糸井重里
・歴史のなかで、いつまでも存在し続けるものというのは、
あんまり多くないんじゃないだろうか。
仕事や職業とかも、道具や機械というものも、
演芸や娯楽、場合によっては慣習や倫理も変化していく。
いまだったら、これから無くなる職種はなにか、
というようなことがよく話題にされる。
うん、たくさん無くなる仕事はあるだろうな。
たとえば江戸時代にあった職業は、いまは無いものがある。
いま、駕籠を担ぐ人だとか、飛脚だとか、いないものね。
ぼく自身の生きてきた時間のなかでも、
どんどん減ってきたなぁという商いがいくつもある。
コロッケとか揚げものの店、下駄屋、呉服屋、帽子屋、
駄菓子屋、自転車預かり所、小さい映画館、焼きそば屋…。
ぼくの生きてきた時代と土地にも関わっているのだろうが、
「もっとあった」店がいつのまにか消えたりしてきた。
身近な暮らしのなかでも、畳のある部屋は減っているし、
どこの家にもあった漬物の樽なんて、どこにあるだろう。
郷愁というものが、ぼくにも無いわけじゃないが、
無くなるものは無くなるという現実は、どうしょうもない。
いま無くなると言われている仕事やものごとも、
昔、新しく生まれたものだったかもしれない。
減っていくものが、ほんとうにすべて無くなるかというと、
あんがいそういうものでもない。
文化財として守られる場合もあるし、
その価値を認める人がいるかぎりは「贅沢」として残る。
珍しくて高価な「限られた価値あるもの」は、
かつてなら「貴族」のものだったろうし、
いまは経済的に手に入れられる者が持つことになる。
「貴族」が高い価値を認めたものは、やがては、
「みんなも」手に入れたいと求めるようになる。
「手に入れられる贅沢」として、ある「場」を確保する。
こういう大波小波が繰り返されながら、時代は動いていく。
ぼくが、よく「それは室町時代の人でもほしいものか?」
と問いかけたがるのは、そのほうが考えやすいからだ。
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「チェンジ!」変わるは魅力的だけれど、変わられるもの。
ほぼ日の更新時間は、土日祝も
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