もくじ
第1回「六本木の赤ひげ」は無国籍 2014-12-08-Mon
第2回とにかく「医者」を楽しんでいた。 2014-12-09-Tue
第3回「エスコート・ナース」というお仕事。 2014-12-10-Wed
第4回生まれ変わっても、医者になりたい。 2014-12-11-Thu

六本木に国籍のないドクターがいた。

東京港区六本木、飯倉片町の交差点。築100年を超える洋館が、樹々に囲まれ、静かにたたずんでいます。そこは、第二次大戦中に満州からやって来たエフゲニー・アクショーノフ先生が60年ちかくにわたって在日外国人を診察してきたクリニック。
文化も宗教もいろいろな人たちに慕われ、頼られた先生のクリニックではしばしば、一般の病院ではありえないことが起こったそうです。
治療代に「生魚10匹」とか、そんなことが。歴史の波間で国籍を失くした先生は残念ながら、2014年8月に90歳で永眠され、クリニックも、その歴史に幕を下ろしました。そこで20年以上にわたって先生とはたらいてきた看護師山本ルミさんにアクショーノフ先生やクリニックの思い出をたくさん、語っていただきました。担当は「ほぼ日」奥野です。

プロフィール
山本ルミさんのプロフィール
エフゲニー・アクショーノフさんのプロフィール

第1回 「六本木の赤ひげ」は無国籍

──
建物の醸し出す雰囲気がすごいんですが、
どれくらい古いんですか?
山本
この洋館は大正時代に建てられたもので、
築100年くらい。
港区の歴史的建造物に指定されてます。

だから、うちのドクターは
この建物よりちょっと若いくらいだねって
いつもジョークを言ってたの。

──
お亡くなりになられたのは‥‥。
山本
90歳でした。
──
コミックエッセイ『患者さまは外国人』を読んで、
「エスコート・ナース」という
ルミさんのお仕事を知ったんですが、
世界各地にケガ人や病人を迎えに行っては
母国に届ける‥‥なんて、
世の中には
おもしろい仕事があるなあと思ったんです。
山本
ありがとうございます(笑)。
──
でも、その本のなかに出てくる、
ルミさんの勤務先
六本木インターナショナル・クリニックの院長、
エフゲニー・アクショーノフ先生も
同じくらい、おもしろそうだと思いました。

そこで、本を編集された江口絵理さんに
院長先生に取材できないか相談したのですが、
その翌日、永眠されてしまって‥‥。
ずっと、ご体調を崩されていたんですね。

山本
もうここ何年も、病気をしては立ち上がり、
病気をしては立ち上がりという状態でした。

だから今度もまた
この診察室に戻ってきてくれるかなあって
思ってたんですけど。

──
そういう事情だったので、
企画のことはどうしようかとも思ったんですが、
もう20年以上、
一緒にはたらいてきた山本ルミさんに
アクショーノフ先生のことを
おうかがいできたら
それもすごくおもしろいのでは‥‥と。
山本
うまく話せるか、わからないですけど。
──
この椅子が先生の席、だったんですね。

山本
60年ちかく、ここに座ってました。
──
国籍がないんですよね。無国籍。
山本
うん、満州生まれのロシア人で、
戦時中、
日本の華族・津軽義孝さんと知り合い、
その方のお招きで、
日本へ医学を学びに来たんです。

でも、日本の敗戦で満州が消滅すると
ドクターは
「生まれた国」を失ってしまって。

──
以来、国籍がないまま、と。

そのことによって
なんか、困ることってないんですか?

山本
日本から永住許可をもらっていたし、
再入国許可証もあったので、
海外旅行や再入国も自由だったの。
もちろん、医師の免許も取ってます。

だから、いつも
「国籍なんて持ってなくても
 困ることはないよ」って言ってた。

──
そうなんですか。
山本
まあ、今から21年くらい前、
ここではたらきはじめてから数カ月後に
「うちのドクターには国籍がない」
と知ったときは
さすがにビックリしましたけどね(笑)。

──
生前、何度か「六本木の赤ひげ」として
メディアに取り上げられていますよね。

日本ではたらく外国人が頼ってくるけど、
お金のない患者さんからは
お代、治療費をとらなかった‥‥とか。

山本
自分自身が、戦時中に苦しかったことを
重ねていたのかもしれない。
──
そうか、
もともとは「そっちの立場」だったから。

レストランではたらいていた不法滞在の男性に
治療費を免除してあげただけでなく
「おこづかいまで渡した」
みたいなエピソードも、本で読みました。

山本
この人にはもう行き場がないだろうって、
わかってたんでしょうね。

週に1回、ここへ来たら診察してあげて、
薬はもちろん、
すごいカロリーのある栄養ドリンクなんかも
プレゼントしてました。

よっぽど困っている人には
食事代と言ってお金も渡していましたし。

──
そこまでいくと、医者以上の何かですね。

そういうところが
赤ひげと呼ばれた所以なのでしょうけど。

山本
まあ、ドクターの持論としては
「お金の取れなかった患者さんに関しては
 勉強できたと思えばいいじゃない」と。

──
どういうことですか?
山本
たとえば、診断してみたら
日本では超めずらしい種類の結核だったり、
習慣や常識が日本とは違っていて
怪我した指にコーヒーの粉を塗りたくった
ブラジルの人が来たり‥‥。

