あなたがたは、あなたがたのパパはみんな、
りっぱで、きびしい人ばかりだと思っているでしょうが、
わたしたち三人のパパたちの経験を書きつづった、
この話を読んでごらんなさいな。そしたら
(どのパパも、にたりよったりなものだなあ!)
と思うようになりますよ。
                   『ムーミンパパの思い出』
          (トーベ・ヤンソン著 小野寺百合子訳)より
重松
今、周りの国の若者たちがヘルシンキで学びたいとか、
フィンランドに行きたいと思えるジャンルって
何かあるのかな。
みんなをヘルシンキに呼び寄せる力としては
何があるんだろう。
森下
少し前まではやっぱり工学系、IT関係のものが
ひとつの大きな磁力になっていたんですけれど、
最近はあまり聞かないかもしれないですね。
ただ、昔はバルト三国の人たちは、
まず最初にフィンランドを目指すという
ケースも多かった。
最終的にはアメリカとか大きな国が
頭にあるのだけれども、
最初の入り口としてフィンランドがあったんです。
重松
とっつきやすいのかな。
森下
そう、わたしもそう感じます。
なんとなくみんなの中で、フィンランドって、
冷戦のときもソビエトとの交流があった国なので、
入りやすいのかなって。
それにエストニアの人たちは、
こっそりフィンランドのテレビ番組が
見られたらしいんですよ。
それもひとつのとっかかりでしょうね。
あとはロシア人がちょっと放浪の旅をするとき、
最初のお金を貯める場所がフィンランドだったり(笑)。
重松
ああ、なるほどね。
森下
路上でパフォーマンスをして、お金を稼いで。
ただ、1917年に独立して
まだ100年も経たない国ですから、
そういう意味では歴史が浅い。
ヨーロッパの大国の人たちが来ると、
なんとなく、これはわたしの印象ですけど、
「フィンランドのこと、低く見ているんじゃない?」
という気はすごくしますね。
重松
少なくとも例えばスウェーデンの持っている、
北の強国ってイメージはない。
森下
ないです。王様もいないし!
重松
王国じゃないですからね、フィンランドは。
そういえば、トーベ・ヤンソンが生まれた年に
第一次世界大戦が始まってるわけだから、
思えば、まだ独立する前なんだよね。
森下
帝政ロシアの時代に生まれているんですよね。
重松
だから、生まれをたどっていったら
ロシアっ子なんだ(笑)。
森下
そうそうそう(笑)。
でも通貨はフィンランドのお金だったくらい、
すごく自治権が与えられていたらしいですけれど。
重松
戦争と共に生まれてきて、独立、内戦があり、
それから第二次世界大戦があり。
トーベ・ヤンソンって、
本当に戦争の世紀の20世紀の、
いちばんの十字路みたいなところにいた人ですよね。
森下
本当にそうですよね。
重松
その戦争がフィンランドの人たちに与えた
傷跡みたいなのは、今も残っていますか?
森下
残っていますね。
日本でもよく言われてる、
戦争を経験した人たちはなかなか口を開かなかった。
戦争のときのことは話したくないという方が
非常に多かったですね。
やっと最近お話してくださる方も出てきましたけれども。
重松
ちょうど、ぼくは森下さんに案内してもらって、
ロバニエミに行きましたね。
そこはナチスの一斉大空襲を受けている町でした。
教会の共同墓地に行ったら、
みんな同じ日に亡くなっているのがわかります。
そしてロバニエミの町は
アルヴァ・アールトの公共建築が
すごく美しいのだけれど、
なんでこんなに一斉に美しいかといったら、
一度、全部なくなったからなんだよね。
だから、戦後に都市計画ができちゃった。
「アールトで統一してる町、すげえじゃん!」
って言うんだけど、
それはニュータウンでも何でもなくて、
もともとあった町が一回なくなっちゃって、
作り直したからなんだよねって。
アルヴァ・アールト

1898年生まれ、フィンランドを代表する建築家。
住宅建築や公共建築だけでなく、
家具、食器、日用品などのデザインでも知られ、
花器「アールト・ベース」などは
フィンランドを代表するデザインのひとつとして
現在も製品がつくられつづけている。
森下
まさにそうですね。
それに、トーベ・ヤンソンのパートナーの
トゥーリッキ・ピエティラは、
従軍看護婦として前線に行ってるらしいです。
彼女は美術史に残る
重要なグラフィックデザイナーではあるんですけれども、
彼女もまた戦争に翻弄されたひとりで、
パリになかなか行けなかったんです。
普通、若いときに芸術家って‥‥。
重松
みんな一度は行くんだけどね。
森下
彼女はそれがずっと叶わなくて、
戦争の時代に入ってしまった。
そういう意味ではトーベ・ヤンソンというのは
ギリギリ戦前、第二次世界大戦前に
パリに行くことのできた人です。
だから、ふたりは戦争を介して
全然違う世代なんですね。
重松
本当にギリギリ間に合ったわけなんだよね、
トーベの方は。
ところが、その一方で、戦争を経て
お父さんが反共になるのかな、あれはね。
やっぱりトーベはお父さんと、
晩年はともかくとして、
うまくいかなかった‥‥。
森下
訳していて本当につらかったのが、
お父さんといると吐いちゃうとか、
そこまで思い詰めてたんだっていう部分でした。
そういうことって、昔は全く話に出てこなかった。
みんなのんきに、
「ムーミンパパってやっぱりトーベのパパだよね」
みたいな言い方をしていたけれども、
実はこういうことがあったというのは、
実はわたし、この本を訳して初めて知ったことでした。
重松
ムーミンパパって、なんか妙な屈折があるじゃない?
