hobo Nikkan itoishinbun




スケート選手の清水宏保さんは、
喘息というハンデを乗り越えて
オリンピックのゴールドメダリストになりました。
いま、清水選手は、喘息に対する有効な治療法を
広く知らせるために尽力されています。
そして、糸井重里もまた、過去に喘息を患い、
薬によって克服した経験を持ちます。
そんなふたりが、
「いま喘息でつらい思いをしている人」
に向けて話しました。
第1回 逆境がプラスになった
糸井 レースのときって、
競技場にお客さんがいっぱいいるときと、
いないときを比べると、いるときのほうが
やっぱり成績ってよくなるんですか。
清水 そうですね。
やっぱり、テンションが上がるので。
糸井 なんなんでしょうね。
そういう力ってね。
清水 ひとりで孤独に練習を重ねているときに
本番のパフォーマンスを見てもらいたいっていう
気持ちがあるんじゃないですかね。
糸井 じゃあ、大会って、
うれしいことなんですか。
清水 そうですね。
うれしい反面、緊張もするし。
期待されると刺激にもなるし。
糸井 そっか。
今日のテーマは喘息なんですけど、
ぼくは、喘息のときは、
周囲から期待されることがつらかったんですよね。
スケートで「がんばれ!」っていう期待と違って、
「治ってほしい」という期待があるじゃないですか。
清水 ああ。
糸井 それがつらかったですね。
なにか、自分が不得意なことをやっている気がして。
清水さんは、そんなふうに感じたことはないですか?
清水 ぼくは、いい意味で、
人を裏切りたかったというのはあります。
壁を乗り越えていく楽しさというか。
スケートをやっていると、期待というよりも、
あきらめが周囲に少しあるんです。
もともとぼくはすごく体が小さくて、細くて、
そのうえ喘息持ちで、体調も崩しやすい。
たまに、いい成績を出しても、
それはフロックだろうとか、
もしくは、今年だけだろうとか、
そういう言われ方をされるんですね。
それが逆に、ぼくのモチベーションを
ものすごく高めてくれたんです。

糸井 人それぞれなんだなぁ。
清水 スポーツ選手も、人によっていろいろですし。
ほめられて伸びるタイプと、
逆境を好むようなタイプと。
糸井 逆境を好む人もいるんですね。
清水 そうですね。
ぼくは負けん気が強いので
それがプラスになったんでしょうね。
糸井 スケート選手として活動しはじめてから、
喘息の発作が起きて
シーズンを棒に振ったことというのは
けっこうあるんですか。
清水 あります。
10代から20代の前半くらいまでは
けっこうありました。
喘息ってアレルギーが
原因になることが多いですけど、
風邪をひいてしまって、
そこから喘息に移行する場合もあるじゃないですか。
糸井 多いですね。
清水 とくにウィンタースポーツの場合は、
まったく風邪をひかないシーズンというのは
ごくまれで、1年に1回くらいは、
どんなに気をつけてても、
どうしても風邪をひいてしまうんですね。
そういうときは、体脂肪も落ちているので、
体調を崩して、そのまま咳き込んで、
レースをやっているときもありますね。
糸井 いい記録は出ないですよね、きっと。
清水 体がついてこないので、
記録が出ないことの方が多いですね。
糸井 ということは、
記録が出ることもあるんですか。
清水 ごくまれに、精神のほうが逆に充実するというか、
「やるぞ」という気持ちになって、
いい記録が出ることもあります。
ただ、そのときは、
発作を無理に薬で抑え込んで臨むので、
その後のリバウンドが激しいんです。
糸井 つまり、痛み止めを飲むみたいなことですね。
清水 そうですね。
糸井 はー、すごいですねえ。
ぼくは清水さんが喘息だってことを
自分で公表なさったときに、
まさかと思ったんですよ。
喘息の人がそんなことができるなんて思えなかった。
と同時に、ものすごくうれしかったんですよ。
やっぱり、自分が喘息だったもんですから。
あの発表は、自分で決意なさったんですか。

清水 そもそもは、自分自身が、
喘息をそこまでハンデと思っていなかったんですよ。
わざわざ人に伝えることでもない、
というような意識がありまして。
でも、スケートをやるにあたって、
薬ですとか、コンディショニングですとか、
喘息のことをいろんな人に相談していくなかで、
こういうふうにがんばっている人がいることを
伝えていったほうがいいんじゃないかと人に言われて、
それが発表するきっかけになったんです。
糸井 ということは、そういうふうに言われなければ、
喘息がハンデだということも思わなかった。
清水 はい。
糸井 はーー。

 
(続きます)
2007-10-24-WED
 
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