もくじ
第1回偶然、東京じいちゃんの名前をみつけた。 2017-05-16-Tue
第2回東京じいちゃんは又さんでもあった。 2017-05-16-Tue
第3回東京じいちゃん、ときどき、又さん。 2017-05-16-Tue

社会人5年目の27歳実家暮らし女性。なんでも省略する父親から、名前も略され、み(ぃ)と呼ばれています。趣味は野球観戦。

「東京じいちゃん」ときどき「又さん」

「東京じいちゃん」ときどき「又さん」

担当・みぃ

第2回 東京じいちゃんは又さんでもあった。

銀座の老舗喫茶 カフェーパウリスタに到着すると、
奥からすっと背筋の伸びた男性と、
その後ろから優しそうな笑顔の女性が
出てきました。
長谷川会長と、会長の奥様・和子夫人です。

「こんにちは、私もいっしょに。
どんなお話しになるのか、興味があって。」

1階の奥の席に座り、珈琲を前に
話しが始まりました。

長谷川氏
お電話でもお伝えしましたけれど、
又さん(東京じいちゃんこと・高橋又二郎)とは、
仕事でのお付き合いはなかったんですよ。
(故)上島(忠雄)さんところの社員さん、
というぐらいで。
私は大学卒業後、17年間王子製紙にいましたから。
だからね、参考になるような話は
できないんですよ。
――
大丈夫です。
ご存知のことだけでも伺えればと思っています。
‥この寄稿文には、
祖父と出会ったときのことが書かれていますが、
経緯をご存知でしょうか。
長谷川氏
当時、私は珈琲業界にはいませんでしたから。
断言はできないけれど、
又さんは、東京の駐在というか、
確か、生豆の取引に関わっていたと思います。
仕事のことは、それぐらいしか。
――
そうなのですか。
和子夫人
‥そういえば、あなたのお母さんは何年のお生まれ?
――
母は、1955年です。
和子夫人
そう、それなら戦後のごたごたは、
わからないかもしれないわね。
‥あなたのおばあさんとはね、
面識があったんですよ。
――
祖母と、ですか。
祖母は私が2歳のときに他界していまして、
記憶にはないのです。
和子夫人
そうだったのね。
亡くなった母(長谷川主計氏の奥様)はね、
中央区新富町にいまして、
あなたのおばあさんも
時々来てくださったりしてね。
話し相手になっていただいたりして。
父親(長谷川主計氏)が亡くなったときは、
お葬式の段取りとか
高橋さんにはお世話になりました。
――
お葬式のとき、ですか。
和子夫人
プライベートのお付き合いがあったの。
相談相手っていうより、お話し相手で。
日頃の生活とかのね。
戦後の殺伐とした中で。
女同士の付き合いですよ。
ざっくばらんに
お話しされていたんじゃないかしら。
――
そういえば、
東京のどの学校がいいかとか、
教えてくれたようだと、
母が言っていました。
和子夫人
あぁ、それは結構言われます、他の方々からも。
すごい教育熱心な人だったから。
長谷川氏
うちの母は、すごかったね。
中元歳暮では、王子製紙の課長の家とかにも
行っちゃうんだよな。
和子夫人
そういう時代でもあったんですよ。
皆さん、親がね、挨拶にいくんです。
奥様方もね、中元歳暮にはいらっしゃるけれど、
親が来られる方もあった。
うちの息子がお世話になっていますって。

(つづきます)

第3回 東京じいちゃん、ときどき、又さん。