もくじ
第1回感謝の気持ち。 2014-02-05-Wed
第2回生きる、ということ。 2014-02-06-Thu
第3回はたらくとは。 2014-02-07-Fri

進行性筋ジストロフィーという難しい病気で、未来や希望をあきらめかけていた岩崎航という詩人は、17歳のある日の午後に、ナイフを前にし「生きるかどうか」と、突きつけられました。そして「やっぱり生きよう」とみずからの意思で、選びとりました。『点滴ポール』という詩集が本当に素晴らしく、じつにかっこよかったので、著者の岩崎航さんに、話を聞きました。短い対話のなかで、多くのことを教わりました。生きるということ、生き抜くということ。はたらくについて。ご両親への感謝の気持ち。全3回の連載にして、お届けします。聞き手は「ほぼ日」奥野です。

プロフィール
岩崎航(いわさき・わたる)さんのプロフィール

第1回 感謝の気持ち。


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──
写真家の齋藤陽道さん
岩崎さんの詩集をいただいたんですけど、
素晴らしかったです。
岩崎
ありがとうございます。
──
何と言ったらいいのか、
「本当のことが、書いてあるんだなあ」
という感想を、持ちました。
岩崎
そうですか。
──
ご両親についての歌が、ありますよね。
岩崎
はい、たくさん詠んでいますね。
母のことや、父のことは。
──
個人的には、とくに、それらの歌について。
岩崎
こういう身体でもあるので
やはり、いろいろ助けてもらってますから
感謝の気持ちを抱いているんです。
──
ご両親に、感謝を。
岩崎
それはもう、生活していくうえで、日々。

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──
そういう、ご両親への感謝の気持ちって
いつごろから芽生えましたか?
岩崎
そうですね‥‥まだ若いころ、
ものすごく身体の調子が悪い時期があって。
吐き気が、ものすごかったんです。
生活のすべてが
吐き気に取り込まれているような感じで。
──
本にも書かれていましたね。
岩崎
あのころは、本当に苦しかったです。
で、そんなときに
両親が背中をさすってくれるんです。
──
ええ。
岩崎
吐き気止めの薬なども、ぜんぜん効かなくて
どうしても
症状がおさまらなかったんですけど、
父と母が、
ずっと傍にいて、背中をさすってくれた。
そのときに、私は、自分が大変なときに、
傍に誰かがいてくれるということ、
背中をさすってくれるということ、
そのことが、本当に幸せなことだなあと
心の底から思ったんです。
自分の根っこのほうで、本心で、そう思えて。
──
なるほど。
岩崎
そのときですね。
両親への感謝の気持ちが強くなってゆくのを
自分自身、感じたのは。

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──
具体的には何歳くらいのころですか?
岩崎
20代の前半です。
──
いや、あの、お聞きしたかったのは、
ご両親に反発することだって
ふつうにあったよなあ、ということなんです。
岩崎
ああ、それは、もちろんです。
人並みの親子ですから。
──
ですよね。
岩崎
喧嘩もしますし。
──
反抗期だって、あったはずですよね。
岩崎
それなりに、なんでしょうけどね。
よく
「ご両親とは
 喧嘩なんかされないでしょう?」とかって
聞かれるんですけど、
まあ、そんなことはないですよ。
だって、ただの、ふつうの親子ですもの。
──
ぼく、岩崎さんと同い年なんですが
親に対する思いって
今でこそ、ありがたいなって思いますけど、
まだ若いころには
なかなか、持てないじゃないですか。
岩崎
そうですね。
未だに両親とは
衝突したり言い争ったりしてますけど(笑)、
でも、そんなものを超えて
「親心」という気持ちを持ってくれている。
今はそう、感じることができるんです。
だから、そういう喧嘩や衝突や言い争いを
ぜんぶひっくるめて、
親というのは、
本当にありがたい存在だなあって思います。
──
では、苦しかった20代前半を越えてからは
徐々に、ご両親に対して素直になれたと。
岩崎
ええ、そのあたりから
感謝の言葉を素直に伝えられるようにも
なってきました。
‥‥ちょっと照れくさいなって気持ちは
やっぱりまだ、あるけど(笑)。

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──
五行歌を書きはじめたのは?
岩崎
ですから、「そのあと」なんですね。
20代の半ばすぎくらいから。
──
とすると、感謝の気持ちを
両親に素直に伝えられるようになったことが
創作をはじめる、ひとつのきっかけに?
岩崎
そうだと言えるかもしれません。
そのころには
「吐き気」に飲み込まれていた最悪の状況が
徐々に落ち着いてきていましたし。
自分自身、心持ちにも余裕が出てきて、
いろいろなことを
静かに考えられるように、なっていたんです。
──
岩崎さんの五行歌を読んで、まず思ったのは、
喜んだり、悲しんだり、楽しんだり、ヘコんだり、
「前へ進もう」と思ったり、
そういうことって
ぜんぶ「自分発」なんだなあってことでした。
岩崎
ああ、そうですか。
──
吐き気で苦しい、死にたいと思い詰めることも
やっぱり生きようと思い直すことも、
青空を見ただけで、うれしいと感動することも、
病気に思わされてるんじゃなくて
岩崎さんは、自分で、そう思っている。
いや、当たり前の話なんですけど。
岩崎
でも、それは、本当にそうですね。
たしかに、吐き気に支配されていたときは
創作どころではなかったです。
でも、このまま、自分が何もせぬまま、
漫然と時間を過ごしていくのかなあと思ったら、
それは絶対に嫌だと思ったんです。
「何かをしたい、しなければ」と、思った。
──
はい。
岩崎
でも、それまでの私は、ほとんど家のなかだけ、
ごく限られた人たちのあいだだけで
生きていたんですが
この先、自分の将来を考えたら
「こんなんことじゃあ、絶対にダメだ」って。
──
もっと、人と関わっていこうと。
岩崎
はじめは、とても怖かったです。
──
人と関わるのが?
岩崎
はい。実際、すごく苦痛も感じました。
だけど、いつまでも、そんなことを言っていたら、
私はこの先、生きていくことができない。
そう思って、いろいろな人と関わっていく努力を
はじめてみたんですね、自分から。
──
誰かに促されたというより。
岩崎
ええ、自分で、そうしなければと思った。
ずいぶん疲れましたし、大変だったんですけれど、
訪問介護の方に来ていただいたり、
少しずつ、少しずつ、挑戦してみたんです。
──
はい。
岩崎
そうしたら、
狭かった自分の世界が広がっていったんです。
人と会って話し、出会いを重ねていくことで、
自分自身が変わっていくのが、わかって。
──
すごいもんですね、人と会うとか、話すって。
岩崎
本当に、そう思います。
そして、そのときに、
これまでお世話になってきた人たちや
両親に対して
感謝の気持ちを伝えたいなあと、思ったんです。
──
じゃあ、
感謝の気持ちを素直に伝えられるようになって、
感謝の気持ちを伝えたいとも思うようになって、
そのことが、五行歌の創作につながっていった。
岩崎
はい。

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<つづきます>

第2回 生きる、ということ。