hobo Nikkan itoishinbun





第3回 そっとしておいてほしい
糸井 自分の子供のときの喘息の経験でいうとね、
たとえば鬼ごっこなんかをしてて、
冬だと、息が苦しくなって、
ぜぇぜぇ言いはじめて、咳き込んで、
自分ひとりがうずくまってて‥‥。
清水 ああ、わかります。
糸井 みんなが遊んでて、
ぼくは、うずくまって咳き込んでいて、
「気にしないでくれ」という感じでね。
で、治まると、またいっしょに遊ぶ。
清水さんにもそういう経験はあります?
清水 ものすごくありました。
糸井 あのときの気持ちって思い出せます?
清水

すごく思い出せます。
やはり、まわりにはわからない、
伝えられないという苦しさであったりとか。
「なんで、そんなに苦しいの」
という疑問を抱かれたりとか。
兄弟の中でも、ぼくだけが喘息だったので、
兄弟にも「なんで?」って不思議がられて。


糸井 つらくなかったですか。
清水 つらかったですね。
みんなについて行けないつらさであったりとか
ものすごくありますね。
糸井 そのときに、心配されるということが
ありがたいことのはずなんだけど、
「頼むから心配しないでくれ」
という気持ちもあって。
その気持ちって、ぼくのその後の人生に
影響を与えてると思うんですよ。
清水 ああ。
糸井 つまり、心配されるのが、ほんとにつらいんです。
清水 「ほっといてくれ」っていうのはありますよね。
あまりにも、苦しすぎて
「そっとしておいてくれ」っていう。
糸井 2種類いると思うんですけどね。
だとえばどこかに足をガーンってぶつけたときに、
「大丈夫?」って言われたい人と、
「あっちに行ってくれ」って言いたい人と。
ぼくは、喘息のときの経験で、
「誰もオレのことを考えてない」
ということが、一種のいいことに思えたんですね。
ぼくが咳き込んでたりすると、家族が、
なんかちょこちょことしゃべり出すんですよ。
それを聞くのがいやでねー。

清水 心配してコソコソしゃべってることが?
糸井 そう。
「悪い咳をしてる」だとか、
「明日はどうなるだろう」とか、
ああすればいいんじゃないか、
こうすればいいんじゃないかと言ってるのが、
ほんとにつらかった。
清水 喘息の咳って、
特有の音が出ますよね。
糸井 そうそう。
聞かないでくれって思うよね。
清水 はい(笑)。
聞かれたくない、と思うんですけど、
やっぱり出てしまう。
糸井 で、止めようとすると、ますます苦しい。
だから、気配を消しながら咳をして。
子どもながら、
人に心配されないように生きてるという感じで。
清水 ぼくもまったく同じ心境でしたね。
糸井 ああ、そうですか。
清水 はい。
それがいま聞いてて不思議ですね。
喘息患者はみんなそうなのかなって。
糸井 ああ。
ぼくはね、喘息の人と友達になりやすいんですよ。
清水 ああー。
糸井 たぶん性格に表れるんだと思うんですよね。
「無視される」ということの気持ちよさとか。
清水 はいはい。
糸井 もちろん、注目されるのが
うれしい場面もあるんですけど、
基本的には無視されてた方がいいというか。
清水 ああー、わかります。
糸井 わかります?
清水 はい。
ぼくも日常的にそうなんですよね。
割と、競技をやってるうえで、
メディアに注目されるのは、
ほんとは好きじゃないんです。
競技のとき以外は、目立ちたくないというか、
そっとされたいタイプで。
糸井 うん。そういう性格みたいなものが、
喘息の人どうしは近くなるんでしょうね。
発作を起こしたときの経験から、
みんなに特別扱いされることがつらいというか。
清水 はい。
 
(続きます)
2007-10-26-FRI
 
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