- 古賀
- 先日糸井さんが
3年後の話というのを書かれてたましたよね。
(【編集注】3月24日の「今日のダーリン」で
糸井さんが書いた「3年後のことなんてわからないと
言ってきたけど、わかることもあるし、わからないなりに
決めることが大事なこともある」という話。) - 糸井
- あれビリビリくるでしょ。
- 古賀
-
見えもしない10年後20年後を語りたがって
そこで満足してる人たちというのは、結構たくさんいて。
若い人たちにも、ある程度年齢がいってる人たちにもいて。
一方で、ほんとに今日明日しかないんだという、
だってわからないじゃんって人たちもいて。
ぼくもどちらかというと、そういう立場だったんですよね。でもそこで考えに考えたら、
3年先にこっちに向かってるとか、
あっちに向かってるとかの
大きなハンドルは切れるんだっていうのは、
あれは結構ビリビリきましたね。

- 糸井
- それをぼくは、今の歳でわかったわけです(笑)。
- 古賀
- ああ(笑)。
- 糸井
-
古賀さんの歳でも、わかる人はいるかもしれない。
だけど、そんなに簡単にその考えになりたくないみたいな
ところがあって、たぶん抵抗するんですよね。だから、例えばの話、特に大きな災害があった後とか、
ああいうこともあるんだから、
今日っていうのを充実させていこうという、
これ立派な考え方だと思うんですよ。そこにしっかりと重心を置いてたら、
3年後はわからないから、今をやり残すことなく、
1日中精一杯ちゃんと生きようよというのは
説得力あるんです。 - 古賀
- そうですね。
- 糸井
- たぶん僕も、いったん本当にそう思えたんじゃないかな。
で、それを繰り返していったら、「どうしましょう?」
って聞かれることが多くなるじゃないですか。
「俺もわかんないけど…」ってずっと俺言ってきたけど、
3年前からしたら、今日ぐらいのところはわかってたな
っていうことを思うようになったんですよ。 - 古賀
- それって、震災とか気仙沼に関わるようになった
というのは関係してますか。 - 糸井
-
震災はでかいですね。
「君たちがこのままじゃダメだろう」
なんて言うんだったら、
「お前はどうしてるの」って、いつも聞かれるわけだし。大変だったねって言われた時に、
ぼくはずっと思ってることは1つなんですよ。
みんなが優しくしてくれる時に、
素直にその行為を受け取れるかどうかなんです。
だから震災にあった人たちと友だちになりたい
っていうのを早く言った理由って、
友だちが言ってくれたんだったら聞けるじゃないですか。友だちじゃない人からいろんなこと言われても、
「うん、ありがとうね、ありがとうね」って言うけど、
やっぱり「ございます」が付くんだよね。 - 古賀
- ああ、なるほど。
- 糸井
-
誰と誰に何されたから、いつか返さなきゃとかさ。
それをぼくは放っといたら思っちゃうタチだと思って。
その意地っ張りみたいな部分が、
みんながね、ストレートにわかってくれたり、
普通に「ありがとう」って
言ってくれるみたいな関係になって、
「俺はなれたかな?」と。あるいは、ぼくが普通のありがとう以上のことを
恩着せがましくしたら、
彼ら・彼女らは、そう言わないと思うんですよね。
そこが基準だったんで。
だいぶ変わりましたね、そこは。
あげればあげるほどいいと思ってる人も
いるじゃないですか。 - 古賀
- そうですね。
- 糸井
-
でも、それは絶対違いますよね。
向こう側からぼくを見て、「余計なことを」って
思えるようなことしてないかなっていうのを、
いつも考えるようになりましたね。東日本大震災より先に言われていた
東京大震災になった時に、もし大きい川があったら
津波は中野区ぐらいまで行くんですよ、みたいな、
そういう地図とか見ると、この辺はもうズバリですよね。その時に、いろんな地方の人が、
例えば着古したセーター送ってくる人もいれば、
親身になって自分の身を顧みずにやってくれる人もいれば。
そういういろいろを
ごく自然なこととして見られるだろうか。
ありがとうって言いっぱなしで
何年間も生きていけるだろうか。きっと、ものすごく焦って、
事業欲が出るような気がする。
ここからすごい成功してみせるみたいな。
ぼくの本能なんだと思うんだけど、
それが東京にいて刺激されたような気がしますね。 - 古賀
- 震災の時に、
「当事者じゃなさすぎる」という言い方を
されてたじゃないですか。
特に福島との付き合い方とかの距離感の問題とか。
当事者になることは、やっぱりできないので、
そこのヒントというかきっかけが、
友だちということになるんですかね。 - 糸井
-
そうですね。
だから、もし前から知ってる人がそこにいたら、
こういう付き合い方したいなって。
たぶん、親戚って考えてもダメなんですよ、僕にはね。
親戚のことなんか、あまり意味ないから。
家族って考えると、ちょっと大きすぎるんですよね。
それはもう当事者に近い。例えば転校して行った友達がそっちいて、
どうしてるかなと思った日にそんなことがあった、
みたいに考えると、悪口も言えるし。
「お前ほんとにマズイな」って
言いながらやり取りできるみたいな。
それで一本考え方が見えたかな。

- 糸井
- 古賀さん、その辺の時は、
どう自分の考えを納めようと思った? - 古賀
-
ぼくは、ちょうどcakesの加藤さんと一緒に
本を作ってる時で、ここでこのまんま震災に何も触れずに、
5月ぐらいに出版予定だったんですよね。
もうすぐ入稿するというぐらいのタイミングで。このまま震災に触れずに、なにもなかったように、
その本がポンと出てくるというのは明らかにおかしいよね
っていう話をして。全然その本のテーマとは関係なかったんですけど、
とりあえず現地に行って取材をしようと言って、
著者の方と一緒に3人で現地を回りました。
ほんとに瓦礫がバーッとなっている状態で… - 糸井
- 5月はまだ全然ですよね。
- 古賀
- ぼくらが行ったのが4月だったので、もうほんとに…
- 糸井
- 行くだけで大変ですよね。
- 古賀
-
交通手段も限られてるような状態だったので。
その時に、もう今のこの状況は、
ほんとに自衛隊の方とか、
そういう人たちに任せるしかなくて、
とにかく東京にいるぼくらにできるのは、
自分たちが元気になることだなと思ったんですよね。みんなが意気消沈してという時に、
自分たちがここで下を向いて、つまんない本作ったりとか、
自粛したりとか、そういうようなことになるんじゃなくて、
東京の人間が東を向いて何かをやるというよりも、
西の人たちに、「俺たちちゃんと頑張ろうよ。
俺たちがやらないと東北の人たちも立ち直ることが、
なかなか難しいだろうから」ってことで、
意識を逆に西に向けてた時期でしたね。
それしか、瓦礫を見た時の迫力…
- 糸井
- 無力感ですよね、まずはね。
- 古賀
- ええ。何もできないなと思ったので。
- 糸井
- あの何もできないという思いは、
ずっと形を変えて、小さく僕の中にも残ってますね。
瓦礫を片付けた人たちに対する感謝とね。 - 古賀
- そうですね。
- 糸井
- 今、瓦礫、ないんですからね。
- 古賀
- ほんとに20年ぐらいかかるだろうなと思いました。
