もくじ
第1回「この人のことを聞いてください」 2016-05-16-Mon
第2回近くの人にモテたいし、喜んでほしい。 2016-05-16-Mon
第3回被災地を考えたときに。 2016-05-16-Mon
第4回なろうとして、なっている。やろうとして、やっている。 2016-05-16-Mon
第5回辛いけど、楽しませたい。 2016-05-16-Mon

1981年生。
東京生まれ、宮城育ち、東京住まい。
日本農業経営大学校専任講師。
イチローファン歴20年超。
活字と漫画を読むのが好き。
「ほぼ日」で好きなコンテンツ:おれボテ志、恋歌口ずさみ委員会、連ドラチェック、見たぞシリーズ。

あなたを/あなたに/あなたと伝えたい。

第3回 被災地を考えたときに。

古賀
先日糸井さんが
3年後の話というのを書かれてたましたよね。
(【編集注】3月24日の「今日のダーリン」で
糸井さんが書いた「3年後のことなんてわからないと
言ってきたけど、わかることもあるし、わからないなりに
決めることが大事なこともある」という話。)
糸井
あれビリビリくるでしょ。
古賀
見えもしない10年後20年後を語りたがって
そこで満足してる人たちというのは、結構たくさんいて。
若い人たちにも、ある程度年齢がいってる人たちにもいて。
一方で、ほんとに今日明日しかないんだという、
だってわからないじゃんって人たちもいて。
ぼくもどちらかというと、そういう立場だったんですよね。

でもそこで考えに考えたら、
3年先にこっちに向かってるとか、
あっちに向かってるとかの
大きなハンドルは切れるんだっていうのは、
あれは結構ビリビリきましたね。

糸井
それをぼくは、今の歳でわかったわけです(笑)。
古賀
ああ(笑)。
糸井
古賀さんの歳でも、わかる人はいるかもしれない。
だけど、そんなに簡単にその考えになりたくないみたいな
ところがあって、たぶん抵抗するんですよね。

だから、例えばの話、特に大きな災害があった後とか、
ああいうこともあるんだから、
今日っていうのを充実させていこうという、
これ立派な考え方だと思うんですよ。

そこにしっかりと重心を置いてたら、
3年後はわからないから、今をやり残すことなく、
1日中精一杯ちゃんと生きようよというのは
説得力あるんです。

古賀
そうですね。
糸井
たぶん僕も、いったん本当にそう思えたんじゃないかな。
で、それを繰り返していったら、「どうしましょう?」
って聞かれることが多くなるじゃないですか。
「俺もわかんないけど…」ってずっと俺言ってきたけど、
3年前からしたら、今日ぐらいのところはわかってたな
っていうことを思うようになったんですよ。
古賀
それって、震災とか気仙沼に関わるようになった
というのは関係してますか。
糸井
震災はでかいですね。
「君たちがこのままじゃダメだろう」
なんて言うんだったら、
「お前はどうしてるの」って、いつも聞かれるわけだし。

大変だったねって言われた時に、
ぼくはずっと思ってることは1つなんですよ。
みんなが優しくしてくれる時に、
素直にその行為を受け取れるかどうかなんです。
だから震災にあった人たちと友だちになりたい
っていうのを早く言った理由って、
友だちが言ってくれたんだったら聞けるじゃないですか。

友だちじゃない人からいろんなこと言われても、
「うん、ありがとうね、ありがとうね」って言うけど、
やっぱり「ございます」が付くんだよね。

古賀
ああ、なるほど。
糸井
誰と誰に何されたから、いつか返さなきゃとかさ。
それをぼくは放っといたら思っちゃうタチだと思って。
その意地っ張りみたいな部分が、
みんながね、ストレートにわかってくれたり、
普通に「ありがとう」って
言ってくれるみたいな関係になって、
「俺はなれたかな?」と。

あるいは、ぼくが普通のありがとう以上のことを
恩着せがましくしたら、
彼ら・彼女らは、そう言わないと思うんですよね。
そこが基準だったんで。
だいぶ変わりましたね、そこは。
あげればあげるほどいいと思ってる人も
いるじゃないですか。

