帰国して、あっという間に1年がすぎた。
考える時間は減ったけど、
誰かと話すことは増えた。
天気もそんなに気にならなくなった。
ベットで毎日寝れるし、シャワーはいつも温かい。
空腹をごまかすための塩と砂糖は、
ポケットにもう入っていない。
同じ本を繰り返し読むことはなくなって、
そのかわり、新しい映画やドラマに詳しくなった。
朝起きてオフィスに行き、帰るころには暗くなっている。
夕日のタイミングに合わせて丘に登ることは、今はもうない。

はじめにも書いたけれど、
僕が旅を1062日間も続けたのは、
「生きてる感」が好きだったから、のような気がしている。
じゃあ、旅を終えた今、
もう「生きてる感」を求めていないのかと聞かれると、
そういう訳では決してない。
確かに、ギリギリの生活をしている旅中は、
ひりつくような瞬間も多く、
刺激的で、冒険欲は満たされ、
「生きてる」と感じることは多かった。
でも、なんだかそれだけじゃないような気がしたのだ。
昔からの友人と集まる時の安心感とか、
お正月におばあちゃんと話している時の嬉しさとか、
疎ましいと思いながらもそれでも連絡を取り合う関係とか、
直前に面倒になるけど、行けばやっぱり楽しい飲み会とか、
「好きなもの」について仕事帰りの電車で考える時間とか。
日本での暮らしにはそういった、
素通りしたくないものがたくさんあって、
旅の中では見つけることのできなかったそれらを、
もっと大切に感じていきたいと、今は思っている。

今、僕はWebメディアを作る仕事をしている。
編集をしたり、新しいコンテンツを考えたり、
未経験が故に、大変だったり苦しかったりするけれど、
できあがったものを見る誰かのことを想像しながら、
試行錯誤するのはとても楽しい。
そして、この「誰かを喜ばせたい」という感覚が、
帰国を決めた理由にあたるのかなと思う。
旅の中で、新しい世界に興奮したり、
誰かの優しさに感動することは多かった。
そして、そんな毎日を繰り返す中で、
自分が積極的に影響を与える側に周りたいと思った。
見たことのない世界への挑戦や冒険の先に
「生きている」と感じる日々があったように、
見たことのない誰かとの関係や物語の先にも
「生きている」と思える日々があるような気がしている。
それを見つけることができたら、
きっと楽しいんだろうな。
(おわります)