最終回マリヤ

淡いピンクのマットに吸い寄せられた。
暖炉の前 ロッキングチェアに掛けられた
ところどころ朽ちている きっととても古いもの。
“これをお直しさせてもらいたい”
そう心で思っていても 恐れ多くて
口にすることはできなかった。
このときわたしは無意識に
マットをなでていたらしい。
その姿を見たマリヤは すべてを悟り
数日後 マットを差し出してくれた。

家にはたくさんのタペストリーがかかっていて
ひっくり返すと裏側に作者の署名が入っていた。
それを真似て 欠けた裾に編み足した
5枚のモチーフに “MARJA” となるよう
1枚につき 1文字ずつ刺繍で印した。
脇のかけた部分には そこを食べてしまった
小動物を編んで埋めた。

 

“ポイコラ通り” と目の前の道路に
名字がつくくらい カルストゥラで
いちばん古く立派な家に
82才のマリヤ・ポイコラは住んでいた。
黄色い壁にオレンジ色の屋根
横に長く 玄関が2つある大きな家。
わたしは左の玄関から入り2階の端にある
ベッドが3つもある部屋を貸してもらった。
玄関 キッチン シャワー トイレ
全て別のものを使うから
マリヤとは顔を合わせない日もあったし
『いつでも入ってきなさい』
と言ってもらった母屋には いつまでたっても
気軽に立ち入る事はできなかった。

マリヤは英語がまったく話せなかった。
わたしも苦手だからちょうどいい。
かといってフィンランド語を
話せるわけではもちろんなく
質問したいことがある時は事前に
単語を調べ 書き写した紙を用意する。
そして大きな深呼吸をひとつしてから母屋に入り
『Hei! Hei!』と声を掛けながらマリヤを探した。
たいていキッチンにいるマリヤは
差し出された紙を見て 会話帳の小さな文字の中から
ひとつひとつ こたえを探し出してくれた。

ただハサミを借りれただけで
ただ洗濯機の使い方がわかっただけで
こんなにもうれしいものかと自分に驚いた。
『Kiitos!』『ihana!』『hyvaa!』
単語をどれだけならべても
わたしの気持ちは きっと伝わりきらない。
すこしでもどうにか形にしたくて
“庭のものはなんでも好きなだけ食べていいのよ”
と言ってもらった日には カードに
レタスのようなチョウチョを編んで縫い付け
新しいシーツを用意してくれた日には
そのシーツに施されていたレースを
同じようにカードに編みつけた。
そしてそれらをマリヤに見つからないように
こっそり母屋の玄関扉に貼り逃げする。
数時間後 散歩のついでに横目で確認すると
なくなっていて それがまたうれしく
少し こそばゆかった。

お直しはまったく終わっていないのに
こんな事ばかりしていていいのかと
自己嫌悪に近い気持ちになっていた頃
『それってある意味そのおばあちゃんとの
 関係をお直ししている ってことだと思う』
友人から届いたメールの一文に救われた。

“カルストゥラに滞在しながら
現地の人たちのお直しをする”
それが最大の目的だったはずなのに 振り返れば
それよりもずっと マリヤとのやりとりに
時間と手をかけていた 1カ月だった。
カルストゥラを離れる8月の終わり
短い夏はすでに終わり 涼しい風が吹いていた。

2015-06-04-THU

〈編集者より〉
「お直し とか カルストゥラ編」が
青幻舎より出版されます。
このページに掲載された文章のほか、
横尾さんが現地で書いた日記、
未発表のホンマタカシさんの写真もたくさん
収録されます。

一般発売は7月中旬ごろ。
6/12~14の「YさんとOさんのTOBICHI」では
先行予約を受け付ける予定です。
TOBICHIで予約いただくと特典がついてきます。
どうぞおたのしみに!