「東京じいちゃん」ときどき「又さん」
担当・みぃ
ほぼ日の塾の最後は、自由課題です。
せっかくの機会だから、
珈琲の焙煎士だった祖父について書こう、
と思いました。
小学1年生のときに参列した祖父の通夜には、
明るさがあったような気がしていました。
「一度にたくさんの友達と会えていいな」
と、ぼんやり思った記憶があります。
中学生のときには、
東京 世田谷の祖父の家の地下室で、
静かに眠り続ける焙煎機を見ました。
地下室で眠っていたからなのか、
一家を支えてきた、力強さとかっこよさを
感じました。
身近だけどあまり知らない、
こんな機会がないと辿ろうにも辿れない、
祖父の仕事。
他界してから20年以上も経っているからです。
「東京じいちゃん」。
東京に住むおじいちゃんなので、そう呼んでいました。
ここでも、そう呼びたいと思います。
東京じいちゃんは、孫が遊びにくると
おもちゃをいつもいっしょに買いに出かけてくれる、
きっとどこにでもいる、ふつうのおじいちゃん。
大正10年(1921年)生まれの東京じいちゃんは、
神戸で上島珈琲の創業者 故 上島忠雄氏から
珈琲を学びました。
神戸の図書館に、
当時の様子がわかりそうな本を見つけて、
行ってみると、
偶然、その本の文章の中に
東京じいちゃんの名前があったのです。
その文を執筆したのは、
銀座の老舗喫茶店「カフェーパウリスタ」の会長でした。
会長と奥様に、当時の話を伺いに行きました。