ミリオンセラーの、ほんとのところ

第3回 東京から西を向く
- 糸井
- 震災のことで言うと、
ぼくが大事だと思ってることは1つで、
みんなが優しくしてくれる時に、
素直にその行為を受け取れるかどうかなんです。
だから震災のあった人達と友達になりたいっていうのを
早く言った理由って、友達が言ってくれたんだったら
聞けるじゃないですか。
- 古賀
- そうですね、うんうん。
- 糸井
- そうじゃない人からいろんなこと言われても、
「うん、ありがとうね、ありがとうね」って言うけど、
やっぱり「ございます」が付くんだよね。
- 古賀
- ああ、なるほど。
- 糸井
- ぼくが普通のありがとう以上のことを
恩着せがましくしたら、彼ら・彼女らは、
「ありがとう」って言わないと思うんですよね。
そこが基準だったんで。
だいぶ変わりましたね、そこはね。
あげればあげるほどいいと
思ってる人もいるじゃないですか。
それは絶対違いますよ。
向こう側から僕を見て、余計なことをって
思えるようなことしてないかなっていうのを、
いつも考えるようになりました。
- 古賀
- そうですね、はい。
- 糸井
- 東京で大地震が起きた時に、いろんな地方の人が、
例えば着古したセーター送ってくる人もいれば、
親身になって自分の身を顧みずに
やってくれる人もいると思う。
そのいろいろをごく自然なこととして見られるだろうか。
ありがとうって言いっぱなしで
何年間も生きていけるだろうか。
きっと、ものすごく焦って、なんかね、
事業欲が出るような気がする。
- 古賀
- はいはいはい(笑)
- 糸井
- ここからすごい成功してみせるみたいな。
それは、ぼくの本能なんだと思うんだけど、
それが東京にいて刺激されたような気がしますね。
- 古賀
- 震災の時に、当事者じゃなさすぎるという
言い方をされてたじゃないですか。
特に福島との付き合い方とかの距離感の問題とか。
当事者になることは、やっぱりできないので、
そこのヒントというかきっかけが、
友達ということになるんですかね。

- 糸井
- そうですね。もし前から知ってる人がそこにいたら、
こういう付き合い方したいなっていう、考え方。
たぶん、親戚って考えてもダメなんですよ、ぼくはね。
家族って考えると、ちょっと大きすぎるし。
それはもう当事者に近い。
- 古賀
- そうですね。
- 糸井
- 友達がそっちに、例えば転校して行った友達がいて、
どうしてるかなと思った日に、そんなことがあったみたいな。
って考えると、悪口も言えるし。
- 古賀
- うんうんうん。
- 糸井
- 「お前ほんとにマズイな」って言いながら
やり取りできるみたいな。それで1本考え方が見えたかな。
古賀さんあの時は、どう自分の考えを納めようと思った?
- 古賀
- 僕は、ちょうどcakesの加藤さんと一緒に
本を作ってる時で、このまま震災に何も触れずに、
5月ぐらいに出版予定の本だったんですよね。
もうすぐ入稿するというぐらいのタイミングで。
このまま震災に触れずに、なかったように、
その本がポンと出てくるというのは
明らかにおかしいよねっていう話をして。
全然その本のテーマとは関係なかったんですけど、
とりあえず現地に行って取材をしようと言って、
著者の方と一緒に3人で現地を回りました。
ほんとに瓦礫がバーッとなってる状態で…
- 糸井
- まだ全然ですよね。
- 古賀
- そうですね。僕らが行ったのが
4月だったので、もうほんとに……。
- 糸井
- 行くだけで大変ですよね。
- 古賀
- そうですね。交通手段も限られてるような状態でした。
その時に思ったのは、もう今のこの状況は、
自衛隊の方とか、そういう人達に任せるしかなくて、
とにかく東京にいる僕らにできるのは、自分達が
元気になることだと思ったんですよね。
自分達がここで下を向いて、つまんない本作ったりとか、
自粛したりとか、そうなっちゃうんじゃなくて、
どういうふうに聞こえるかわからないですけど、
東京の人間が東を向いて何かをやるというよりも、
西の人達に、俺達ちゃんと頑張ろうよというような、
俺達がやらないと東北の人達も立ち直ることが、
なかなか難しいだろうからっていうことで、
意識を逆に西に向けてた時期でしたね。
瓦礫の迫力を前にしたら、
そう考えることしかできませんでした。
- 糸井
- 無量感ですよね、まずはね。
- 古賀
- そうです。何もできないなと思ったので。
- 糸井
- あの、何もできないという思いは、
ずっと形を変えて、小さく僕の中にも残ってますね。
やった人達に対する感謝と一緒に。
やっぱり、ないんですからね、今瓦礫。
ほんとにすごいですよね、そういう力ってね。
- 古賀
- はじめて見たときは、20年ぐらいかかるだろうなと思いました。
- 糸井
- 思いますよね。終わる気配、ないですよ、ほんとに。
- 古賀
- そうですね。
- 糸井
- なるほどな。
大根仁さんが、『モテキ』という映画を
撮ってたのもあの頃で。
とにかく『モテキ』を止めないでやるって、
大変なことだったと思うんですよね。
でも止めないんだって決めるしかないわけですね。
僕は、震災直後に、
「本気で決断したことは全部正しいというふうに思うじゃありませんか」
みたいなことを書いたんだけど。
『モテキ』の話を、かなり後で聞いて、
やっぱりそうだったなと思うんですよね。
- 古賀
- うん、そうですね。
- 糸井
- あの時半端にみんなが何か言ったり、
生ぬるい被災地の物語をどんどん作っても、
何の意味もないんで。
すごくちゃんとした人が
映画にお金を出すと言ってたりしたんですけど、
お節介にそれを止めたりもしました。
まだ出番はあるから、みたいな言い方して。
それは、同時に自分に言い聞かせてた気もする。
そういうことしたくなっちゃうのもわかるし。
その時にもう、自分の肩書きって関係ないなと。
ライターだからとか編集者だからというのを起点に
考える発想をなるべくやめようと思ったんですよ、実は。
その辺りが、古賀さんと違ったとこなんですよね。
個人としてどうするかっていうのを、
とにかく先に考えようと思ったんですよね。
そうじゃないと結局、職業によっては、
今何も役に立たなくて、来てもらっちゃ困るとこに
行くようなことだってあるわけで。