古賀
そうですね。
糸井
でも、それは絶対違いますよね。
向こう側からぼくを見て、「余計なことを」って
思えるようなことしてないかなっていうのを、
いつも考えるようになりましたね。

東日本大震災より先に言われていた
東京大震災になった時に、もし大きい川があったら
津波は中野区ぐらいまで行くんですよ、みたいな、
そういう地図とか見ると、この辺はもうズバリですよね。

その時に、いろんな地方の人が、
例えば着古したセーター送ってくる人もいれば、
親身になって自分の身を顧みずにやってくれる人もいれば。
そういういろいろを
ごく自然なこととして見られるだろうか。
ありがとうって言いっぱなしで
何年間も生きていけるだろうか。

きっと、ものすごく焦って、
事業欲が出るような気がする。
ここからすごい成功してみせるみたいな。
ぼくの本能なんだと思うんだけど、
それが東京にいて刺激されたような気がしますね。

古賀
震災の時に、
「当事者じゃなさすぎる」という言い方を
されてたじゃないですか。
特に福島との付き合い方とかの距離感の問題とか。
当事者になることは、やっぱりできないので、
そこのヒントというかきっかけが、
友だちということになるんですかね。
糸井
そうですね。
だから、もし前から知ってる人がそこにいたら、
こういう付き合い方したいなって。
たぶん、親戚って考えてもダメなんですよ、僕にはね。
親戚のことなんか、あまり意味ないから。
家族って考えると、ちょっと大きすぎるんですよね。
それはもう当事者に近い。

例えば転校して行った友達がそっちいて、
どうしてるかなと思った日にそんなことがあった、
みたいに考えると、悪口も言えるし。
「お前ほんとにマズイな」って
言いながらやり取りできるみたいな。
それで一本考え方が見えたかな。

糸井
古賀さん、その辺の時は、
どう自分の考えを納めようと思った?
古賀
ぼくは、ちょうどcakesの加藤さんと一緒に
本を作ってる時で、ここでこのまんま震災に何も触れずに、
5月ぐらいに出版予定だったんですよね。
もうすぐ入稿するというぐらいのタイミングで。

このまま震災に触れずに、なにもなかったように、
その本がポンと出てくるというのは明らかにおかしいよね
っていう話をして。

全然その本のテーマとは関係なかったんですけど、
とりあえず現地に行って取材をしようと言って、
著者の方と一緒に3人で現地を回りました。
ほんとに瓦礫がバーッとなっている状態で…

糸井
5月はまだ全然ですよね。
古賀
ぼくらが行ったのが4月だったので、もうほんとに…
糸井
行くだけで大変ですよね。
古賀
交通手段も限られてるような状態だったので。

その時に、もう今のこの状況は、
ほんとに自衛隊の方とか、
そういう人たちに任せるしかなくて、
とにかく東京にいるぼくらにできるのは、
自分たちが元気になることだなと思ったんですよね。

みんなが意気消沈してという時に、
自分たちがここで下を向いて、つまんない本作ったりとか、
自粛したりとか、そういうようなことになるんじゃなくて、
東京の人間が東を向いて何かをやるというよりも、
西の人たちに、「俺たちちゃんと頑張ろうよ。
俺たちがやらないと東北の人たちも立ち直ることが、
なかなか難しいだろうから」ってことで、
意識を逆に西に向けてた時期でしたね。

それしか、瓦礫を見た時の迫力…

糸井
無力感ですよね、まずはね。
古賀
ええ。何もできないなと思ったので。
糸井
あの何もできないという思いは、
ずっと形を変えて、小さく僕の中にも残ってますね。
瓦礫を片付けた人たちに対する感謝とね。
古賀
そうですね。
糸井
今、瓦礫、ないんですからね。
古賀
ほんとに20年ぐらいかかるだろうなと思いました。
第4回 なろうとして、なっている。やろうとして、やっている。