森下
ありますね(笑)。
重松
何だろうと思っていたんだけれど、
この本を読んで、もしお父さんが投影されている、
もしくは男性ってものが投影されてるんだったら、
ムーミンパパの屈折って
ちょっとわかったような気もするんだよ。
まあ、これも本当に文学論になっちゃうけれど、
ムーミンパパってお父さんじゃなかったと思うんだよ。
いわゆる父性ってあまり感じないもの。
森下
ああ‥‥ああ。
重松
それはスナフキンもそうだし、
そのお父さんのヨクサルもそう。
みんな父性的なものを避けよう避けようと
しているような感じがする。
ムーミンの家の間取りを見ててもさ、
みんな寝室がバラバラだしさ、
お父さん、別に偉くないんだよね、部屋としてもね。
森下
偉くないですよね。
今、思い出したんですけど、
ムーミン谷博物館の初代館長さんと
話したことがあるんです。
日本人がムーミンを好きな理由って
家族構成とか家族の役割が
しっかりしてるからのような気がするんだけれど、
ムーミンママはすごくよく理解できる一方で、
パパは、おっしゃられるように‥‥。
重松
うん。だってね、よく考えてみたら、
ムーミンパパって昔話しかしてないんだよ。
「昔、こうだったんだよ」って(笑)。
森下
そうですね(笑)。
重松
本当はぼく、長谷川町子さんにも
同じことをちょっと感じることがあるんです。
長谷川家も女系なんですよね。
マー姉ちゃんがいて、
お母さんがいて、妹がいて。
そして「お父さんがいない設定」というのは
児童文学って、好きなんだよ。
母を訪ねて三千里で、
会いたいのはお母さん。
みなしごハッチもそうだ。
森下
お母さんなんですね。
重松
うん。お父さんに会いたくて、
ぼくは三千里は歩かないな(笑)。
戦争に勝ったアメリカが
ジョン・ウェインとか、レーガンでもいいんだけど、
強いお父さんというのをまだ持とうとした。
ロッキーもそうだ。
で、戦争に負けた国って、そのことが、
その後のお父さんの描き方とか、
ぼくたちが好むお父さん像というものに
影響を与えたと思うんです。
この本の中で、すごく大きなフレーズだなと思うのが、
「戦争が教えてくれたこと。
 男の子はダメ、兵士たちはダメ、
 おそらくそれでわたしの優先順位は
 決まってしまいました。
 この考えが変わることはないと思います。」
と。これがね、1946年に
トーベ・ヤンソンが言った言葉なんだよね。
多分それはね、よっぽど嫌だったんだよ、
戦争の男たちの姿が。
森下
そして、子どもを産みたくないとまで言いますよね。
どうしてかというと、
男の子が生まれるのが嫌だからという。
だって男の子が生まれてしまったら、
また戦争をしてしまうかもしれないって。
男の人に対するトーベ・ヤンソンの気持ちって、
「そこまでなんだ!」って驚きました。
わたしにはどうしてもなかなか実感として、
うまく想像できない部分もあったんですけれども。
重松
すごいなと思うのは、
こんなに大変だったという戦時中の話から、
その子どもの世代、つまり未来まで想像して、
男の子を産んじゃうと戦争が起きるっていう、
その「極端」に振れちゃうところですよね。
森下
そうなんです。わたし、そんなことを
誰からも聞いたことがなかったら、
訳しながら「え?」って。
強く印象に残りましたね。
男の人はダメ、兵士はダメって。
重松
日本では戦後にサザエさんが大ヒットして。
同じなんだよね、時期的なものって。
サザエさんのフネってお母さんとムーミンママって、
圧倒的な母性全肯定としてあるじゃない。
森下
全肯定として、そう。
重松
で、父性はやっぱり揺らいじゃって、
波平とマスオのあいだぐらいが
ちょうどいいと思うんだけど。
森下
マスオさんも極端ですものね(笑)。
重松
そこが笑いを生むんだけれど。
共同体の価値観の笑いのツボを、
共有してることを確かめるわけじゃない?
『サザエさん』が受けたってことはね、
多分ぼくたちの戦後の世相の中に、
「波平ってああだよね」とか、
「いつまでもやっぱりカツオは、成長しちゃダメだよね」
っていう意識があるからだと思うんだ。
森下
ムーミンもそうですもんね、どこかで。
重松
そう。年を取らせないしね。

「有名になるなんて、つまらないことさ。
 はじめはきっと、おもしろいだろう。
 でも、だんだんなれっこになって、
 しまいにはいやになるだけだろうね」
                     ──ヨクサル
                   『ムーミンパパの思い出』
          (トーベ・ヤンソン著 小野寺百合子訳)より
(つづきます)
2015-03-10-TUE