- 古賀
- そうですね、うん。
- 糸井
- 間違うなと思ったんですよね。
ギターを持って出かけてった、
僕は歌い手だからっていう人が
いっぱいいたけど、君は来て欲しいけど
君は来て欲しくないってことは絶対あったと思うんですね。
僕にできることは何だろうって発想からはじめると、
ついギター持って行くわけで。
それは違うんだろうなと思って。
たとえば、豚汁配る場所で列を真っ直ぐに
するみたいな手伝いとか(笑)。
その延長線上で僕らに何ができるかみたいなことを、
できる限り考えたかったんですよね。
でもずっと悩んでました、わからなかったから。
- 古賀
- そうですよね。
- 糸井
- 友達に御用聞きするって決めましたね。
震災がなくて、そういうことを考えなかったら、
今僕らがしているようなことはしてませんよ。
- 古賀
- そうですね、うんうん。
- 糸井
- 全くしてないと思うんですね。
もっとつまんない、虚しい小競り合いをしたり。
あるいはちっちゃな贅沢、カラスがガラス玉集める
みたいなことをしてたんじゃないかな。
それに思想を追っかけさせたんじゃないかな。
「カラスがガラス玉を集めるようなことを
僕らはします」みたいな。もたないですよね、それじゃ。
- 古賀
- そうですね。
でも、震災に関わるっていうふうに決めた時に、
世間的にいいことに見えたり、
あるいは慈善活動とか、そういうものに見えるって、
いい面と悪い面とあるじゃないですか。
糸井さんとか、ほぼ日の活動を見てると、
そこをすごく上手くコントロールしてるというと、
またちょっと言い方が変ですけど、
しっかりと正しい道を選んでるなという感じがします。
俺達はいいことをやってるんだっていうふうに
自分を規定しちゃうと、結構間違ったことをしがちで。
最初の起点が「友だち」であるっていうのが、
たぶん他とは違うんだろうなと思いますね。
- 糸井
- やっぱり吉本隆明さんですよね。
吉本さんが、前々から、
「いいことやってる時は悪いことやってると思え、
悪いことやってる時はいいことやってると思え」と。
全く逆に考えるという。親鸞という人のことを
考えてる時に考えついたことなんだろうけど、
谷川俊太郎さんなんかも結構、
「僕は偽物で本物の真似をしてる」というようなことを
平気で言いますよね。
そういうところが、ほぼ日の姿勢として
あったんじゃないでしょうかね。
社内の人達が案外そのことをわかって動けた気がする。
そこ不思議なぐらい通じたよね。
男性だから糸井さんはこうしようって、
ものすごくコンセプトを述べたりっていうことは、
そんなにはなくて、いつもの感じで、
みんな動いた感じはします。
- 古賀
- そうですね。
- 糸井
- もし間違ったら言ってくださいねっていう。
ちょっといい気になってたら(笑)