第8回サルメ(ハンヌの奥さん)

カルストゥラ滞在最終日の朝
ハンヌの家に初めておじゃますることになった。
車でどれくらい走っただろう
市役所からは思ったよりも離れている。
毎日 だれよりも早く出勤して 遅くまで残っているから
てっきりもっと近くに住んでいるのものだと思っていた。

“ようやく一人になれたこの箱の中で
大声で歌ったり 独り言や愚痴を口にしながら
仕事の疲れや 嫌な思いを 排ガスとともに吐き出して
家に持ち帰らないようにしたりしているのかな”
スピード狂の片鱗が見え隠れするハンヌの表情を
ちらちらとバックミラー越しに盗み見ながら想像する。

家は丘の上の方にあり 車を降りてすぐ
深呼吸をしてしまうほど さわやかだ。
「そこからあっちまで」と言っていた私有地は広大で
こういうところに住んでいたら わたしでも
広い心がもてるようになるのだろうか? と
大きな空を仰ぐ。

おいしい朝ご飯が食べれると聞いて
ずうずうしくやってきた日本人を
はにかみながら 迎え入れてくれたのは
まんまるな目をキラキラさせた
ころんとかわいい奥さんのサルメだった。
まるで少女のような仕草がいちいち愛らしい。

テーブルにはサルメの用意してくれた朝食と共に
ハンヌの作った料理もしっかり並んでいて
この人はほんとうに“出来過ぎ”だなと思う。
食後に ご自慢のリンゴをたっぷり使ったケーキが
これまた たっぷりのクリームと共に登場し
カルストゥラでの最後の食事を締めくくった。

お腹も心も十二分に満たされ 庭に出ると
リンゴの木がたくさん植わっているのをみつけ
『omena!(リンゴ)』と さけびながら思わず駆け寄る。
これ以上入る余地はないはずなのに
“食べなければ後悔する!”と 手を伸ばし
ひとつもいでは食べて 隣の木に移動
その木から またひとつもいでは食べて 隣の木に移動する
ということを 何度も何度も繰り返した。

“ハンヌが赤リンゴなら サルメは青リンゴ”
ジャンパースカートに なぜかひとつ多くあいていた
ボタンホールをリンゴの芯に見立て タネの刺繍をする。
ご機嫌ななめの日には芯だけになっていて
とってもいい気分の日には実を出しておく。
半分だけ実が出ていたら…?
〈今日はあなたが料理をしてください〉
とか そういう夫婦の暗号にするのは どうだろう。

2015-03-19-THU

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