第10回嵐のような人

風邪を引いた。体調が悪い。
作業の途中で少しうたた寝。
トイレがある1階に下りたついでに
物干部屋で洗濯物をとりこんでいると
母屋から にぎやかな声が近づいてくる。
ひょっこり こちらをのぞいた大家のマリヤが
『ここにいたわ!』と誰かを呼ぶ。
腰の曲がった小さなおばあさんがやってきて
特に自己紹介も マリヤからの紹介もないままに
わたしの部屋へ連れていくよう うながされる。

おばあさんは英語が少ししゃべれるようで
『直してもらいたいものを持ってきた』と言った。
え…直接…? 困惑するわたしなどおかまいなしに
マリヤはテーブルの上の会話帳から
〈物語〉と〈合唱〉という単語を探し出し
あとは早口にフィンランド語で説明をしてくれている。
その 合唱で着るのだか 着たのだかの
特に直すところがなさそうな
クリーニング済みのブラウスの肩には
共布でできた飾りがついていた。
それをほめようとした時 おばあさんは突然
机の上の大きなハサミを手にし ジョキジョキと
飾りを切り取り始めた。 あっけにとられる。

“あぁ つまりはこの飾りの代わりに
なにかをつけろってことね?じゃあ例えば…”
気を取り直し 編みためていた小さなモチーフから
ひとつを選んでそこに置き 提案しようとしたところで
“そんなものいらねぇー”といわんばかりにはじかれて
『首から裾にかけてぐるっと一周花の刺繍をして』
『コリアの刺繍みたいに』『ノー ハードで』
次から次へとおばあさんから要求が出てくる。

この人なにか お直しをはき違えているのですが…!
助けを求めようにも 説明を一方的に終えたマリヤは
“じゃぁ~ね~”みたいに出て行ってしまった。
『紙とペン貸して』といって
前見頃 後ろ見頃を描き 刺繍のラインの指示をして
おばあさんは最後まで名乗ることなく
嵐のように去って行った。

断れなかった。マリヤの友人だし邪険にできない。
しかし わたしには全然時間がない。
まだまだ終わっていないお直しがたくさんあるし
彼女の要求の刺繍は べらぼうに時間がかかる。
“ムリ!断ろう!絶対に断る!!”
とはいえ どうしたらいいかわからずに
次の日 ハンヌに事の由を伝えると
どうやら あのおばあさん
一度市役所にブラウスを持って行き
これはお直しではないと 断られていたようだ。
“ならば直接交渉だ!” とやって来たのだろう。
おまけに マリヤの友人というわけではなさそうだった。

そのままハンヌに返してもらっても良かったのだけれど
切り取られた 肩の飾りのことが気になっていた。
勲章などをそこに留めるための布のようにも思えて
刺繍なんかしなくても あそこにワンポイント
あるだけでも素敵だったのにな と
小さな勲章のような ブローチを作ってみた。

ブローチを手にした あのおばあさんの
反応はどうだったのだろう。
やはり “こんなもんいらねー” と
はじかれてしまったのだろうか。
けっこうかわいくできたと思うんだけどな。

2015-04-16-THU

  • TOP