怪・その48

「暴風雨の中の声」



学生の頃、下宿をして
一人暮らしを始めました。

試験やレポートが落ち着いた秋頃、
とても大きな台風がきて、
最接近する日は暴風と大雨で、
朝からアパートにいました。

風がひどく、外にも出られずに
夜になってもあまり眠くなかったのですが、
日付が変わりそうなときに布団に入りました。

そのとき、部屋の外、
アパートの共用部の廊下から
誰かの声が聞こえました。

耳を澄ませると、

「すみません‥‥すみませーん」

と女性のか細い声が聞こえてきました。

そういえば、台風で冠水して
車が動かなくて困っている人が
ニュースに出ていたと思い出した私は
起きて、玄関にまでいきました。

「すみません、すみませぇん」

ずっと部屋の外から聞こえる声に、
ふと違和感を覚えました。

どうして困っているのに、
すみませんしか言わないのだろうと。

車が壊れたとか、
怪我をした人がいるなら
警察や消防を呼ぶのに、と思ったとき、

もしかして火事場泥棒かもしれないと、
開けかけた扉の鍵を離しました。

一人暮らしで、真夜中ということもあり、
万が一があっては大変だと警戒をしていたのです。

「すみませーん、すみません...すみま...」

段々と声は聞こえなくなり、
後は台風の暴風と雨の音だけが聞こえました。

そういえば、アパートに入ってくる足音や
出ていく物音は聞こえなかったとも気がつき、
変な人もいるものだと思いながら
その日は眠りました。

その台風の日の出来事は奇妙だったのですが、
特に事件やトラブルもなく、私は引っ越しをしました。

まったく別の地域の、静かな街です。
引っ越しをしてしばらく経った夏の終わり頃、
大きな台風が接近しました。

最接近すると予報が出た日までに
食料品などの備えをして、
天気が荒れ始めた日は外には出ませんでした。

翌日には台風も通り過ぎているだろうと、
布団に横たわったときです。

「こんにちは、こんにちは‥‥」

部屋の外、アパートの共用部から
女性のか細い声が聞こえてきました。

スマートフォンを見ると、
ちょうど日付が変わった頃でした。

お店も閉まった時間に、
ガラスが割れたか、怪我をした近所の方かと思い、
私は玄関に向かいました。

激しい雨風の音に混じって、
女性のか細い声が聞こえつづけています。

「こんにちはぁ、こんにちはー」

そこで、どうして夜中にこんにちはなのか、
どうして目的の階や部屋にいかないのか、
ここに来た理由を言わずに
なぜこんにちはと繰り返すのかと気がつき、
妙だと思って玄関は開けませんでした。

「こんにちはー、こんにちは、こん‥‥」

玄関先で押し黙って気配を殺していると、
声は段々と聞こえなくなり、
台風で荒れる外の音だけが聞こえました。

声の主が出入りする物音や足音が
聞こえなかったと思いつつ、
出なくてよかったのだろうとぼんやりと考えました。

それからしばらく経ち、あるとき気がつきました。

もしかするとあの声は私を呼ぼうとしており、
「すみません」ではうまくいかなかったために
「こんにちは」という呼びかけに
変えたのではないか、と。

また大きな台風が接近する真夜中に
女性の声が聞こえるのか、
何と言ってくるのか、
私は外に出ないで済むのか。

そして、外に出てしまったら何があるのかと
少しだけ気になっています。

(t)

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2021-09-05-SUN