なんというかまあ、ほんといろいろなのよ、
ここに来る患者さんって。

──
たしかに、そのようなことは
ふつうの病院では、学べなさそうですよね。
山本
ただね、私なんかとしては
「ドクター甘い!
 ちゃんと治療費もらってよ!」って
いつも言ってたんだけど。
──
以前、治療費を払えなかった人が
ずいぶん大きな荷物を抱えてきたなと思ったら
「ニシンが10匹入っていた」という
仰天の逸話もありますよね。

つまり「支払い」を「生魚で」と(笑)。

山本
しかたがないから
昼休みに3枚に下ろしたんだから、私が。

ある日突然、
「めっちゃくちゃ巨大なタラバガニ」が
届いたりとかもしたし。

──
おもしろいです(笑)。
山本
そんなことがあっても、
本人はずっと
「国籍や人種は関係ないよ。
 ムスリムも、カトリックも、
 日本人も、中国人も、アメリカ人も、
 患者であることに変わりはない」
とか言って、
自分には国籍がないから、
どんな人が来てもわけへだてなく診るんだって。
──
仮に「不法滞在の人」が来ても。
山本
治療を優先してましたね。

──
あらためて、どんな先生でしたか?
山本
とにかく、患者さんのために
自分の時間の100パーセントを使ってる人でした。
──
100パーセント。
山本
週末や夜間はもちろんですけど
「祝日の朝方の5時」みたいな時間でも
依頼があれば、往診に行くんです。

私がせっかく土曜の夜に食事に誘われて
出かけていたとしても
「ルミちゃん往診」って呼び出されたり。

──
うわあ、そりゃたいへん。
山本
目の前の本人じゃなくて、
遠い祖国のお母さんの病気の相談に乗ったり、
「赤い手紙」を持ってきて
「日本語が読めないんだけど、これ何?」
って言うから
開けてみたら水道料金の請求書だったり。
──
つまり、滞納してるから「赤い」‥‥と。
山本
学校に入るから保証人になってほしいとか。
──
みんなの「よろず相談役」だったんですね。

あらためて
盛大に「医者の仕事」をはみ出しています。

山本
とにかく、どんな用件であっても
クリニックに来た人が元気を取り戻して
笑顔で帰っていく、
そのことが「快感」だったんだと思います。

お金だけじゃなく、
「ありがとう」って感謝されて、頼られて。

で、だんだんその性格が
私にも、うつってきちゃったというか‥‥。

──
たしかに、20年以上も
先生と一緒にはたらいてきたってことは
「うつって」ないと無理ですね(笑)。

ちなみに
「お金のない患者からは治療費を取らず
 おこづかいまで渡していた」
と聞くと、
ものすごく「聖人君子」な姿が浮かびますが、
実際には、どうだったんでしょう?

山本
うーん、「聖人君子」というより‥‥
もっと「人間味のある人」だったと思います。

往診で、朝、ホテルに呼ばれて
ホテルのバイキングで朝ごはんを食べたりすると
リンゴやらゆで卵やらパンなんかを
ポケットに入れて持ち帰ろうとするんですよ。

上着のポケットをパンパンに膨らましながら、
「大丈夫だからホラ」とか言って
私のバッグにもねじ込もうとしてくる(笑)。

──
その姿を想像するとかわいらしいです(笑)。
山本
私が
「ドクター、持って帰っちゃいけない」って
ちょっと怒って言ってるのに
「いいからいいから。
 ルミちゃんコッソリ入れてって」とか。

戦争で満足に食べられない時期を
経験してるからなのかも知れませんけど。

──
なるほど。
山本
でも、私もこの前、海外から帰ってきたとき、
バッグの奥底から「白い粉」が出て来たんだけど、
それ‥‥「ゆで卵」だったんですよ。

なんかもう、ボロボロに崩れ果てた‥‥。

──
つまり「そっちの癖」も、
いつの間にかルミさんに「うつって」いた(笑)。
山本
まあ、これは冗談半分だと思うんですけど
街を歩いていて
ミニスカートの女の人が向こうから来たりすると
私に「見て見て、ホラ見て!」って
うるさいんです(笑)。

「わかったから、大人しくしてください」
「私に言ってどうするんですか!」
とかって言うんだけど、
「見てみて、ルミちゃんホラあそこ」って。

──
チャーミングですね(笑)。
山本
そんなことを
90歳ちかくになってもやってたんですよ?

かわいらしいというか、
いつまでも男の子みたいっていうか、
そういうところのある人でした。

第2回 とにかく「医者」を楽しんでいた。