社会人5年目の27歳実家暮らし女性。なんでも省略する父親から、名前も略され、み(ぃ)と呼ばれています。趣味は野球観戦。

「東京じいちゃん」ときどき「又さん」

「東京じいちゃん」ときどき「又さん」

担当・みぃ

ほぼ日の塾の最後は、自由課題です。
せっかくの機会だから、
珈琲の焙煎士だった祖父について書こう、
と思いました。

小学1年生のときに参列した祖父の通夜には、
明るさがあったような気がしていました。
「一度にたくさんの友達と会えていいな」
と、ぼんやり思った記憶があります。

中学生のときには、
東京 世田谷の祖父の家の地下室で、
静かに眠り続ける焙煎機を見ました。
地下室で眠っていたからなのか、
一家を支えてきた、力強さとかっこよさを
感じました。

身近だけどあまり知らない、
こんな機会がないと辿ろうにも辿れない、
祖父の仕事。
他界してから20年以上も経っているからです。

「東京じいちゃん」。
東京に住むおじいちゃんなので、そう呼んでいました。
ここでも、そう呼びたいと思います。

東京じいちゃんは、孫が遊びにくると
おもちゃをいつもいっしょに買いに出かけてくれる、
きっとどこにでもいる、ふつうのおじいちゃん。

大正10年(1921年)生まれの東京じいちゃんは、
神戸で上島珈琲の創業者 故 上島忠雄氏から
珈琲を学びました。

神戸の図書館に、
当時の様子がわかりそうな本を見つけて、
行ってみると、
偶然、その本の文章の中に
東京じいちゃんの名前があったのです。

その文を執筆したのは、
銀座の老舗喫茶店「カフェーパウリスタ」の会長でした。
会長と奥様に、当時の話を伺いに行きました。

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