった。
うちの息子がお世話になっていますって。
(つづきます)